小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

3-2 われに千里の思いあり ② 中村 彰彦(2008)

【あらすじ】

 利長が亡くなり、妻珠姫も短い生涯を終えた後、前田利光は藩の存続と運営に力を注ぐ。江戸城登城の際は鼻毛を敢えて伸ばし、また様々な奇行で愚鈍を装い、幕閣から危険視されるほどの器量はないと思わせる一方、加賀領内では農村の立て直しや年貢の徴収、辰巳用水の設置などの領地経営に手腕を発揮する。

 

 珠姫との嫡子の犬千代も成長し、水戸藩初代藩主頼房の娘、大姫を輿入れさせようとする一方、3代将軍家に対して、自身の諱(名)「利」が将軍の「」と同じでは恐れ多いとして返上を申し出る。家光は利光を「利常」と改名することを許すが、直ちに返上した「光」を犬千代に「偏諱(自身の一字を下げ渡すこと)」し、「高」と名乗ることを許し、利常を感動させる。

 

 大御所秀忠が病気の中、金沢市街が大火事に見舞われて金沢城を改築するさ中に、家臣の抜擢など派手な動きをしたために、謀反の噂が出る。幕府の調査団を招くこととなり、利常を慌てさせる。天下人の代替わり時期に疑われる宿命の「加賀百万石」。関ヶ原前夜に家康から嫌疑を受けた際に必死の弁明をした横山長知の子横山大膳は、時の大老で家康の落胤とも噂される土井利勝の厳しい詮議に対し、粘り強く理路整然と弁明して、「寛永の危機」と呼ばれた嫌疑を晴らすことに成功する。

 

 だが幕府による、有力大名を改易する「武断政治」は続く。そこで利常は家督を嫡子光高に譲ると同時に、自身は小松22万石を、次男には10万石、三男には7万石を譲り、加賀藩を80万石として目立たないように仕向けて前田家の安泰を図ろうと目論み、家光の反対を押し切って隠居する。

 

  前田綱紀ウィキペディア

 

 後を受け継いだ光高も、父に似て剛毅な「快男児」であった。大姫とも仲良く輿入れ後早速男子を産んだが、その子が3歳の時に光高は急死してしまう。呆然とする利常に対し幕府は、幼子の家督相続を認める代わりに後見を条件とし、加賀の藩政に更に注力をかけ「政治は1に加賀、2に土佐」と天下に聞こえるほどの手腕を発揮する。

 

 その中で幼い嫡子前田綱紀に対しては英才教育を施す。名君と言われる藩主との会話を隣室で聞かせ、嫁には将軍の補佐役、そして領地経営にも秀でていた保科正之の娘を輿入れさせて、66歳で死去する。

 

 後を継いだ綱紀は祖父利常の薫陶を受けて名君として成長し、また義父保科正之からの教えを乞い、更なる藩政改革に邁進する。新たな制度を次々と取り入れ、また学問も奨励して、木下順庵、室鳩巣、稲生若水など有名な儒学者を招くとともに書物も全国から収集して、新井白石から「加賀藩は天下の書府」と礼賛された。その統治は3代将軍家光から8代将軍吉宗の時代まで82歳で亡くなるまで続き、加賀前田藩の栄華を極めることになった。

 

【感想】

 理科の本で、水圧を利用して低い所から高い所に水を持ち上げる「逆サイホン」の原理を説明するため、江戸時代初期に作られた「辰巳用水」が取り上げられて、子供心に刺激を受けた記憶がある。ところが工事の責任者だった藩主利常は鼻毛を出し、江戸城登城を休んで老中から咎められた時「ここが痒くてたまらん」と睾丸を万座の前で取り出したエピソードを「こぼれ話」で知っていたので、利常と辰巳用水はなかなか結びつかなかった。

 

 

*水が下から上に流れる「逆サイホン」の仕組みを利用した辰巳用水(石川県土地改良史より)

 

 利常には激しい性格も内在し、「蛇責め」のエピソードも同じく「こぼれ話」で知って、子供心に受けたトラウマになった。利光は愛妻珠姫と仲睦まじく、側室も持たずに毎年子が生まれたが、珠姫の侍女お豊は珠姫の身体を心配して、利光が奥へお通りすることを邪魔していた。そのことを知った利光は、元は将軍秀忠の娘付侍女のため、わざわざ秀忠の許しも得た上で「蛇責め」で罰する。

 侍女を箱に閉じ込めて、その中に多数の毒蛇を入れると、穴という穴から体内に侵入すると読んで、想像しただけでも恐ろしかった(改めてググったが、とても画を紹介できない…)。本作品ではそこから金沢城に「カワウバ(厠にいる姥)」の幽霊が出るとした。その39年後に幽霊を慰めるため、藩主綱紀が深夜に蛇責めの跡を発掘して遺体を見つけ出す描写は、トラウマの追い打ちとなった。

 

 金沢城から5キロほど離れた所にある野田山には、藩祖利家を始め歴代藩主一族の墓があるが、山一帯が墓地のような構造をしている。樹木が茂った小山の中を上り下りする小径に沿って、ポツン、ポツンと墓地が点在する。神式のため土饅頭の形状で、他大名家が寺院に並べる「歴代藩主の墓」の姿とは一線を画した光景。墓所を抜けて麓に下りると、そこには加賀百万石を支えた家臣たちの墓石が、藩主たちを守るかのように、肩を並べて寄り添っている。

 

「志は千里に在り」。駿馬は老いて厩に伏したところで、志は千里のかなたをかけめぐろうとする(中巻395頁)

 

 偉大なる父前田利家の嫡子として、前田家の存続のために命を削った前田利長。その使命を同母弟ではなく、資質を見込んだ、まだ幼少の異母弟に託した。

 母の美貌は受け継がず婚期も遅れたが、自らを幸運と信じて、戦国の世を生きたお千世。「洗濯女」が産んだ子とその家系は、幕府から真っ先に狙われる立場にありながら、家臣たちとも協力して武断政治の危機を乗り切り、文治政治になると藩政で花開く。そして「加賀百万石」を明治維新まで継承した。

 

 

*荘厳な雰囲気が漂う、藩祖前田利家の墓(金沢市HPより)

 

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