小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

15 花神 (1972)

*何とも趣のある新装版の表紙(全3巻)

 周防国の百姓医として生れた村田蔵六。学業に秀でて、大坂の適塾では抜群の成績を収めて塾頭になるも、無愛想で人と交わることもせず、周囲からは変人扱いされていた。そんな時蔵六は塾の使いで赴いた旅先で、混血婦人の産科医、イネとめぐり逢う。イネの正体は、日本の蘭学を一変させた医師、シーボルトの遺児であった。

 

 黒船来航より蘭学者の需要が高まり、蔵六も伊予宇和島藩に招かれて蒸気船の建造や砲台の建設にも尽力する。そして蔵六は宇和島に来たイネと再会し、恋慕を抱くも深入りすることを避け、イネとの距離を置くためにも江戸へ出府する。

 

 江戸でも蔵六の学才は評判となり、やがて故郷であり、また倒幕派の急先鋒であった長州藩から声がかかり、藩の軍制改革に携わることになる。急進派が長州藩政を握り、幕府との全面対決を決意すると、長州では百姓医上がりの身分であった蔵六が全軍の指揮を任されることになった。名を「大村益次郎永敏」と改め、幕府との対決に挑む。

 

 蔵六は幕府との戦争の前に、軍の近代化を行ない、施条銃を始めとする新鋭兵器を可能な限り集めて準備を整えた。対して幕府軍は脆弱で、かつ戦国以来の軍制のままのため敗退を繰り返し、幕府の権威は一挙に失墜する。その様子を見て薩摩もついに倒幕を決断し、鳥羽伏見の戦いでは幕府軍を京坂の地から追いやり、新政府を樹立して江戸に侵攻する。

 

   

 前頭葉が発達した印象を受ける大村益次郎ウィキペディアより)

 

 幕府軍は恭順したが、その残党は上野寛永寺に立てこもる。新政府は治安を守るためにも討伐する必要があった。しかし財政難に苦しむ新政府は、討伐するのに街を焼いてはならないという、極めて厳しい条件が課せられる。ここで蔵六は江戸の大火の歴史を丹念に調べて研究を重ね、数式のように精巧な作戦を構築する。そして事前の予測通り1日で、火事を出さずに反乱を鎮圧する難事をやり遂げた。

 

 江戸の鎮圧後、官軍は奥羽から蝦夷地へと転戦する中、蔵六は最高司令官として指揮を執っていたが、独断専行により反発も招いた。また新政府で蔵六は国民皆兵制度を打ち出し身分制廃止を進めるが、武士出身層から激しい反発を招く。愛想の悪さも相まって多くの敵を作った蔵六は、ついに大坂で襲撃を受けて命を奪われる。

 

 イネは蔵六の遭難を聞くや、遠路はるばる駆けつけて、その後蔵六が息を引き取るまでの間、寝食を忘れて看病を続けた。機械のように他人のために生きた男だったが、臨終までのひと時は人に尽くされる、幸福な時間を過ごすことができた。

 

【感想】

 中学1年生の時大河ドラマで放送されたのを観て興味を持ち、初めて司馬遼太郎の小説を手にした、思い出深い作品。今で言うとアスペルガー症候群のような主人公の造型にハマって読んだ。

 頭脳明晰。そして数学者の天稟とも言える、数学の問題を瞬時に解き明かす「直感」にも似た才能を有していた。そのためプロセスを省いていきなり結論に辿り着くことができる。蔵六から見れば「公理」に説明は不要だが、周囲は誤解と反感を抱く。そんな合理主義の権化とも言える人物を、司馬遼太郎は丹念に描いた。

 

 木戸孝允坂本龍馬だけでなく、大村益次郎とも不思議な縁で結ばれていました。

 

 本作品の序盤で、蔵六は初めて訪れる場所を、調べたり聞いたりせず真っ直ぐ行き着く「能力」を描いている。師匠の緒方洪庵を始め周囲は驚くが、蔵六は当然と思っているため、なぜ皆が驚くかがわからない。そんな自らの知識に何の疑いも持たずに実行できるのも1つの才能であり、「もし間違えていたら」という不安も入り込む余地はない。13歳の頃は感心するのみだったが、社会人になって仕事をすると、このことがどれだけ大変なことか、痛いほどよくわかる。

 蔵六が他の蘭学者と違った才能。それは軍学書の内容をただ訳すだけでなく、脳裏に克明に映像化できたこと。外国に行ったことがない(上海に行った疑いがあるが、少なくとも外国の軍隊を見ていない)蔵六が、まるで見たかのように想像して、それを日本語に訳す才能。渡米経験のある勝海舟がその才能に驚き、蔵六が指揮する長州征伐に、幕臣として戦争の展望を憂えたエピソードがある。これは「竜馬がゆく」で勝が西郷を語った竜馬に言った「評する人も、評される人も」に重なる。この能力を理解できた数少ない人として、蔵六が担った「革命の仕上げ人」としての役割を、勝海舟に語らせる構成は唸るばかり。

 似たようなことが、戊辰戦争の最中でも起きる。戦争の最中で、蔵六は新政府の一員として西郷隆盛と接する機会を得るが、そこで革命の「花咲か爺さん(=花神)」は「直感」で、西郷隆盛を花の咲かない巨木と認識する。まだ戊辰戦争が収まらないうちに後の西南戦争を予見した蔵六の心象を、このような構成と表現、そして「タイトル」で表した司馬遼太郎の感性に感じ入り、司馬作品にのめり込むきっかけとなった。

 手足と首、尻尾が出ない亀に見立てた「蔵六」と名乗った男。そして自分を「1個の機械」と自嘲した人生。自らの身辺を簡素にして他人のための「仕事」に集中する性格は、13歳の少年に感銘を与えた。今本作品を振り返ると、集中力に欠けて物事をやり遂げることができず、また趣味と遊興を優先してしまった自分の人生に、改めて反省の念を抱かせる。

 

*こちらは吉田松陰から高杉晋作、そして伊藤博文井上馨に至る、長州藩「回天の正史」を描いた作品