小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

13 きのうの世界(2008)

【あらすじ】

 市川吾郎は、見たもの全てを記憶できる能力を持っていた。そのため学業や仕事では有効だったが、38歳を過ぎた頃から原因不明の激しい頭痛に悩まされていた。遠縁に記憶力の優れた女性がいると聞き、自己のルーツと頭痛の原因を探るため、M町を訪ねた。そこは丘に立つ3本の鉄塔が印象的な、静かでどこか不思議な雰囲気を持つ場所だった。志津という遠縁の女性を訪ねると、記憶力の優れた女性は志津の姉とわかり、晩年はひどい頭痛に苦しんだらしい。

 

 市川は上司の送別会をきっかけに、無断欠勤したまま会社を離れた。M町に移り町の秘密を調べていくと、散歩の途中に割れた一升瓶の破片が腹部に刺さり、ついに力尽きて水無月橋で息絶えてしまった。真相は闇の中で、町では「水無月橋の殺人事件」と報じられた。市川が追っていたM町の秘密、それは町の人だれもがいわれを知らない、3本の塔を建てた目的。その秘密を志津は知っていた。

 

 

【感想】

 まるで村上春樹作品「アフターダーク」のような視点と文体で進む作品。視点の「わたし」は中盤以降に判明していくが、それと共に市川吾郎の兄弟、フリーライター、そして同僚の姉などが、主人公に吸い寄せられるようにM町に集まり、主人公の「痕跡」を探し集めていく。

 山間部の小さな町に住む人々は、みな静かで一歩引いている。対してM町にやって来て秘密を探ろうとする「よそ者」たちは、やや押し気味に会話を進めるために、町の人との「微妙な」違いが浮き彫りにされていく。市川吾郎の遠縁の志津と孫娘の和音は、M町を象徴する人物に映る。

 主人公の市川吾郎は、表情は特に目立った特徴がなく、若者でもなく中年でもない、すれ違っても印象に残らない存在。もともとの性格付けもあり、際立った能力を持ちながら「普通に」生きてきた主人公は、M町の静かな町に自然と溶け合っている。

 市川吾郎は、見たものを完全に記憶する能力を持つ。しかし本作品では、キャパを超える記憶の保存は頭痛の原因になるとして、能力を公言せずに、記憶の削除など折り合いをつけながら生きていく。特殊能力を誇ることをしないのは、まるで「常野物語」の登場人物のよう生き方を選んでいる。

*「静かな」超能力者たちを描いたシリーズ物。取り上げようとしましたが、ここでは断念しました。

 

 M町の象徴とも言える3つの塔は、「おばけ煙突」の伝承を重ねながら、物語全体に不気味な存在感を覆っている。あれだけ目立つ構造物なのに、町おこしに利用せず、地図には掲載されない「謎」を提示した。その秘密は、市川の調査が進むにつれて、徐々に解明されていく。

本作品は恩田作品としては珍しく(?)、広げた大風呂敷を終盤できれいに畳んだ印象を受ける。3つの塔の謎と「水無月橋殺人事件」については、主人公がM町に住んでいた軌跡を追いながら、丁重に「事実」を記述した上で、その謎を解明した。

 そのためネタばれを恐れずに言うと、塔の秘密が判明した時、私は東京の地下にある、洪水対策として世界最大級の地下放水路とされる「首都圏外殻放水路」を特集した番組を思い出した。渋谷や杉並の地下に存在する巨大な空間は、巨大な59 本の柱に支えられた「地下神殿」のような雄大な光景。

 M町は巨大岩の上に存在し、岩盤に掘られた3つの水抜き穴によって洪水を防ぐ役割を、昔から持つと設定した。現代の巨大都市はコンクリートで覆われているため水の逃げ道がなく、M町と同じ危険を有している。太古から人間を苦しめた「きのうの世界」は、現代も、そして未来も繰り返す。

  

 *首都圏外殻放水路(ウィキペディア)

 

 蛇足。第11章「風が吹くと桶屋が儲かる事件」。久しぶりに目にすることわざ、と思ったが、現代流に言えば「バタフライ・エフェクト」になるのかな?

