小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

12 北斗の人 (1966)

【あらすじ】

 父幸右衛門が流浪中に生を受けた千葉周作は、遠縁にあたる千葉吉乃丞の養子となる。吉乃丞が編み出した「北辰夢想流」の剣技を伝授された幸右衛門は、周作が幼い時から剣術を仕込み、また周作も体格にも恵まれ、剣技の才能を発揮する。父は千葉家最高の夢を息子に委ね、周作を連れて江戸に向かう。

 

 江戸に近い下総国松戸で、中西派一刀流の高弟で江戸でも高名な剣豪である浅利又七郎の道場に入門する。周作はすぐさま頭角を現わし、道場内でかなう者はいなくなった。周作は「天下の剣壇の総帥になりたい」という望みを抱き、夜ごと空を仰いで北斗七星に祈りを捧げるようになる。その後周作は木刀を使う古流の馬庭念流の剣客、本間仙五郎と試合をする。市内による打ち合い稽古を重視する周作との試合は、周作の無残な敗北に終った。完膚なきまでにたたきのめされた周作は、新しい流派を研鑽して、いつの日か古流を打ち破ることを決意する。

 

 江戸で名を広めた周作だが、浅利又七郎が松戸の道場に戻るように告げ、周作はやむなく松戸に戻る。門人達を指導するにあたって、周作が考えていた新しい剣術を教える。本来兵法というのは合理的な理論で構築されるべきだが、既存のどの流儀も技術を仰々しい言葉で装飾していた。周作は持ち前の合理的思考で、剣術を純然たる「力学」に組み替えた。合理的で平易な周作の教授法は評判を呼んで、門人は飛躍的に増やすものの、又七郎はそうした教授法を古流に対する冒涜と受け取った。又七郎は教授法を旧来に戻るように厳命するが、周作は頑として譲らない。結局両者は袂を分かち、周作は目録を返上して、養子の縁も切って、浅利家を去ることになる。

 

  千葉周作ウィキペディアより)

 

 中西派を破門になった周作は、自ら「北辰一刀流」と命名した流派を開き、たちまち江戸の剣壇を圧した。そして上泉伊勢守に端を発して幾多の剣豪を産んできた、因縁の馬庭念流の本拠地でもある上州に踏み入る。そこでも爆発的な人気を呼んで、弟子達は調子にのって馬庭念流を刺激して一足即発の事態に陥る。そこで周作は単身、馬庭念流の当主、樋口定輝と直談判して争いを回避して、周作は上州から撤収する。その後東海道から西国へと剣術詮議の旅に出た周作は、その名を天下に轟かせ、いよいよ江戸で道場を開き、門者は後を絶たなかった。周作の剣理によって、停滞が続いた剣術は一新され、その後の隆盛を築くことになった。

 

【感想】

 自分の若いときの苦い戦争経験から、精神論を廃して、合理主義を信奉した日本人に注目して描き続けた司馬遼太郎。本作品では、剣術に合理的な思考を取り入れて、それまでの宗教的な装飾に纏われて、ともすれば実際的な用を足さない「免許皆伝」を貴ぶ剣術にメスを入れた千葉周作を取り上げた。従来の木刀による「形」を重視した指導法に対し、竹刀と防具を用いて本気の打ち合いができるようにして技術を磨き、そこから組み手を考え抜いて実践に役立てる教授法を考えた。

 但しそこに至るまではご多分に漏れず、若い時は旧勢力との対立に追われることになる。「守旧派」も200年続いた伝統に安住して、難渋な言葉使いで煙をまくような「秘伝書」で権威付けをして、その権威を背景に新勢力に対抗しようとする。

 剣術は学問や芸術と異なり、試合によって最終的には白黒が付きやすい。例えば「権現様のお定め通り」を遵奉していた政治体制が、外圧によってしか変化がなしえなかったのとは異なり、自らイノベーションを行うことができた。その推進役である千葉周作は、剣術に対しては天賦の才に恵まれ、偉丈夫と呼ばれた体格と努力、そして剣術を「力学」として突き詰める頭脳があった。実力でも他を圧倒して、新しい「剣理」への批判を黙らせた。

  ウィキペディアより

 

 そしてこの合理的な剣理を奉ずる流派から、幕末に勤王の志士が数多く輩出していくのも理解できる。坂本龍馬や清川八郎など、剣の合理性を学んだ剣士達が、日本の政治体制の「非」合理性に違和感を抱いて「志士」となっていったのも自然の流れだろう(千葉門下からは、山南敬助藤堂平助など、新撰組幹部も生れたが、2人とも傍流で新撰組内で非業の死を遂げている)。「竜馬がゆく」の連載に後追いして本作品を書き始めたのは、有名な「神田古本街から、龍馬に関する本が消えた」と言われた膨大な資料から千葉道場を調べて、千葉周作に行き着いたとしか思えない。

それ、剣は瞬速。心・気・力の一致

 周作が生涯好んで使ったこの言葉に、北辰一刀流の剣理が集約されている。剣術は詰まるところ太刀行きの早さであり、難解な思想はいらない。剣術を宗教的な装飾は排して「力学」として組み立てた千葉周作の思考は、10代の頃軍隊で理不尽な経験を繰り返した司馬遼太郎から見れば、さぞかし鮮やかに映ったことであろう。

 

  毎日新聞より