小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

18 俄 浪華遊侠伝 (1966)

【あらすじ】

 万吉が11歳の時に父が貧乏に耐えきれず逃げだした。母と妹は数日前から食べていない。稼ぐために悪事をしても家族に迷惑をかけないように無宿人となった11歳の子供は、子供博打に入り「この銭、貰ろた」と小銭の山に被さる。そこからはどんな痛い眼に遭っても、相手が呆れるまで我慢して銭は離さない。これを繰り返す内に徐々に才覚も身につけ、1年で母と妹に72両も仕送りすることができた。身体を張って銭を稼ぐ万吉の名は、次第に広まっていく。

 

 15歳になった万吉は極道屋になる。命知らずの万吉に、大坂の米問屋から堂島の米会所で開かれる相場を潰すように依頼が持ち込まれる。派手に殴り込んだ万吉は西奉行所に引っ張られると、究極の拷問「海老責め」を受けるが。それでも黒幕の口は割らず、最後まで耐え抜いて遂に放免された。満足に立つこともできない万吉を、米価高騰で苦しんでいた庶民は喝采で迎えた。

 

 人気の高まる万吉は、町奉行からの仕事を受ける。幕府より密輸の探索で送り込まれた隠密を探す手伝いのために牢に入り、隠密の野々山平兵衛が殺害される寸前で救出に成功する。翌年には生き延びた野々山平兵衛から協力を求められ、与力も絡んだ密輸一味の捕縛に貢献した。

 

 時代は幕末になり、治安が乱れた京洛で治安維持が必要になった。幕府は京都を会津藩に担当させたが、大坂はわずか1万石の一柳藩に警備を命じた。困り果てた一柳藩は、大坂の遊び人の大半を支配下に置く万吉に目を付けた。士分には取り立てられたが、警備費用は一切支給されない。困り果てた万吉は、治外法権の一柳藩邸を賭博場として警備費を稼ぎ、その資金で警察組織を運営していった。

 

  *明石屋万吉(老侠 小林佐兵衛傳より)

 

 天下の情勢は考えず、尊王だろうが佐幕だろうが、気の毒な人は助ける。万吉はこの姿勢を貫き、幕府から疑いの目を向けられるも素知らぬ顔で、追われている長州人も匿い、逃がした。そして時勢が反転すると、行きがかり上万吉は鳥羽伏見の戦い幕府軍に従軍するも敗走し、命からがら大坂に逃げのびる。その後新政府軍の支配下となり、幕府に協力した親方衆はことごとく首をはねられたが、万吉はすんでの所で、以前助けた長州藩士に命を救われる。

 

 明治維新になっても万吉は変わらない。様々な騒動が持ち込まれ、置き場に困るほどの札束が舞い込む時もあれば、餓死寸前に陥ることもある。それでも子分だけはどんどんと増えていく。後年になり自分の一生を「わが一生は一場の俄のようなものだった」と述懐。90歳近い高齢まで生き延び、「ほなら、往てくるでえ」と口にして、ようやく「人並みに」死を迎えた。

 

【感想】

 大阪人の司馬遼太郎が大阪らしい話を描く。主人公の万吉は一生懸命なのだが、年齢と言動のギャップを感じてどこか可笑しくて、どこか切ない。そんな万吉の行動がやがて周囲を巻き込み大きな渦となっていく。司馬遼太郎の祖父が明治初期に、万吉が建てた家で餅屋を営んでいたことから、かねてより万吉という人物に親近感を持ち、本作品に取り組んだと語っている。

 父親が貧乏で逃げていき、残された11歳の子供が家庭を支えようとする。そのために11歳の子供が無宿人になる考えが、ます可笑しい。そして身体を張って賭場荒らしでお金を稼ぐ。子供だけど大真面目。周囲から見ると憎まれっ子だが、突き抜けると子供でも「漢」となる。それでも、孝行息子として表彰されるところまで描くのが、司馬遼太郎の筆の冴え。

 本作品で一番大きなヤマは、米問屋からの依頼を受けた万吉が、奉行所で拷問に耐え抜く所だろう。ギザギザの石板の上に正座させられて、石の重しを載せられる「石置き」よりも厳しい「海老責め」の拷問。それでも万吉は依頼主のために、そして自分の「男稼業」のために決して口を割らない。命を賭けた行動は感動を呼ぶ。米の高騰で苦しんだ庶民が、万吉の姿に感動と感謝を混ぜて喝采で迎える。

 「余談だが」このシーンは、マンガ「沈黙の艦隊」で、主人公の海江田四郎がニューヨークの国連に着く直前、アメリカ軍の監視ラインを突破する場面を読んだ時に思い出した。潜水艦の艦橋に残って沈下行動を取り、そこから浮上して復活する姿に、群衆が歓呼するシーン。人間が命を張って自らの主張を遂げようとする時に共感する、人間の本能的な思い。

 その後も命を賭けるが、その理由が(万吉なりに)通っているエピソードが続く。中には全く騙されて終ったり、無駄に命の危険に晒されたりすることもあるが、万吉に理屈も金勘定もいらない。男稼業として成り立つか否かが基準。「賭場荒らし」も、元々賭場は違法であり、そこから金を堂々と奪う万吉なりの理屈。子供の頃から筋が通っている。

  *幕末から明治を生きた「侠客」の一人、清水次郎長ウィキペディアより)

 

 主人公の明石屋万吉は、幕末明治における上方きっての大親分として、実在した人物である。そして大坂の粗暴組織をまとめたり、少年や老人、身体が不自由な人のための授産施設を運営した業績も残されている。江戸の火消しを束ねて、徳川家が駿府に下る時にも従った新門辰五郎。やはり江戸火消しを率いて、土佐の「酔って候」山内容堂に気に入られた相模屋政五郎。そして戊辰戦争の中、船で流れ着いた幕府軍の死者を、丁重に扱った清水次郎長など、昔の侠客は「堅気」には迷惑をかけず、地元の役に立つことも考えて「漢」を見せる。

 現代では反社会的勢力として一括りにされるが、今野敏が描く「とせい」シリーズのように、一般市民の「モンスター」とも思える考えの中で、侠客の考えが逆に貴重となってしまっている時も往々にある。そんな中、万吉のいかにも大阪人らしい生き方は、時を過ぎてからも、読む度に新鮮に映る。

 

*鬼龍院花子の父政五郎(の、モデルの侠客)は、幼くして明石家万吉の子分となって、この道に入ったとされています。