小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

3-1 われに千里の思いあり ① 中村 彰彦(2008)

【あらすじ】

 美貌な母の容色を引き継がなかったために婚期を逃すが、自らの幸運を楽観的に信じていた下級武士の娘お千世は、前田家正室お松の侍女となったが、朝鮮出兵で当主前田利家肥前名護屋城に在陣していた時、「洗濯女」として派遣される。ところがそこで56歳の利家のお気に入りとなり、一子利光を生むことに。しかし正妻のお松は利家の子を多く産んでいたため、利光の処遇は軽んじられたものだった。

 

 豊臣秀吉政権の末期、嫡子秀頼はまだ子供で、実力者の徳川家康に対抗するため、秀吉は古くから知る「槍の又左」前田利家を家康の対抗馬として遇していた。利家もその意を汲むも、秀吉薨去後その役割を果たせぬまま亡くなってしまう。

 

 そんな中、利光の運命は自らの知らぬところで動いていく。関ヶ原の戦いでは、6歳で隣国丹羽長重の人質とされる。一方利家の後を継いだ嫡男の前田利長は、弟利政との対立や利光が豊臣家との繋がりのないこと、そして幼少の利光に非凡さを見い出すと、1605年に利光を養子にして家督を譲ることを決意、そして3歳であった将軍徳川秀忠の娘、珠姫お市の方の孫)を妻に迎える。

 

 身分が低く常に控えめな母お千世は、利家の小姓時代から仕えた糟糠の妻お松(芳春院)とも良好な関係とは言い難く、利光も同母の兄弟がいなくて、お松の子や孫に囲まれて対立などに苦しめられる。それでも実父利家譲りの堂々とした体格と、養父利長が見抜いた器量で藩の運営をこなしていく。

 

 初代藩主利長が亡くなり初陣となった大坂の陣でも、利家から仕える重臣に加え、新たに家来となった本多政重らの支えもあって堂々とした武将振りで、家康からの信頼を得る。また幼い時に輿入れした珠姫も成長し、子供同士の時から仲睦まじく、子も産まれて義父の将軍秀忠を喜ばせ、徳川将軍家との絆を深めていった。

 

  *前田利光(のち利常:ウィキペディア

 

 初代加賀藩主利長は不安に苛まされていた。自らが豊臣家と近く、また幕藩体制の中で加賀藩の存在が余りにも突出していることから、時機を見て改易を命ぜられることを危惧して、隠居して得ていた高岡22万石を奉還する意向を幕府に示す。その点二代目の利光は剛毅も持ち合わせていた。加賀120万石の誇りは失わないように、当時幕臣として父正信や兄正純との繋がりがある本多政重を使い、巧みな舵取りをしていく。

 

 家康が亡くなる。死の床に呼ばれた利光は、家康は加賀を取り潰しようとしたが、秀忠が取りなしたため、将軍秀忠の恩の報いるように遺言する。そして別の所からは、四国へ移封の噂も聞こえてくる。秀吉亡き後危機に陥った前田家だが、家康亡き後にもまた不吉な影が忍び寄ってくる。

 そんな折、将軍家との絆の象徴だった珠姫が、24歳の若さで生涯を終えてしまう。

 

  前田利家名古屋市HP)

 

【感想】

 福島正則は幕府の奸計に嵌まり改易された。では他に狙われた外様大名たちは、どのようにして改易の危機から逃れることができたのか。毛利家や島津家、そして上杉家はすでに触れたので、ここではまず大名一の石高を領する加賀前田家の場合から触れる。

 厳しい表現を使うと、豊臣秀吉は律儀者でもある前田利家を、その器量以上に厚く持ち上げて、徳川家康の対抗馬にさせようとしていた。利家も意気を感じていたが、その役割を果たす前に寿命が尽きてしまう。後を継いだ長男前田利長は武将としては有能だが、家康と対峙して天下を争うまでの器量も経験も不足していて、秀吉が利家に期待していたものが、利長にとっては重荷になってくる。自らの分をわきまえていた利長は、前田家100万石の「守成」を優先し、母お松の方を家康の人質に送る決断もして、隙あれば取り潰しを狙う家康との心理戦を強いられる。

 その心理戦の過程で運命があらぬ方向に転がり、幕藩体制で第1の封土を誇る加賀藩主に就任することになった「風雲児」前田利光(のちの利常)。この物語の冒頭から描く母お千世の運命もまた、本作品に相応しい「大河小説」の雰囲気を醸し出している。

 戦国時代を潜り抜けて、お家騒動や改易をテーマとした物語は描きやすいが、「守成」を主題とする物語は、物語として盛り上がりに欠ける。そんなテーマを名君保科正之を描いた中村彰彦が、加賀百万石の隠されたドラマを流ちょうな筆で描き出す。大坂の陣の戦いもあるが、家督相続、婚姻と床入り、大名の奥の生活、そして家臣団との関係。

 利家と利長は、数々の戦いを共にくぐり抜けた、尾張から続く家臣団と通じ合っている。そこに加賀を拝領してから採用した家臣団が加わり、更に「堂々たる隠密」と言われた本多政重なども交えて内紛も激しく、時によっては芳春院の血統を受け継ぐ一族衆などと繋がって、お家騒動を煽動する火ダネも数多く存在する。

 

  前田利長ウィキペディア

 

 特にお松の娘で関ヶ原の戦いで西軍についた宇喜多秀家の妻豪姫が、禁教となったキリスト教の棄教に従わない。義姉でもあり厚遇してきた利光も、加賀藩のためには改めて人質としての存在を認識させ、厳しい態度を示さなければならなかった。

 当時のお家騒動は、他家と同様改易に直結する。そんな不安も抱えながら、自らの努力と知恵、そして果断を巧みに使い分けて加賀藩を舵取り、継承へと導いていく。

 

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