小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

13-1 竜馬がゆく① (1963-)

 *司馬遼太郎の手によるタイトルの字

【あらすじ】

 土佐の郷士に生れた竜馬。身分は上士と厳然たる差があるが、商売も営み裕福な家庭で育つ。「寝小便たれ」として周囲からはうすのろのように見えたが、姉の乙女は竜馬の才を信じて疑わない。剣術には才能があり、土佐から江戸の千葉道場に入門して頭角を現わす中、ペリー来航によって諸外国を排撃する「攘夷」の思想が沸き起きて、騒乱の世に変わる。その中で長州の桂小五郎を始め、後に幕末を彩る志士たちと交流を深めていく。

 

 修行を終えると土佐に戻って剣術道場を開くはずが、竜馬は世界を知ろうとする。ジョン万次郎と交流があった河田小龍の塾に来訪して国際情勢を知り、攘夷とは違って、海運と貿易の重要性を学んでいった。

 

 桜田門外の変で時勢は変わり、土佐では親友の武市半平太土佐勤王党を設立し、土佐藩尊皇攘夷を唱える先鋒となるべく、藩論をまとめようとする。竜馬は半平太との行きがかり上勤王党に参加するが、その思想とやり方から、行く末に疑念を抱いていた。

 

   *坂本龍馬ウィキペディアより)

 

 土佐は藩主の父山内容堂が実権を握っていた。竜馬は、公武合体を目指す容堂と、郷士を中心とする勤王党は、いずれ衝突すると見ていた。また半平太は容堂の腹心である吉田東洋を含め、数多くの要人たちの暗殺にも手を染め、このままでは済まないと危惧していた。竜馬は孤立した自分の考えを貫くためには、土佐藩から脱藩するしかないと決意する。

 

 世に攘夷が吹き荒れる中、竜馬は船と貿易によって国力を蓄える構想が、頭から離れない。そんな時、千葉道場の御曹司の重太郎から、「攘夷の敵」海軍奉行の勝海舟を斬るので、帯同して欲しいと誘われる。

 

【感想】

 新聞連載当時から話題を呼び、武田鉄矢萬屋錦之介、そして孫正義を初めとする数多くの「信奉者」を生みだした。多くの若者が竜馬に憧れ、長髪になって竜馬ゆかりの地を「聖地巡礼」していく。そして私も中学1年生の正月に「一気読み」して、感動した思い出の作品。

 司馬遼太郎自身は当初「龍馬」に興味は無かったが、高知出身の知人から龍馬を書くように頼まれて、資料をあたるうちに興味が湧いてきたという。この作品で歴史小説に本格的に取りかかり、「司馬史観」を打ち出す端緒にもなった作品とも言える。ちなみに竜馬の本名は「龍馬」だが、本作は小説として実在の人物の分ける意味合いで題名を「竜馬」と記したという。

   *不思議な縁で結ばれた桂小五郎ウィキペディアより)

 

 若者の青春をテーマとして描いた司馬遼太郎。裕福な家に育ったのは良いが、周囲からはうすのろに見える次男坊。本来ならば当時は「厄介叔父」として一生を暮す運命だったろうが、竜馬には剣術の才能があった。学問をしては周囲に馬鹿にされていたこともあり、周囲が一目を置いてくれる剣術に没頭する。

 そして竜馬が生きた時に時代が動いた。ペリーが来航して幕府はやむなく外国に対して開国する一方、国内では従前通りの強圧的な政治を行う。その反動から国を憂う「志士」が桜田門外の変を起こし、竜馬の周りでも国政を論じ、場合によっては力によって意見を通そうとする動きが広まった。その中心に、竜馬の古くからの親友であった、知勇兼備の武市半平太がいた。

 そこに土佐藩の複雑な事情が影を落とす。藩の成立は「功名が辻山内一豊徳川家康から拝領したことによるため、藩主及び山内一豊から付き従った「上士」と呼ばれる家臣団は、幕府に頭が上がらない。対して「夏草の賦長宗我部元親に従った地侍たちは当初「進駐軍」の山内家に弾圧され、その後懐柔策で徐々に家臣団に組み入れられた。しかし「郷士」という立場で、「上士」とは幕末まで厳格な上下関係が残った。

 「余談だが」大河ドラマ功名が辻」で、武田鉄矢山内一豊の家臣(五島吉兵衛)のオファーが来た時、信奉する坂本龍馬と対立する上士側という理由で、一時は配役を固辞した(結局は、土佐に入る前に亡くなる役回りということで折り合いをつけて、オファーを受けた)。

 *こちらでは、勝海舟の役を演じた武田鉄矢。主役の福山雅治に龍馬についてアドバイスしたがったそうですが、福山は自分で描いた龍馬像が壊れるのを恐れ、話をそらし続けたそうです(^^)

 

 そんな中、竜馬は土佐の風土と家庭の雰囲気によって、おおらかに育つ。当時の学問から見れば劣等生だった竜馬だが、自分なりの考えはしっかりと持って、周囲に流されずに独自の考えを貫く。それは時には周囲から理解されず、また滑稽に思われることもあったが、それにめげない性格と度量の大きさを司馬遼太郎は様々なエピソードを重ねながら描いていく。

 そして周囲を彩る数々の女性たち。母性本能をくすぐるのか、皆なぜか竜馬を放っておけない。そんな若い頃の先が見えない中、目の前のことを1つ1つ大事に、自分を曲げずに生きていく姿勢は、一介の浪人が幕府の海軍奉行や改革を志す英邁な藩主たち、そして維新の英傑たちへの人脈にも広がっていき、後に様々な場面で繋がっていく

 周囲から何と言われようが自分を信じて、時勢に背を向けながらも自分を貫く姿勢。当時、司馬遼太郎が描く「青春」は、安保闘争で学生達の夢が破れた後の混迷の時代に、その100年前に時代の変革を成し遂げた1人の若者の溌剌とした生き方として、眩しく映ったことだろう。

  

 *坂本龍馬の、そして武市半平太の運命を変えた「酔って候」土佐藩藩主・山内容堂朝日新聞デジタルより)