【あらすじ】
権勢を誇った田沼意次の屋敷には、多くの人物が様々な思惑を抱えて門をくぐっていた。出羽佐竹藩の分家の四男、佐竹岩五郎もその1人。そんな岩五郎に、相続人が相次いで亡くなった阿波25万石の藩主の養子という幸運が降りかかる。岩五郎は俊敏な素質を意次から認められて、それが評判になっていた。名を蜂須賀重喜と改めて、16歳で阿波25万石の藩主に就任する。
江戸時代も中期となると、幕府だけではなく各藩も財政は危機に瀕していて、阿波藩も例外ではなかった。若く俊敏な重喜は、恐れるものなく自らの方針を打ち出して改革を推し進める。しかし急激な改革は、藩祖以来の家臣団からの反発を招く。
そこで田沼意次は新たな企みを図る。幕府の財政危機は深刻な状況に陥っていて、老中の立場で打開策が必要だった。そのためには藩の1つや2つは取り潰しても構わない。意次は阿波藩を天領にして、商品価値のある藍を幕府の専売にすることで財政を立て直そうと目論んだ。
そんな田沼意次の企みを蜂須賀重喜は察知した。意次から寵愛された重喜はにわかに信じられないが、家臣の京太郎は、田沼意次は公と私を「平然と」分けることができる性格と分析する。人間の愛情と政道は全く別であり、接する人に仏の愛情を示す反面、鬼のような非道さを併せ持っている。
そこで蜂須賀重喜は、幕府に対抗する手立てを考える。家臣団には厳しい倹約を続けさせる一方、商人の菱鼻の考えに乗って、領民には歓楽街を設けて風紀を乱して阿波の民を堕落させ、武家と領民の対立を起こせば幕府も手を引くと考えた。
*蜂須賀重喜(ウィキペディア)
ところが重喜の強引な政策は、形を変えて家臣団による藩主への反感となった。元々家臣団は、過激な重喜の改革に疑問を抱いていた上、武家にとって享楽的な政策は相容れず、ついには蜂須賀家には何の縁もない養子の重喜に対して、排斥の動きにつながっていく。しかし重喜は、阿波藩が天領に召し上げられることを回避するためという、真の目的を話すことはできない。
田沼意次の策略もあり、家臣団が意次に重喜の政道を批判する。重喜は意次と直接対峙するも、意次は策略などないととぼける。一方家臣らは自らが策略に嵌ったことを知り、直前で訴えを取り消す。驚く意次に対して京太郎は、阿波藩が欲しいならば、代わりに蜂須賀家の故郷である尾張に移せ、という途方もない要求を出して、田沼意次の策略を封じ込めることに成功した。
しかし老中を巻き込んでの騒動に対し、幕府もお咎めなしでは終わらせることができず、重喜は32歳の若さで隠居を申し付けられる。その後の重喜は、生活が華美で評判は良くない一方、後を継いだ子の治昭は、温和な姿勢で家臣団を敬いながら、根気よく父重喜が目指した改革を取り入れて実現させていた。破壊者としての悪名を一身に背負った重喜は、64歳で亡くなる。
【感想】
幕府の改革は5代将軍綱吉時代から紆余曲折を経て継続したが、結局は頓挫したまま幕末へと向かうことになった。では諸藩ではどうか。まずは「失敗」とみられる阿波蜂須賀藩の場合。
主君を追いやることを「主君押込」という。戦国時代はお家存亡の危機から、江戸時代になると転封や減封、改易という処分を避けるために、不行跡な大名は家臣によって排除された。
そして蜂須賀重喜の場合は、主君が小藩(4万石)のこれまた4男という縁もゆかりもない人物であり、いきなり敬えというのも無理な話。しかも歴代お家を支えていた譜代家臣を差し置いて、それまでの政道を否定する「改革」を勝手に断行されたら、腹の中は面白くないこともよくわかる。
*同じく小藩の次男から名門の養子となり、苦労して藩政改革に携わった上杉鷹山の物語。
同じ時代で蜂須賀重喜と比較される藩主として、米沢藩の上杉鷹山があげられる。重喜よりも13歳年下の鷹山は、2万7千石の秋月家の次男に生まれ、同じく俊英で名高いところから上杉家の養子となった。上杉藩は飛びぬけての財政難にあえぎ、そのため過度の倹約令を敷いたが、「不識庵(謙信)以来の上杉の名に傷がつく」として、譜代の家臣たちが鷹山長時間に渡り「監禁」して「諫言」を行った。鷹山はそこから巻き返して、味方となる家臣団と協力して藩政改革を成し遂げた。対して蜂須賀重喜は、改革を鷹山よりも硬直的に行ったために「押込」されたと言われている。
史実ではその通りだが、本作品では田沼意次の謀略もあり、人知れず阿波藩を助けるために悪名を被ったとして、新しい光を与えている。冒頭の田沼屋敷から始まる物語の構成は、その先々の展開と絡ませて、感心しながら読んだもの。
重喜隠居の後、田沼意次は子が暗殺されて権力から凋落し、やがて失意のうちに死ぬ。そのことを知った重喜は、憎き敵であるにも関わらず意次を忍んで、後に田沼の政治がくるだろうと漏らしたのは、同じ改革者として通じ合うところがあったのだろう。しかしその後の松平定信から睨まれたと知るや、華美な生活を一転排して、慎んで14年の余生を暮らしたとしている。
なお今からおよそ100年前に描かれた吉川英治の傑作「鳴門秘帖」(1926)は、蜂須賀重喜が黒幕となって幕府転覆を企んだために、若くして蟄居を命じられたと設定して、倒幕計画の「秘本」を巡る話となっている。
*「鳴門秘帖」は何度も映像化されましたが、田村正和の演じる主人公は余りにも妖艶です(NHK)
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