華の碑文 世阿弥元清 (中公文庫 す3-34) [ 杉本苑子 ]
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【あらすじ】
室町時代の初頭、まだ南北の朝廷が競い合い、戦乱が収まらないころ。「能」は存在せず、猿楽一座の座頭、結崎清次(後の観阿弥)は、大和興福寺の神事に携わることで僅かな禄米を貰い、一座の生活を営んでいた。普段は地方に巡業して、地元では僧兵たちから、奴僕のように扱われる存在にすぎない。
観阿弥の子、長男の藤若(後の世阿弥)はそんな虐げられた状態でも、芸の道に邁進していた。美少年のため屈強たる僧兵から慰みものにされても弱音を吐かず、父観阿弥による芸の指導にも一心不乱に打ち込んでいる。そんな兄藤若の姿を見て、弟の竹若(後の四郎元仲)は憧憬の目を向けていた。
藤若の評判を聞きつけて観阿弥一座の興行を観覧した権力者の足利義満は、若く美しい藤若に魅了され、寵童とすると共に一座を保護する。強大なスポンサーを得た藤若は芸の道を極めるために、義満の寵童という立場も積極的に受け入れた。対して弟の竹若はそれまでの覚悟が足りず、管領細川頼之から寵童として召されるも、おぞましさと痛みに耐えかねて逃げてしまい、兄から叱責される。
観阿弥一族は南朝の雄、楠木正成の一族と血が繋がっていた。一時は北朝側に付いた楠木家は南朝側に寝返り、竹若と交流のあった楠木正元は梟首とされる。観阿弥は幕府内で居場所が無くなり、義満にも勧められて巡業を行なうも、駿河で南朝嫌い、楠木嫌いで知られる今川心省入道の手で暗殺されてしまう。
世阿弥と名を変えた藤若は、亡き父が創生した曲舞から「雑味」を除いて芸術まで高める。過去の古典を調べぬき、自らの経験と考えを系統立てて構築し、ついに傑作「井筒」を作りあげる。その後も次々と新作を発表し、その神韻に迫る芸に世間の絶賛を浴びて、猿楽は「能」という一境地に到達した。
*世阿弥が自画自賛した傑作「井筒」。伊勢物語を題材に取り、主人公(シテ)は亡き夫の在原業平を慕う妻。「井筒」は幼い頃夫と遊んだ井戸の周りの枠を意味します(ウィキペディア)
しかし最大の支援者である足利義満が亡くなることで、状況は一変する。父義満を引き継いだ4代将軍義持は、父への反発から世阿弥一座を遠ざける。更に時代は流れ、義持の弟義教が6代将軍に就任すると、出家時に寵童として可愛がっていた元仲の子音阿弥を寵愛した。
権力者から嫌われた世阿弥は、微罪を被り72歳の高齢で佐渡に流罪となり、子の元雅も巡業の路傍で亡くなる。それでも世阿弥は能に生涯をつぎ込む。親子や兄弟の愛憎を捨て、才能だけを見て甥に当たる音阿弥が後継に相応しいと判断し、500年、1,000年先まで見据えて「風姿花伝」を伝承させ、自らの芸の神髄を音阿弥に注ぎ込んだ。
将軍義教が暗殺されると世阿弥が赦免され80歳で京に戻る。弟は憧憬の目を持って兄を迎え入れる。
【感想】
天才とも言える世阿弥元清の生涯を、弟の観世四郎元仲の視点から描く物語。その視点は、森乱丸を見る弟の視点が挿入される新保裕一の「覇王の番人」を思い出させる。世阿弥は織田信長に一途であった森乱丸のように、(義満にではなく)芸に対して一途に励み、そのためには痛みも苦労もそして屈辱も乗り越える人物として描かれる。
*世阿弥(法成寺蔵)
「秘すれば花」、「無用のことをせぬと知る心」、「不易の美」、「身体で識れ」、「人気の質は、厳撰しなければならない」など、「風姿花伝」で説かれた、現代にも通じる(しかし凡人ではその本当の意図はわからない)鋭敏な感性から生まれた言葉をちりばめながら、物語は進んでいく。
しかしそのためには弟の四郎元仲を始め、妻や弟子、将軍、そして子供たちにすら世阿弥は妥協しない。世阿弥は妻於寿々との営みも、子供の頃のトラウマがあるせいか「勤め」とするが、世阿弥を恋焦がれて妻になった幼馴染の於寿々は受け入れられない。そんなことを弟に乾いた口調で語るも、聞く側の弟は内心兄の妻に恋い焦がれ、しかも妻は兄に恋慕することで、物語に深みを与えている。
物語は芸に対して一途に極めようとする世阿弥を縦軸としながらも、権力者に取り込まれてから、その権力闘争に巻き込まれていく一族の命運を横軸として描かれる。一部記録からすると世阿弥の父観阿弥は楠木正成の妹の子、つまり甥に当たる関係と記されている。この辺のナイーブな設定が当時の政治情勢に反映する。管領細川頼之には南北朝合一を強力に進めた役割を与えて、当時の権力地図に見事に反映した。
そして足利義満の子供たち。長男で将軍職を継ぐも、父の「大御所」に実権を奪われ、父の死後は父の全てを否定にかかる義持。父に愛され、義持を押しのけて将軍職を奪おうとする勢いがありながら、父の死後は関東管領の反乱に呼応した罪で殺害された義嗣。そして同年生まれながら義嗣と差をつけられて出家した後、劇的な運命で将軍職に就任することになる義教。特に義嗣の寵童に世阿弥の子元雅を、義教の寵童に元仲の子音阿弥を据えて、その後の将軍家と観世座共々の「運命の転換」を描くところは秀逸。
*世阿弥は足利義満の庇護を受けたことから運命が開け、代々の将軍との関係で運命が盛衰します。
元仲の子音阿弥は足利義教、そしてその子の足利義政から絶大な支援を受ける。長年に渡り第一人者として君臨し、世阿弥が築いた「能」を確立して現在まで至る礎となった。
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