小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

4 鬼神の如く 黒田叛臣伝 葉室 麟 (2015)

【あらすじ】

   豊臣秀吉の天下取りを影で演出した伝説的な軍師、黒田官兵衛(如水)関ケ原の戦いで豊臣恩顧の武将を取りまとめて、徳川方を勝利に導いた如水の子、黒田長政。その恩賞で筑前50万石を拝領したが、長政の嫡子黒田忠之は狭量で粗暴、家臣から恐れられ、父長政は忠之を廃嫡する決意をする。しかし父如水の股肱の臣栗山善助の子栗山大膳(利章)は、長序の順を違えるとお家騒動の元になる、と諫止する。長政はその意見を受け、大膳に忠之の後見を託す。

 

 忠之に大膳は諫言を繰り返したため、忠之は疎ましくなり、二人は修復ができないほどの関係に陥ってしまう。忠之は重鎮の栗山家を無視して、小姓から仕え気心が知れた倉八十太夫を重用した。その間も忠之は幕府が禁止する大船を建造し、発言もお家取り潰しもありうるほど奔放になっていく。

 

 黒田藩と同じ九州の領地を持つ竹中采女は、こちらも伝説的な軍師、竹中半兵衛の流れを汲む名門で幕府の信任も厚く、九州の入り口である豊後を領していた。知行は5万石に満たないが、長崎奉行の役職を利用して密貿易で稼ぎ、幕閣の権力者土井利勝と共謀して九州の雄藩、肥後加藤家と筑前黒田家の取り潰しを目論む。加藤家は思惑通り改易することに成功し、次の標的は黒田家。如水、長政と親子2代に続くキリシタン信者の経歴を基に、揺さぶりをかける。

 

 ただし黒田家には,関ケ原の戦いで家康が御家の安堵を黒田長政に約束した 「神君のお墨付き」が伝わっていた。その隠し場所は藩祖如水が愛用し、家老の栗山善助に授け大膳に伝えられた鎧兜「銀白檀塗合子形兜」通称赤合子。その兜は栗山大膳から、黒田忠之によって奪われてしまい、藩主と家老栗山大膳の暗闘が始まった。

 

  *栗山大膳(ウィキペディア

 

 竹中采女正は黒田長政とライバル関係にあった隣国の細川忠興を使って、藩主忠之と家老栗山大膳の仲を更に引き裂き、家中の亀裂を大きくしようと狙っていた。剣士を使って栗山大膳の懐に入り込み、細川家にも黒田家にも縁のある宮本武蔵と戦わせて、如水伝来の甲冑を餌にして内紛を煽ろうとする。しかし栗山大膳はその思惑を見透かし、問題を幕閣へ持ち込み、有無を言わさぬ状況を作ろうとした。

 

 栗山大膳は幕府に、藩主忠之に謀反の疑いありと訴える。神君のお墨付きを根拠に御家の無事を図ろうとする栗山大膳の意向を察知して、将軍家は柳生宗矩とその子十兵衛を使ってお墨付きを奪おうとするが、大膳も巧みにかわし、ついに江戸井伊邸に老中が集まって、栗山大膳の申し開きの場となった。

 

【感想】

 黒田如水家臣団「八虎」の筆頭、栗山善助。如水不在の時は領地をまとめ、如水が荒木村重に捉えられた際は救出劇の立役者となる。最終的には2万石を領した筆頭家老で、藩主忠之も栗山家の屋敷で生れたという。そして忠之の後見人でもあった善助の子栗山大膳。幕閣から狙われた黒田藩を守るために自分の身を犠牲にしながらも、如水譲りとも言える巧妙かつ細緻な「策」を練った。

 老中を前に大膳は堂々と弁明するが、それは幕閣の実力者土井利勝竹中采女の弱みを突くものだった。幕閣内の権力抗争を利用することで黒田家に手出しすることができなくなり、喧嘩両成敗で大膳は南部盛岡に配流されて蟄居。倉八十大夫は黒田家から放逐となる。そして黒田藩は、騒動のために召し上げた上で、当日そのまま拝領という不可解な形で存続を許された

 

  黒田忠之ウィキペディア

 

 本作品では宮本武蔵を始めライバルや生宗矩・十兵衛親子、天草四郎や女流剣士も登場して、華やかに物語は進んでいく。「性格破綻者」の黒田忠之に対して栗山大膳は厳しい態度を取り、最後まで悪役を演じ続けて黒田家の取り潰しや減知から免れることに成功した。その心の内は誰からも認められないものだが、福島家や加藤家などの豊臣恩顧の大名(幼少の頃、人質時代の黒田長政と共に育った武将たち)が次々と改易されるのを尻目に、長政の思いを満たすことができた。

