*著者の人生に大きな影を落とした毛沢東。次作の「マオ 誰も知らなかった毛沢東」で実像に迫りました。
【あらすじ】
母の夏徳鴻が四川省に到着した1949年、共産党は蒋介石を台湾に駆逐して、中華人民共和国を建国する。新しい国家は男女を平等に扱い、女性を家に縛られる立場から解放したが、それは妊婦でも容赦がなかった。母は再度妊娠したが仕事は容赦なく降りかかる。父は融通が利かず実直で、周囲の批判には抗しきれない。流産の危険に怯えながらも「労働」に務め、次第にその働きが認められて要職に就く。1950年には長女の小鴻が、2年後には著者の二鴻が生まれた。
母の上司である張西挺は夫の劉結挺と「二挺」と呼ばれ、後に土地の支配者となる。張西挺が父に色目と使っていたが、父がすげなく拒否したことから「二挺」の復讐が始まる。母は妊娠中にもかかわらず家族と別れて首都成都への転勤を命じられる。出産ぎりぎりまで働かされて、男の子を産んだ。
共産党の絶対的な権力者として君臨した毛沢東の「思いつき」は、現実を無視して迷走する。鉄鋼生産を最重点に行ない、また全員に食を与える公共食堂を設置したため農業従事者がいなくなり、飢饉が起きて何千万人もの餓死者が生まれる。そんな中でも二鴻は両親の活動から多少は恵まれた生活をしていた。特別な小学校に入学することができ、そこで西洋と同じ教程での授業を受け、優秀な成績を修める。
文化大革命が始まった。フルシチョフのスターリン批判に衝撃を受けた毛沢東は、批判に繋がると思われる芸術家から知識人、そして学校の先生まで排斥の対象となり吊し上げをくらう。毛沢東に忠誠を誓う何百万もの紅衛兵が生まれ、血祭りの尖兵なる。その最大の標的は、飢餓から救った政策を行なったために、毛沢東の面子を潰した劉少奇主席と鄧小平総書記だった。
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*劉少奇は席次No.2の国家主席として毛沢東を支えましたが、文化大革命で失脚し激しい自己批判を求められました。
そんな状況を父は我慢できず、毛沢東に直接手紙を書く決意をする。更に文化大革命の終了を求めるとともに、「二挺」に権力を与えることの危険性を訴える二通目の手紙をしたためる。3日後に父は逮捕され、人望の篤かった母も「二挺」の意向により拘束されてしまう。学校は教える側が吊し上げを受け機能せず、子供の著者たちも重労働が課せられた。祖母も「ブルジョワ的」と攻撃され、失意のまま亡くなった。
父は厳しい環境の収容所に拘束され、収容所内でも攻撃を受ける。毛沢東は敵となりうる人物を全て排除したことで文化大革命はようやく終焉したが、父が解放されたのは最後だった。衰弱が激しく、精神に支障を来した父は、大量の精神安定剤を服用しても眠れない日々が続き、そして亡くなった。
その間著者は人民公社での過酷な労働の中、向学心を失わずに僅かな時間を盗んでは、勉強に励んで大学に進学する。そこに毛沢東が亡くなったニュースが飛び込んだ。皆が慟哭する中で開放感に襲われた筆書は、鄧小平の開放政策によって留学の試験を受け、抜群の成績でイギリスへの留学キップをつかみ取った。
1978年9月12日、著者は北京空港から離陸した。
【感想】
作品の大半を占める中国共産党、そして7000万人を死に追いやったとされる毛沢東の支配下における生活。繰り返し描かれるその描写は執拗なほどであり、「革命分子」による言いがかりと讒言、そして罠。吊し上げと反省、そして批判の繰り返しは気分が悪くなるほど。しかしこれは小説ではなく、「自伝」である。
*鄧小平。文化大革命で失脚するも奇跡の復活を果たし、最高権力者の座に登り詰めました。
誰も信用できない毛沢東は「毛沢東崇拝」を求め、側近をそして人民を支配していく。毛沢東が打ち出した「百花斉放政策」は、自由な活動も認め、党への批判も自由に行なうことを奨励するように見せかけて、その実態は「反革命分子のあぶり出し」だった。ノルマを課して極右分子を捜し出し、摘発を求められる。周囲は皆疑心暗鬼となり、次第に何も言えなくなる。
常に「攻撃する」相手を作り出し、その過程を通じて自分が決して攻撃される側に回らないように洗脳させる。そのため高度な監視社会となり、些細なことでもやり玉に挙げられ、時には身に覚えのないことで窮地に立たされる。一度信用を失ったら回復は困難で、収容所か過酷な労働が待ち、それは家族にも及んでいく。そして「二挺」はこの風潮を利用して、自分の敵をことごとく罪に陥れた。
毛沢東支配の中では、「二挺」の夫婦による攻撃は数多い事例の1つにすぎない。極限状態に陥った人間の行動原理は、まず自分が大切。嘘や欺瞞を使ってでも弱者を作り、弱者を攻撃することで自分を守り、お互いの尊厳が失われていく。日本でも反政府活動家の組織は同じような反省と総括を強いて、時にリンチで命を奪うこともある。しかし毛沢東はそんな抗争を全国民に強いて、常に敵を作ることで一部の人権を蹂躙して中国全土を支配していく。
そんな中、父の張守愚は謹厳実直な性格から、毛沢東に直接手紙を書いて批判したために失脚、逮捕される。そんな夫を母の夏徳鴻は対立しながらも、最終的には夫の名誉回復のために、単身北京にまで赴き周恩来に直接面会して一筆をもらうほどの離れ業を見せた。
*周恩来(左)。日中国交正常化交渉で訪中した田中角栄総理と(共同通信)
そんな両親から生まれた著者の張二鴻(ユン・チアン)は、苦しい中でも向学心と自分の夢を失わなかった。「鴻」(=野生の白鳥→WILD SWANS)の字を持つ親娘2人の、そして祖母も含めた女性三代の物語。極度の監視社会の中で自らの野生を隠し、大一番のタイミングで「翼」を広げた母と、将来を信じて翼を人知れず磨いていた著者。毛沢東が亡くなることで個人崇拝の檻から解き放たれた著者は、自由の翼を羽ばたかせ、飛び立つことができた。
しかし現在、また個人崇拝による支配が世界の各地で頭をもたげている。これによって多くの「WILD SWANS」が、翼を広げることができずに、檻の中の生活が強いられることを危惧する。
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