小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

18 春にして君を離れ (1944)

 

【あらすじ】

 地方弁護士の夫との間に1男2女に恵まれ、よき妻・よき母であると自負している主人公ジョーン・スカダモアは、結婚してバグダッドにいる末娘(次女)の急病を見舞った帰りの一人旅の途上にある。荒天が一帯を襲い、交通網は寸断される。列車の来るあてのないまま、砂漠のなかにあるトルコ国境の駅の鉄道宿泊所(レストハウス)に、旅行者としてはただ一人幾日もとどまることを余儀なくされる。

 何もすることがなくなった彼女は、自分の来し方を回想する。やがて彼女は、自分の家族や人生についての自分の認識に疑念を抱き、今まで気づかなかった真実が浮かび上がっていく。

  

【感想】

 ミステリーではないが、様々な所で取り上げられて、様々な意見が出ている作品。

 そして私はまず、誰にも共感されないであろう感想から書きます。小さいフォントで書くので、興味のない方は飛ばし読みしてください。 

 1970年代後半から少年ジャンプで連載されたボクシング漫画「リングにかけろ」。主人公高嶺竜児のライバル剣崎順の必殺ブローはギャラクティカ・マグナム。このブローが繰り出されると、見開きで火砕流が背景に描かれ、圧倒的迫力で相手は吹っ飛ばされる。

 そして剣崎が次にあみ出された必殺ブローはギャラクティカ・ファントム。このブローが放たれると背景は宇宙空間に変わり、相手は無重力の中に「スコーン」と投げ飛ばされる。何が何だかわからないが、とても効くのだろうと思わせる(ふう)。

 私がこの本を読んで感じたのは、この「ギャラクティカ・ファントム」を受けて無重力空間に投げ出された対戦相手の状態(?)。主人公から見た情景がエピローグになると突然様相を変えて、それまで安定したいたものが無重力空間に変わり、全ての支えを失ってしまう「喪失感」に包まれた気持ちにさせられた。

               f:id:nmukkun:20210723083913j:plain

               *画像「少年ジャンプ」

 

  妄想から戻ると(?)、本作品はクリスティーがメアリ・ウェストマコット名義で書いた小説の第三作。ウェストマコット名義はミステリーではない女性ロマンス的な分野とされ、「娘として」「妻として」そして「母として」様々な女性像を描いている。作品の中で犯罪は起きないが、そこはクリスティー。物語の展開、登場人物の感情の綾、そしてどんでん返しとミステリーファンにも読ませる小説となっている。

 クリスティー自身が自伝の中で「自分で完全に満足いく1つの小説を書いた」と言わしめた作品。勝手ながら想像すると、クリスティーは少女の時から、おませで読書好きで、大人の心理を観察することが好きだったのだろう(そのような少女が、クリスティーの作品でよく登場する)。

 そして成長するにつれて、相手の言葉や動作が、どのような心理を背景に行われているかが「透けて」しまう。それが善意なのか、悪意なのか、それとも無意識によるものなのかが、クリスティーには全てわかってしまう。自分の「透視能力」が周囲に知られたくない思いを、成人して、結婚して、一時期感じたのではないだろうか。それをミステリーでは登場人物、特に犯人の動機や人間関係のミスディレクションとして描き、本作品では前面に押し出して表現した。

 クリスティーを思わせる、テレパシーで人の意識が透けて読めてしまう女性主人公の苦悩を描いた、筒井康隆の名作「七瀬3部作」の第1作。

         

 本作品の主人公ジョーン・スカダモアは非常にわかりやすい設定にしている。妻の立場で無意識のうちに相手を値踏みし、「マウンティング」して自分の優越感を確かめる。そして、相手がどのように自分を感じているのかまで思い至らない。

 しかし自分の周りに、そして自分自身の中に、大なり小なりジョーン・スカダモアは「存在する」。その存在が時には影に引っ込み、時にはちょっと顔を出し、そして時には前面に押し出される。ネット上の炎上、弱く抵抗しない相手に皆でこぞって批判するのは、心の中の一部を占める、この種の類いだろう。

 対して夫は、妻の性格を知りながらもそのままにしている。昔は言い合ったこともあるだろうが、おそらく様々な会話をするにつれて、自分の「城」を築いてしまった妻の「攻略」ができないと悟ったのだろう。同じく「母親」を攻略できない娘とともに、現在の生活を壊さないためにも、自分が譲る生き方を選んだと思われる。

 これは同じ夫として理解できる(決して配偶者が「ジョーンのよう」と言うわけでは「絶対に!」(絶対に?)ない)。夫婦で暮らして行くには、お互い譲り合うことも必要。そう言ったら恐らくジョーンも「自分を犠牲にして、家族の幸福のために今まで精一杯努力してきた」と言うだろう。それはそれで間違いはない。 

           f:id:nmukkun:20210723084421j:plain

 

 昔の話だが、弁護士から民事上の争いで妻が介入した場合、大抵の場合は解決が長引くと聞いたことがある。これは男女に限らないと思うが、特に昔の専業主婦は、自分の価値観に対して批判されることない生活をしていきたため、紛争があると自分の意見が正しいと思い込み、決して相手方に譲らないからだという。

 現在は女性の社会進出などで、このような考えを持つ女性は少なくなったと思うし、反対に自我に強く「切れやすい」男も増えている。また成功体験を信じて疑わない「パワハラ」上司も同様の思考を持つと思われる。重ねて言うが、決して男女の性別による思考の違いではない。そのような思考に対して夫は、妻は、部下は、そして周囲は、本人に余り刺激を与えずに「敬して遠ざけて」生活することを選ぶことも、往々にしてある。

 そして全てが透けて見えてしまうクリスティーからすると、ジョーンのような存在をどう思ったのか、そしてどう対処したのかは容易に想像がつく。そんな経験と「観察」を積み重ねて、「完全に満足いく1つの小説」を作り上げた。

 本作品におけるジョーンの肥大化した自意識を、「犯罪者の心理」として発展する感想を述べているコラムを見る。それも1つの見方だが、私がこの作品、そしてジョーンを読んで最初に連想したのは、「鏡は横にひび割れて」に登場する「被害者」である

 nmukkun.hatenablog.com