 その長政も如水が愛した家臣、後藤又兵衛を御しきれず「奉公構え」(他家への奉公を許さない)して浪人させた。子の忠之も栗山大膳を使いこなせなかった。藩祖如水やその父は人格者と見られたのに対して、何と激しい心が宿っていたのだろうか。それとも如水は、晩年天下を望んだ激しい心の奥底を、巧みに御していたのか

 宮本武蔵が登場して、存在感のある役割を演じているのが興味深い。宮本武蔵は、外の物語でも登場して重要な役割を果たす時があるが、ただの剣豪ではない「パワーワード」は、つい絡ませたくなるのだろう。島原の乱でも登場し、足を負傷したとされる挿話もうまく繋げている。

 

 以前甲冑の本を読んで、黒田如水の兜、通称赤合子が、現在は岩手県盛岡市にあると知り不思議に思ったが、その由来を知ることができた。大河ドラマ軍師官兵衛」でも、如水が家臣栗山善助に兜を渡すシーンがあったが、そのあと子の大膳に渡り、黒田家を守った大膳と共に盛岡配流まで付き従うことになる。但し家康から頂戴した「神君のお墨付き」を黒田長政が手元に置かず、栗山家に預けるとは考えづらいが。

 対して長崎奉行キリシタンに対して「穴責め」など、様々な拷問を考案してキリシタンの棄教を強引に進めた竹中采女は、密貿易の実態が暴露されて切腹となり、お家は改易、断絶となった。

 

  

 *現在は盛岡市で所蔵されている如水の「銀白檀塗合子形兜」通称赤合子(いわての文化情報大事典) 

 

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3-2 われに千里の思いあり ② 中村 彰彦(2008)

【あらすじ】

 利長が亡くなり、妻珠姫も短い生涯を終えた後、前田利光は藩の存続と運営に力を注ぐ。江戸城登城の際は鼻毛を敢えて伸ばし、また様々な奇行で愚鈍を装い、幕閣から危険視されるほどの器量はないと思わせる一方、加賀領内では農村の立て直しや年貢の徴収、辰巳用水の設置などの領地経営に手腕を発揮する。

 

 珠姫との嫡子の犬千代も成長し、水戸藩初代藩主頼房の娘、大姫を輿入れさせようとする一方、3代将軍家に対して、自身の諱(名)「利」が将軍の「」と同じでは恐れ多いとして返上を申し出る。家光は利光を「利常」と改名することを許すが、直ちに返上した「光」を犬千代に「偏諱(自身の一字を下げ渡すこと)」し、「高」と名乗ることを許し、利常を感動させる。

 

 大御所秀忠が病気の中、金沢市街が大火事に見舞われて金沢城を改築するさ中に、家臣の抜擢など派手な動きをしたために、謀反の噂が出る。幕府の調査団を招くこととなり、利常を慌てさせる。天下人の代替わり時期に疑われる宿命の「加賀百万石」。関ヶ原前夜に家康から嫌疑を受けた際に必死の弁明をした横山長知の子横山大膳は、時の大老で家康の落胤とも噂される土井利勝の厳しい詮議に対し、粘り強く理路整然と弁明して、「寛永の危機」と呼ばれた嫌疑を晴らすことに成功する。

 

 だが幕府による、有力大名を改易する「武断政治」は続く。そこで利常は家督を嫡子光高に譲ると同時に、自身は小松22万石を、次男には10万石、三男には7万石を譲り、加賀藩を80万石として目立たないように仕向けて前田家の安泰を図ろうと目論み、家光の反対を押し切って隠居する。

 

  前田綱紀ウィキペディア

 

 後を受け継いだ光高も、父に似て剛毅な「快男児」であった。大姫とも仲良く輿入れ後早速男子を産んだが、その子が3歳の時に光高は急死してしまう。呆然とする利常に対し幕府は、幼子の家督相続を認める代わりに後見を条件とし、加賀の藩政に更に注力をかけ「政治は1に加賀、2に土佐」と天下に聞こえるほどの手腕を発揮する。

 

 その中で幼い嫡子前田綱紀に対しては英才教育を施す。名君と言われる藩主との会話を隣室で聞かせ、嫁には将軍の補佐役、そして領地経営にも秀でていた保科正之の娘を輿入れさせて、66歳で死去する。

 