 

 

【追悼:東野圭吾さん】学生街の殺人(1987:再録)

 東野圭吾さんの訃報に接しました。旺盛な創作活動を続けていたため、その知らせはまさに青天の霹靂でした。

  私は以前「20世紀の20選」と題して、初期の東野圭吾作品を取り上げました。その中で余り注目を浴びない、それでいて当時の私の心象風景に重なる思い出深い本作品を、追悼の意を込めて再録させていただきます。

 

【あらすじ】

 津村光平は23歳。大学を卒業したが定職に就かず、学生街のビリヤード場でアルバイトをしている。脱サラしてアルバイトとして一緒に働いていた28歳の松木が、何者かに殺された。調べを進めると、光平の過去が明らかになっていく。そこに第2の殺人が発生する。被害者は光平の恋人有村広美。マンションの通路には死角になる場所がなく、第1発見者の悲鳴を聞いて階段を駆け上がった光平の目に触れず、犯人が逃走することは不可能という密室状態だった。

 広美は堕胎していたことを光平に告げていた。過去には自殺未遂を起こし、将来を嘱望されていたピアノを突然止めている。更には自分が友人を経営しているカフェバーを毎週休んではどこかに出かけている、謎の多い女性だった。そして狭くさびれた学生街で、第3の殺人が起きる。

 

 

【感想】

 学園もの3部作、と言っていいのだろうか。高校、大学の後は、大学を卒業したが何をしていいかわからない若者を主人公として、「卒業」の主人公、体育会系の加賀とはガラリと設定を変えた。津村光平の心情が「元は正門前だったが、正門の位置が変わったため」学生の足は遠のき、店の数も以前の1/4以下に減ってしまった寂れた学生街と、よくマッチしている。学生街は人が集まり、そして必ず去っていき、また新しい人に入れ替わる。その「必然」から取り残された主人公。

 対して恋人の有村広美は、前2作にも増して過去に影を負った女性。更には、最初の被害者も脱サラをして、わざわざ寂れたビリヤード場に職を求める謎を持った人物の松木。実際は元システム会社の社員で、産業スパイとして機密情報を売っていたが、そのスパイ契約を盾に今度は相手を脅していたことが判明する。人物造形に深みが加わっている。この辺りは、東野圭吾の前職の経験が生きている。

 

 有村広美は以前、ピアノの発表会に行く途中で交通事故を起こし、少女を死に至らしめてしまった過去があった。轢き逃げ事件で捕まることはなかったが、トラウマからピアノを弾けなくなる。心配になった父の紹介でお見合いした相手が刑事だったために、結婚も断る。罪滅ぼしの気持ちで週1日通っていた養護施設のボランティアで、知り合った医師の斎藤と恋人になり子を宿す。しかし斎藤は広美が轢いた少女の担当医師だったことを知るとショックを受けて堕胎し、自殺未遂を起こした。

 

 広美の死は事件に巻き込まれただけのもの。ではなぜ巻き込まれたのか。その理由が判明すると津村の心が動く。現実を知り、社会を知ることで「大人になる」意味を悟ることになる。

 恋人が秘密にしていた過去を知り、そんな痛ましい過去を抱えながらも広美は生きてきた。人は大なり小なり秘密にしたい過去を抱えて生きている。津村はそんなことを鄙(ひな)びた学生街で身体に刻み込むことになる。

 

 事件の前までただ漠然と日々を送っていた津村は、事件を通して社会で生きていく厳しさや辛さを垣間見ることとなった。やがて自らのモラトリアムに決着をつけ、自分の目指すものを探すため再び大学に入り直すことを決める。

 それも1つの決断かもしれない、しかし私からすれば津村には、自分の力で生きていくのはどういうことか、を知ってもらうためにも「就職」して欲しかった。本作品が発刊されたおよそ40年前は、ちょうど私が就職して、息が詰まる新入社員の生活を送っていた。そんな時に、やや退廃的な雰囲気が残る本作品を読んで、時にモラトリアムと感じた学生時代を懐かしんだことを思い出す。

 けれども現在の東野作品から見ると、洗練されているとは言い難く、未来の国民作家の姿は、まだ見えない。この作品を読んだ後、私は日常の多忙もあって、東野作品から遠ざかってしまった。

 

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番外 あの頃ぼくらはアホでした」で、東野圭吾作品を、以下の言葉でまとめました。

 読みやすい文体と身近にもいるような等身大の登場人物。男女の微妙な距離感を図りつつも魅惑的な謎を提示して、その謎を見事に解明する姿勢は、同じ国民作家である村上春樹にも通じると思います。

 

 20世紀の終盤、「秘密」や「白夜行」などで評判を得るまで、社会派、新本格派、刑事物、そして旅情派などのミステリーに囲まれて作者は苦悩します。けれども呻吟しながらも自らのスタイルを貫いて創作活動を続けることで、現在に至る道を開きました。その過程は日本のミステリー界の裾野を広げることとなります。東野作品群は、多くの人を読書の世界に引き込み、そして多くの作家を文壇に誘っていきました。

 

