小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

16 義民が駆ける【歴史物】(1976)

【あらすじ】

 財政難に苦しむ川越藩藩主松平斉典は、徳川家斉の二十四男の斉省を養子に迎えていることから、幕府首脳に多額の賄賂をばら撒き、川越よりも経済状況の良い庄内への国替えを画策した。庄内藩は表高17万石だが、実高は21万石を言われ、富裕な藩と見なされていた。

 

 将軍家斉は川越藩による庄内移封の望みを聞くと、老中首座水野忠邦にその実現を命じた。水野忠邦は間に一藩差し込み、庄内藩を長岡に、長岡藩を川越に、川越藩を庄内に移す三方領地替えを仕組む。突如幕府から国替を命じられた庄内藩は、藩主酒井忠器ら藩首脳たちが、どのように幕府の意向を封じるか頭を悩ませる。庄内領内に本拠を置く、日本有数の大商人の本間光暉も、藩替え前後にかかる出金やそれまでの藩への借金なども考えて、藩替えの阻止に向けて善後策を検討する。

 

 庄内藩出身で、江戸で公事方(訴訟などの手続きを代行する役割)を務めていた佐藤藤佐は、相談を受けてこの決定を覆すための策略を練る。一方で庄内藩農民たちは江戸に上り、諸大名や幕府役人に直訴を試みる。

 

*ちょうど3年前の7月6日、ブログ駆け出しの頃にこんな記事も書いていました。

【感想】

 庄内地方で語り伝えられていた「天保義民事件」と呼ばれる農民の示威運動。子供の頃から聞かされていた作者藤沢周平は「農民と領主の絆を謳う物語」とする扱いに、疑念と反感を持った。「百姓と言えども二君に仕えず」を旗印にしたやり方や、藩の善政を称え、その恩に報いようとする記述に「あざとらしさ」を感じる。そのため自分なりに調べ直して、本作品を著した。

 「大御所」徳川家斉、「天保の改革」の水野忠邦が関与した三方領地替え。その動機は私欲が発端だが、一度決定すれば、その政策を実行しないことには幕閣の面目に関わる(いつの時代でも同じである)。時の実力者水野忠邦は、将軍家斉の意向を政治問題として扱い実行を図る。しかし相手は素直に応じなかった。

 まずは庄内藩。実高どころか表高でさえ半減となる長岡藩への転封は寝耳に水。家康配下の「徳川四天王」の1人、酒井忠次を先祖に持つ酒井家は、幕府創業時に庄内藩に入部すると、幕末まで転封がなかった数少ない譜代大名。単なる転封ではなく減収にもなり、懲罰さえ感じる幕府の決定に反対することを決意する。

 酒田で日本有数の豪商であった本間家。二代前の本間光丘は、商人ながら庄内藩の藩政に参加して財政再建を成し遂げる。そのため藩政が安定して、農民にも手厚い措置がとられ、領主と領民の関係に信頼関係が結ばれることになった。この天保義民事件でも、当代の本間光暉は藩の転封にかかる費用を用立てるのに苦労しつつ、新たな領主との関係を憂いて、反対運動を陰ながら支援する。

 そして領民たち。善政と長年の領主との関係もあるが、新しい領主と噂される川越藩の年貢取立が、非常に過酷と聞いて転封に反対する。農民が出した思いつきの計画を、江戸で公事方を務めて「世間慣れ」していた佐藤藤佐が現実的なものに練り直す。幕閣の有力者複数に訴えることでその内容が判明するが、それは「作戦通り」藩主との離別を歎き、転封撤回を嘆願する内容であった。農民による藩主擁護の直訴は前代未聞として、江戸市中に広まるや庄内藩への賞賛と同情が集まる。

 

 

 *酒井忠器(荘内境歴史文化振興会より)

 

 大御所家斉の死で流れは変わった。庄内藩への同情と共に、統制の厳しい「天保の改革」に反感を持つ藩主たちが動き出す。庄内藩内は訴えに成功した勢いに乗って、農民が大規模な集会を開いて、示威運動を示して周囲の藩にも訴えを広げる。そして訴えを受けた仙台藩会津藩水戸藩などを中心に、反対の意見書が提出される事態となった。

 水野忠邦も「反幕府」の動きを捨てておけず、町奉行に「領民煽動」の疑いで取り調べを命ずる。時の町奉行は北町が切れ味鋭い手並みで名高い遠山景元(遠山の金さん)。いらぬ詮索を恐れた忠邦は、自分の推挙で町奉行になった南町奉行矢部定謙に調査を命じる。但し矢部は、佐藤藤佐とも昵懇の仲だった。川越藩の転封工作を知った矢部は、その旨も調書に組み入れて問題を顕在化する。

 遂に幕府は決定を撤回する。知らせを受けた庄内藩は、お盆と時期が重なったこともあり、酒や赤飯がふるまわれて、武士町民百姓など、身分を越えて一緒に祝ったとされている。

 但しここで水野忠邦は失脚しなかった。忠邦は悪名高い腹心の鳥居耀蔵(遠山の金さんの敵役)と善後策について協議し、矢部は失脚の上幽閉され、庄内藩印旛沼疎水工事を任じられ、多大な出費を強いられることになった。

 そして農民たち。本作品の主人公とも言える「庄内弁で話す」農民たちも、1枚岩ではないところを藤沢周平は描いている。新しい領主に危機感を抱くもの、周囲に流される者、そして同じ領民ながら川越藩に内通したもの。運動の先頭に立った辰之助は決定を受けて、自分たちの「分限」を越えたと不安を抱く。

 最後に農民が自分の作柄を気にする日常に戻った姿を描いて本作品を締めている。ところがその前に、本来ならば穏やかに暮していたはずの農民の中に、家族と別れ、藩士に追われる境遇に陥った姿も触れている。幕府の決定を見事押し返した庄内藩だが無傷ではすまされず、上も下も、多くの痛手を被ってしまった。

 

   

  *荘照居成神社。町奉行矢部定謙水野忠邦から罷免の上桑名藩預かりの罪を受けたことに、食を断って抗議して3ヶ月後に死去。墓所とは別に庄内領の山形県遊佐町の神社に、祭神として祀られました。

 

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