 後を継いだ綱紀は祖父利常の薫陶を受けて名君として成長し、また義父保科正之からの教えを乞い、更なる藩政改革に邁進する。新たな制度を次々と取り入れ、また学問も奨励して、木下順庵、室鳩巣、稲生若水など有名な儒学者を招くとともに書物も全国から収集して、新井白石から「加賀藩は天下の書府」と礼賛された。その統治は3代将軍家光から8代将軍吉宗の時代まで82歳で亡くなるまで続き、加賀前田藩の栄華を極めることになった。

 

【感想】

 理科の本で、水圧を利用して低い所から高い所に水を持ち上げる「逆サイホン」の原理を説明するため、江戸時代初期に作られた「辰巳用水」が取り上げられて、子供心に刺激を受けた記憶がある。ところが工事の責任者だった藩主利常は鼻毛を出し、江戸城登城を休んで老中から咎められた時「ここが痒くてたまらん」と睾丸を万座の前で取り出したエピソードを「こぼれ話」で知っていたので、利常と辰巳用水はなかなか結びつかなかった。

 

 

*水が下から上に流れる「逆サイホン」の仕組みを利用した辰巳用水(石川県土地改良史より)

 

 利常には激しい性格も内在し、「蛇責め」のエピソードも同じく「こぼれ話」で知って、子供心に受けたトラウマになった。利光は愛妻珠姫と仲睦まじく、側室も持たずに毎年子が生まれたが、珠姫の侍女お豊は珠姫の身体を心配して、利光が奥へお通りすることを邪魔していた。そのことを知った利光は、元は将軍秀忠の娘付侍女のため、わざわざ秀忠の許しも得た上で「蛇責め」で罰する。

 侍女を箱に閉じ込めて、その中に多数の毒蛇を入れると、穴という穴から体内に侵入すると読んで、想像しただけでも恐ろしかった(改めてググったが、とても画を紹介できない…)。本作品ではそこから金沢城に「カワウバ(厠にいる姥)」の幽霊が出るとした。その39年後に幽霊を慰めるため、藩主綱紀が深夜に蛇責めの跡を発掘して遺体を見つけ出す描写は、トラウマの追い打ちとなった。

 

 金沢城から5キロほど離れた所にある野田山には、藩祖利家を始め歴代藩主一族の墓があるが、山一帯が墓地のような構造をしている。樹木が茂った小山の中を上り下りする小径に沿って、ポツン、ポツンと墓地が点在する。神式のため土饅頭の形状で、他大名家が寺院に並べる「歴代藩主の墓」の姿とは一線を画した光景。墓所を抜けて麓に下りると、そこには加賀百万石を支えた家臣たちの墓石が、藩主たちを守るかのように、肩を並べて寄り添っている。

 

「志は千里に在り」。駿馬は老いて厩に伏したところで、志は千里のかなたをかけめぐろうとする(中巻395頁)

 

 偉大なる父前田利家の嫡子として、前田家の存続のために命を削った前田利長。その使命を同母弟ではなく、資質を見込んだ、まだ幼少の異母弟に託した。

 母の美貌は受け継がず婚期も遅れたが、自らを幸運と信じて、戦国の世を生きたお千世。「洗濯女」が産んだ子とその家系は、幕府から真っ先に狙われる立場にありながら、家臣たちとも協力して武断政治の危機を乗り切り、文治政治になると藩政で花開く。そして「加賀百万石」を明治維新まで継承した。

 

 

*荘厳な雰囲気が漂う、藩祖前田利家の墓(金沢市HPより)

 

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3-1 われに千里の思いあり ① 中村 彰彦(2008)

【あらすじ】

 美貌な母の容色を引き継がなかったために婚期を逃すが、自らの幸運を楽観的に信じていた下級武士の娘お千世は、前田家正室お松の侍女となったが、朝鮮出兵で当主前田利家肥前名護屋城に在陣していた時、「洗濯女」として派遣される。ところがそこで56歳の利家のお気に入りとなり、一子利光を生むことに。しかし正妻のお松は利家の子を多く産んでいたため、利光の処遇は軽んじられたものだった。

 

 豊臣秀吉政権の末期、嫡子秀頼はまだ子供で、実力者の徳川家康に対抗するため、秀吉は古くから知る「槍の又左」前田利家を家康の対抗馬として遇していた。利家もその意を汲むも、秀吉薨去後その役割を果たせぬまま亡くなってしまう。

 

 そんな中、利光の運命は自らの知らぬところで動いていく。関ヶ原の戦いでは、6歳で隣国丹羽長重の人質とされる。一方利家の後を継いだ嫡男の前田利長は、弟利政との対立や利光が豊臣家との繋がりのないこと、そして幼少の利光に非凡さを見い出すと、1605年に利光を養子にして家督を譲ることを決意、そして3歳であった将軍徳川秀忠の娘、珠姫お市の方の孫)を妻に迎える。