 長い期間に亘り、旺盛でレベルの高い創作活動を続けて頂き、ありがとうございました。その功績は、アガサ・クリスティに匹敵する大きさだと思います。合掌。

  

   *毎日新聞

 

12 中庭の出来事(2006)

【あらすじ】

 「中庭にて」は、脚本家の細渕晃が創作する物語の製作過程を中心に描く。中庭で脚本家の神谷華晴が戯曲「告白」の主演女優発表会のパーティーで毒殺される。容疑者は父が偉大な俳優で子役からスタートして芸歴は長いが20歳そこそこの槇亜希子、小劇団で演技を磨いた実力派の甲斐崎圭子、そして新劇出身で大女優の平賀芳子の3人。果たして犯人は誰か、犯行方法は、そして動機は。細渕は呻吟しながらアイディアを絞り出すも、細渕の知人で女性翻訳家の楠巴は、見事な推理力でダメ出ししていく。

 

 舞台「中庭の出来事」は、3人の女優が脚本家の神谷を殺害した容疑者として、刑事から取り調べを受ける芝居。3人の女優はそれぞれの個性に合わせたセリフを使うが、その内容は重なってどれが虚でどれが実かが判別しない。すると物語が進行するにつれて、虚実が混沌となっていく。

 

 「旅人たち」は、男たちがトンネルの先を目指しながら、舞台の構想を語り合っている光景。ホテルの中庭で就職活動中の女性が亡くなったが、彼女は笑っていた、怒っていた、泣いていた、と目撃者によって表が違っていたという。2人はそんな不思議な事件を始め、様々な謎の妥当性について論じあう。

 

 

【感想】

 先に書いた【あらすじ】について、正確かどうか自信がない。それだけ小説の構成はが複雑多岐に渡る。

 作中作の作品はたまにお見かけする。本作品は、舞台の外の世界の脚本を書く人物(谷華晴)もフィクションで、その脚本を書く人間に細渕晃という人物を置いた。神谷がいる中庭と細渕がいる中庭を寄せて描くも、注文する料理、コーヒーと紅茶などを使ってズレを生じさせて、読者に「デジャヴ」を感じさせている。

*作中作の作品で有名なのは本著。折原一や綾辻行人もありますが、私は最初に驚いたエラリー・クイーンの「恐怖の研究」を真っ先に思い浮かべます(マイナーですね💦)。

 

 また神谷が構想する脚本と、演じる舞台「中庭の出来事」も、寄せつつも多少のズレを生んでいる。3人の女優は舞台では「女優1,女優2,女優3」として、槇亜希子甲斐崎圭子平賀芳子の固有名詞は出てこないが、女優たちの性格づけやセリフの内容から、明らかに3人を投影した配役となっている。特に「真夏の夜の夢」の、美しいヘレナ、と呼ばれた返事(395頁)の3人3様で考え抜かれたセリフは秀逸。

 また刑事の取り調べに対して、俳優としての才能があると刑事を褒める場面がある。ここで3人の女優が、「ヘレン・ケラー」「桜の園」「ロミオとジュリエット」と台詞を使い分けて、性格を浮き彫りにしている。「チョコレートコスモス」で登場した女優と重なる性格を、台詞の「ズレ」によって際立たせている。

 また舞台で登場する刑事役だが、あえて「刑事コロンボ」を投影させている。最初は事件の核心をとらえるわけではないが、おしゃべりで事件の周辺情報を上手く引き出していく。最初は犯人も「カンの鈍い刑事さん」に同情して応えていくが、徐々に事件の核心に切り込んでいき、真相を暴いていく役柄。

 「刑事コロンボ」を思い浮かべながら読み進めると、確かにコロンボのドラマは犯人との2人芝居のセリフ回しかな、と思ってしまう。この入れ子構造を持つ「マトリョーシカ」のような物語では、似て異なるセリフの使い分けが、作品の成否を分けるはず。そのためコロンボのように、緊張感のあるセリフの応酬を呻吟しなければならず、その点において作者の恩田陸は見事成功した。

*こちらの恩田陸作品も、作中作として扱われています(私は余り思わないけど)

 

 ホテルの中庭という限られた空間を舞台に見せて、そこからこの物語が生まれた。女優が取り調べでも舞台でも、「嘘の臭いがしない」と刑事を感心させるところは、作者の考える俳優の才能なのだろう。エンディングでは、カーテンコールさながらに登場人物が舞台に集めたことで、最後まで閉じられた作品に、解放感を与えた。

 しかし夫も含めプライベートが明らかでない楠巴。作品の中でも「うちのカミさん」は登場しないもの、と敢えて触れているのが、いい。

 

 ここから恩田作品の主人公たちは、「大人」に成長している。