小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

17 検察側の証人(1954)

【あらすじ】

 高名なウィルフリッド・ロバーツ卿の法律事務所レナード・ボウルという若者が訪ねてくる。ある夜金持の未亡人が撲殺された事件の容疑者となっているが、自身は全く身に覚えがないと主張しているのだ。状況証拠は容疑者の青年に不利なものばかり。金が目当てだとすれば動機も充分。当のレナードは、婦人の死亡推定時刻の午後9時半には自宅に帰っていたと主張するが、それを証明できる者は、妻で、その関係から法廷では証拠として見なされないローマイン・ハイルガ―だけだった。

 後に婦人の「全財産をレナード・ボウルに相続させる」と書かれた遺言書が見つかったことで、ますます彼を不利な状況へと追い込まれた。こうして迎えた公判で、無罪を主張するロバーツ卿の弁護側に対して、検察側はある一人の証人を召喚する。そこに現れたのは、レナードの妻のローマインだった。

 

 【感想】

 ここからは、特定の探偵が登場しない「ノン・ジャンル」の分類になります。

 本作品は1925年に発表された短編小説を後に、クリスティー自身によって戯曲の台本に書き直された作品。1953年からはロンドンとニューヨークで数百回にわたって舞台として上演され、1957年には『情婦』というタイトルで映画化もされている。今回私が取り上げたのは、結末が一部書き加えられた戯曲版である。

 戯曲なので会話が主で地の文は少ないが、とても面白い。内容もクリスティーが得意の男女の三角関係がポイントとなる法廷サスペンスとなっている。日本では法廷でドラマは起きにくいが(テレビで描かれる日本の法廷サスペンスは噴飯ものである)、英米では陪審員制度が昔から定着しているためか、文字通りのドラマとなっている。昔は弁護士も検察も、陪審員をうならせる「小芝居」が必要だったのだろう。

 ストーリーとしては、なぜ妻のローマインが本の題名通り「検察側」の証人として出廷してきたのかがキモとなっている。妻の証言は証拠と見なされないことが多く、そのためロバーツ卿も「弁護側」の証人出廷をあきらめた経緯もあった。そこに疑問を持ったロバーツ卿は、一つの出来事を中心に証言の嘘を見破り、事件の風景をひっくり返すのだが、そこからも二転三転と、小説に比して短い分量にもかかわらず、クリスティー流の仕掛けがたくさん詰め込まれている。

  物語の骨組みや、登場人物たちが文字通り「懸命に」演じた事件の背景。これは分量は半分ほどだが、「ナイルに死す」を思わせる。そして「ナイルに死す」の持つ「芳醇さ」だけを失わせずにかつ、舞台を意識した結末を設定し、戯曲とは思えない読み応えを持つ。

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  映画「情婦」より

 

 映画『情婦』は、ほぼ原作に忠実。最近NHKのBSで何度か放送されて観る機会があったのだが、出だしはクリスティー流のユーモアを思わせ、それから法廷での二転三転の展開、各登場人物の演技など、原作の雰囲気を壊さない内容で、非常に興味深く感銘を受けた。

  ちょうど今年(2021年)8月から日本でも舞台化されて東京、大阪、兵庫で上演される予定で、ちょっと気になる。そしてさだまさしは本作品にインスパイアされて、実験的な曲を作った。その名もズバリ「検察側の証人」。ストーリーは本作品とは異なるが、男女が別れる理由を、男の立場、女の立場、そして第3者の立場でその違いをかき分けて、更に1番、2番、3番で声質も変えて歌い分けた「クリスティー」のテイストを感じさせる楽曲となっている。

 テレビもなく映画もまだ発展途上の時代、クリスティーは小説だけでなく舞台の戯曲でも華々しい活躍を遂げている。おそらくクリスティーは小説を創作する際、頭の中で登場人物が溌剌と動き回っていたのだろう。そして読者を驚かす仕掛けとタイミングは身についている。それはそのまま、戯曲の創作にも直結する才能と思える。

 

 


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ライブ版は動きがあって画像的にはいいのですが、声質の違いなど曲の作りが凝っているのでこちらをアップしました。とは言え発表は1980年と今から30年以上前になります(さださん、若い ! )。