小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

1989年1月8日(日)

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

 昭和64年1月7日の朝、昭和天皇崩御されました。社会人1年目だった私は、当日は土曜の半日出勤日。終業後その足で皇居の赴き記帳をさせて頂き、私なりに「昭和」の幕を閉じました。私にとっての昭和は、子供が大人になる時代でもありました。

 そして翌日1月8日、「平成」がスタートします。昭和天皇の御容体で前年秋から自粛ムードが続いていましたが、新しい年号と新天皇の即位で、やや明るい雰囲気にもなりました。これはコロナ禍でのオリンピック開幕と重なるかもしれません(直前までのゴタゴタを見ると、コメントする気が失せましたが・・・・)。

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 私にとっての平成元年1月8日は、今でも記憶に残っています。テレビはどこも昭和回顧の同じような番組が続いたため、さすがにテレビからは離れ、懸案だった作業に取り組みました。それは利用していた富士通ワープロ「オアシス」にモデムを設置して、当時流行り始めたパソコン通信ニフティサーブ」の接続に取りかかることです。悪戦苦闘の上通信が無事接続されて、大量の「テキスト文書」がワープロ画面にダウンロードされたときの感動は、今でも忘れられません。

 大量の文字情報が、初めて個人的に入手できるようになりました。そこには同じ趣味を持った人たちが集まる「フォーラム」が次々と立ち上がっていて、コアな情報のやり取りが交わされていました。私は当時夢中だったF-1のフォーラムでマシンやドライバーの情報を入手し、当時はなかなかリアルタイムでは伝えられなかったレースの経過や結果に一喜一憂していました。

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 ここで「平成時代」を大急ぎで振り返ります。

 政治的には自民党が2度も政権から下野するも、都度不死鳥の如く返り咲きました。

 国際的には平成元年にベルリンの壁が崩壊して、冷戦が終結したと思ったら、また次の対立抗争が生まれて現在に続いています。

 社会的には阪神淡路大震災東日本大震災などの大きな自然災害に見舞われ、また平成元年に起きた「坂本弁護士一家事件」をきっかけに、オウム真理教の一連の事件が報道され、刑の執行まで平成を通して影を落とすことになります。

 スポーツ界では、イチローが平成31年の3月21日までの長い現役生活を続けて「巨人ブランド」に代わるプロ野球の象徴になりました。またJリーブも同じ平成4年に開幕して、野球以外のプロスポーツが日本に根付くきっかけとなります。

 経済分野。バブルの宴から崩壊、そして「失われた10年」と乱気流に巻き込まれます。

 そんな中でIT分野は躍進を遂げます。平成4年にはWindows3.1が発表され、当時最先端だったマッキントッシュに追いつこうとします。平成6年にはコードネーム「Chicago」(秋葉原に大きな看板が掛かっていたことを覚えています)として開発されていた次期OS「Windows95」が発売されて、パソコンが急速に広まりました。それと共にパソコン通信は、次第にインターネットに取って代わられることになります。

 パソコンがオフィスで当たり前の存在となり、インターネットが発達することで、日本に限らず世界経済で大きな地殻変動が起きました。単にIT企業の隆盛を招いただけでなく、企業内での働き方にも変化が起きました。これは個人的な感想ですが、1986年に改正・施行されたいわゆる男女雇用機会均等法についても、法の不備がある反面、IT化によって男女の活躍の場が次第に共通化されて、女性の社会進出を進める手助けになったと思います。反面、付加価値労働の範囲が狭まり、またデフレにも関連して所得が引き下げられて、夫婦共稼ぎを「しなければならない」状況も生まれています。

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 ITの浸透によって、現在は「ビックテック」などと呼ばれているITの巨大企業に富の集中が行われています。人類史の中で革命や戦争、そして産業革命などと並び称される、歴史に残る経済基盤の変化がこの「平成時代」に進行しました。私は平成元年1月8日に、パソコン通信を接続するため悪戦苦闘していましたが、その延長線上に自分の社会人生活に大きな変化をもたらし、また目の前に「ビックビジネス」のチャンスがぶら下がっていたとは思いも寄らず、一喜一憂していました。

 でもそれはしょうが無い話。今から考えても私には、IT業界で勝ち抜く「能力」も、他者を押し分けて競争に勝ち抜く「鋼のメンタル」も持ち合わせていませんでした。

 時は流れて令和元年5月1日。私は再び元号が代わる瞬間を、翌日の祝日を良いことに徹夜で読書をする決心をして、腹ごしらえのためにラーメン屋に行って、メタボの進行に邁進していましたとさ(ダメだ、こりゃ)。

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