 

 身分が低く常に控えめな母お千世は、利家の小姓時代から仕えた糟糠の妻お松(芳春院)とも良好な関係とは言い難く、利光も同母の兄弟がいなくて、お松の子や孫に囲まれて対立などに苦しめられる。それでも実父利家譲りの堂々とした体格と、養父利長が見抜いた器量で藩の運営をこなしていく。

 

 初代藩主利長が亡くなり初陣となった大坂の陣でも、利家から仕える重臣に加え、新たに家来となった本多政重らの支えもあって堂々とした武将振りで、家康からの信頼を得る。また幼い時に輿入れした珠姫も成長し、子供同士の時から仲睦まじく、子も産まれて義父の将軍秀忠を喜ばせ、徳川将軍家との絆を深めていった。

 

  *前田利光(のち利常:ウィキペディア

 

 初代加賀藩主利長は不安に苛まされていた。自らが豊臣家と近く、また幕藩体制の中で加賀藩の存在が余りにも突出していることから、時機を見て改易を命ぜられることを危惧して、隠居して得ていた高岡22万石を奉還する意向を幕府に示す。その点二代目の利光は剛毅も持ち合わせていた。加賀120万石の誇りは失わないように、当時幕臣として父正信や兄正純との繋がりがある本多政重を使い、巧みな舵取りをしていく。

 

 家康が亡くなる。死の床に呼ばれた利光は、家康は加賀を取り潰しようとしたが、秀忠が取りなしたため、将軍秀忠の恩の報いるように遺言する。そして別の所からは、四国へ移封の噂も聞こえてくる。秀吉亡き後危機に陥った前田家だが、家康亡き後にもまた不吉な影が忍び寄ってくる。

 そんな折、将軍家との絆の象徴だった珠姫が、24歳の若さで生涯を終えてしまう。

 

  前田利家名古屋市HP)

 

【感想】

 福島正則は幕府の奸計に嵌まり改易された。では他に狙われた外様大名たちは、どのようにして改易の危機から逃れることができたのか。毛利家や島津家、そして上杉家はすでに触れたので、ここではまず大名一の石高を領する加賀前田家の場合から触れる。

 厳しい表現を使うと、豊臣秀吉は律儀者でもある前田利家を、その器量以上に厚く持ち上げて、徳川家康の対抗馬にさせようとしていた。利家も意気を感じていたが、その役割を果たす前に寿命が尽きてしまう。後を継いだ長男前田利長は武将としては有能だが、家康と対峙して天下を争うまでの器量も経験も不足していて、秀吉が利家に期待していたものが、利長にとっては重荷になってくる。自らの分をわきまえていた利長は、前田家100万石の「守成」を優先し、母お松の方を家康の人質に送る決断もして、隙あれば取り潰しを狙う家康との心理戦を強いられる。

 その心理戦の過程で運命があらぬ方向に転がり、幕藩体制で第1の封土を誇る加賀藩主に就任することになった「風雲児」前田利光(のちの利常)。この物語の冒頭から描く母お千世の運命もまた、本作品に相応しい「大河小説」の雰囲気を醸し出している。

 戦国時代を潜り抜けて、お家騒動や改易をテーマとした物語は描きやすいが、「守成」を主題とする物語は、物語として盛り上がりに欠ける。そんなテーマを名君保科正之を描いた中村彰彦が、加賀百万石の隠されたドラマを流ちょうな筆で描き出す。大坂の陣の戦いもあるが、家督相続、婚姻と床入り、大名の奥の生活、そして家臣団との関係。

 利家と利長は、数々の戦いを共にくぐり抜けた、尾張から続く家臣団と通じ合っている。そこに加賀を拝領してから採用した家臣団が加わり、更に「堂々たる隠密」と言われた本多政重なども交えて内紛も激しく、時によっては芳春院の血統を受け継ぐ一族衆などと繋がって、お家騒動を煽動する火ダネも数多く存在する。

 

  前田利長ウィキペディア

 

 特にお松の娘で関ヶ原の戦いで西軍についた宇喜多秀家の妻豪姫が、禁教となったキリスト教の棄教に従わない。義姉でもあり厚遇してきた利光も、加賀藩のためには改めて人質としての存在を認識させ、厳しい態度を示さなければならなかった。

 当時のお家騒動は、他家と同様改易に直結する。そんな不安も抱えながら、自らの努力と知恵、そして果断を巧みに使い分けて加賀藩を舵取り、継承へと導いていく。

 

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