小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

13-2 竜馬がゆく② (-1966)

テレビ東京で1982年正月に12時間テレビで放映した作品。当時頭が痛くなるまで「一気見」しました。

【あらすじ】

 勝海舟と運命的な出会いを果たして開眼した竜馬は、攘夷活動とは袂を分かち独自の道を歩む決意をする。貿易により国力を富ますことを目的として、勝の元で神戸海軍塾の設立に奔走する。

 

 その最中に時代は反転する。池田屋事変から禁中の変と進み、過激な尊皇攘夷運動は終息し、長州藩は幕府から討伐を受ける立場になる。土佐藩山内容堂が直接勤王党に弾圧を加えて、竜馬の盟友武市半平太切腹を命じられる。幕府内でも勝海舟の立場は危うくなり、神戸海軍塾は閉鎖となった。

 

 竜馬は失意の中にいたが、薩摩藩は海軍塾の操練技術を高く評価して、竜馬達を庇護し拠点を長崎に移す。ついに竜馬は自らの活動拠点となる亀山社中(のちの海援隊)を設立することに成功した。

 

 そして長州は、幕府恭順派から高杉晋作による倒幕派のクーデターで藩政を奪い返し、桂小五郎も戻り幕府と闘う準備をしていた。禁門に変から「不倶戴天の敵」となった、倒幕の2大勢力のはずの薩摩と長州。そこを竜馬は倒幕勢力を結集すべく、薩長同盟を目論む。紆余曲折の末、西郷と桂が会談する所まで持っていったが、2人ともなかなか歩み寄ることはできない。そこで竜馬は西郷に詰め寄る。「長州が可哀想ではないか」と。

 

 竜馬の一言によって事態は打開し、薩長同盟は締結され、倒幕への大きな一歩となった。幕府による第二次長州征伐は、薩摩による長州への武器購入や戦争への不介入もあり、長州が有利に進む。竜馬も下関の海戦で高杉晋作の陣に加わり、幕府軍撃退に一役買った。

 

  坂本龍馬ウィキペディアより)

 

 時代の流れは加速する。幕府軍を退けた長州と薩摩は、その勢いで武力倒幕へと兵を進めようとする。しかし竜馬は、薩長のみが独走して倒幕を行なうことを危惧した。土佐藩公武合体の看板を下ろすことができない。他の藩にも、そして幕府も政権交代への参加が必要と感じていた竜馬は、「大政奉還」という、誰もが考えられず、かつこのタイミングでなければ有効ではない「劇薬」を政局に投じる。その考えに土佐藩参政後藤象二郎が乗り、山内容堂が同意し、そして15代将軍徳川慶喜が呑んだ。「寝小便たれ」と言われた一介の浪士の頭からでたアンディァによって、徳川幕府250年の政権の幕引きを決意させることになった。

 

 新しい政権をどう運営するのか。それも竜馬の頭の中にはあった。ただそこには自分の名前はない。なぜ竜馬は加わらないのか、疑問を口に出す西郷に竜馬は答える。「世界の海援隊でもやりますかな」と。

 

 その1ヶ月後、竜馬は中岡慎太郎とともに、暗殺者の手によって31歳の若い命を奪われる。

 

【感想】

 一介の浪人が時代の流れに逆らって、孤立を恐れずに自分の考えを貫く。そのために時勢の孤児になると思っていたが、勝海舟の教えは自分の理想を叶えてくれる内容だった。また勝も浪人の竜馬に過剰な親切心を抱き、幕臣の枠を超えて海軍だけでなく、越前藩主の松平春嶽西郷隆盛などにも引き合わせて、後の活躍への布石を打つ役割も果たしている。ここで勝海舟が暗殺されたら、竜馬は恐らく暗殺者を地の果てまで追って、斬りつけただろう。

 後に勝は竜馬との出会いについて「盛って」語ったとされている。明治以降、竜馬は忘れられた存在であって、その中で盛る、盛らないは勝の立場に影響はなかったはず。それでも竜馬を「盛って」語ることが多かったのは、当時の私利私欲を貪る明治政府の高官たちに、思うことが多かったからであろう

  *竜馬の師匠、勝海舟ウィキペディアより)

 

 そして勝を始め桂小五郎武市半平太など、時勢の反転によって竜馬の周囲に悲運が訪れる中、竜馬は亀山社中という1つの「勢力」を作り上げることに成功した。幕府の声がかりで始まり、会津藩の庇護を受けた「新選組」、高杉晋作が率いて豪商が支援した「奇兵隊」と並んで、階級を超えた組織の長となった。薩摩藩の庇護があるとは言え、それを一介の浪人が20代の若さで作り上げた。

 この不思議な組織と、竜馬の人脈そして「魅力」を背景にして、犬猿の仲だった西郷と桂を結びつける薩長同盟を成し遂げる。第二次長州征伐では高杉晋作と協力し、船中八策大政奉還を土佐の後藤象二郎山内容堂に具申して、そして新政府の組織作りを建策する。学問で芽が出なかった若者が、誰もが考えつかないアイディアと実行力で、新しい日本のグランドデザインを唯1人、明確に描くことができた。その一方で自分自身は官僚や政治家による出世の途に全く興味がなく、「世界の海援隊でもやりますかな」との名言を残して、新政府の地位からは身を引く意志を示した。

 妻となったお竜を始め、様々な女性に彩られながら、どんな苦難や嘲笑にもめげず、周囲に流されることなく自分の信念を貫いて、「回天」を果たした竜馬。司馬遼太郎が描く竜馬の青春は余りにも眩しく、読む者全てを惹きつける魅力がある。そのために青春が閉じる場面は限りなく切ない司馬遼太郎の筆による最後の時は、それまでの溌剌とした文章からガラリと変わり、まるでサイレント・ムービーのように「龍馬」が暗殺される状況を描き、哀切を込めて筆を置いている。

 

  じゃらんネットHPより)