小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

15 一茶【歴史物】(1979)

【あらすじ】

 後に一茶と号する弥太郎は、信濃の農家に生れた。実母とは3歳で死に別れ、父の後妻に入った継母とは折り合いが悪く、15歳で逃げるように上京する。しかし江戸でも奉公先を転々として落ち着かず、実家との連絡も途絶えた。20歳になった弥太郎は、御法度だった俳句の賭け事「三笠付け」をして小遣い稼ぎをしている内に、俳句の才能がだんだんと開花する。俳諧宗匠である露光の知遇を得て、生涯の親友となる夏目成美と懇意になって俳句の評価を受けのめり込むようになり、俳号を「一茶」とする。

 

 「奥の細道」をなぞるように東北へ旅回りを行い、29歳で初めて帰郷すると、今度は西国回りを計画する。旅回りの俳諧師として糊口を凌ぎつつ、6年に渡る旅先での句作を続け、江戸に戻る頃には創作の実力も向上していた。しかし江戸の俳壇はしきたりや序列が厳然と存在するため、妬みや顰みなども受け、一茶の居場所は無くなっていた。また一茶の俳句は当時江戸の主流であった、松尾芭蕉の流れを汲む蕉風の風格からは、ほど遠かった。

 

 再び故郷に戻った一茶に、父の死が待っていた。死の間際に父は一茶と義弟の仙六を呼んで、農家の半分を一茶に相続する遺言を行う。それは義母と義弟が懸命に守ってきた財産を、放浪していた一茶が得ることを意味していた。義弟の仙六は到底承服できないか、父は継母との折り合いが悪く、家を出て行った一茶に対する負い目があった。一茶は、継母にその恨みを晴らすかのように過酷な要求を突き付け、修羅場のあげくに遺言通りに財産の半分を取り上げてしまった

 

 その後一茶は北信濃を中心に俳句を教えて口銭を稼ぎ、北信濃で俳句が興隆するきっかけとなった。腰を落ち着けた落一茶は、50歳過ぎでようやく28歳と娘のように若い妻を迎えることになる。句帖に「夜五交合」と露骨に記すほど老年になっても精力旺盛な生活をし、子供も次々と生れる。

 

 この頃作られた句集「おらが春」は一茶の代表作となった。但しそこから不幸が見舞われる。生れた子供4人が次々と夭折し、そして若い嫁にも先立たれてしまう。悲しみに落ち込むも、それでも改めて妻を求め、60歳を過ぎて2番目の妻を娶る。この妻とは上手くいかなかったが、更に64歳で3度目の妻を迎える。翌年65歳で苛烈な人生は終わりを遂げるが、死後娘が誕生して「小林家」は存続した。

 

  

 小林一茶(NEWSポストセブンより)

 

【感想】

 若い時に病気療養中に俳句を嗜んだ藤沢周平は、一茶の句に「不思議な魅力」を感じて「親密な感情」を抱いたと記している。生涯で2万句を詠んで松尾芭蕉与謝蕪村と並び賞される非凡な才能を持つ一茶だが、若い頃の記録がなく、想像力を掻き立たせる人物。そして藤沢周平は、一茶が俳諧の世界で頭角を現わすきっかけとして、「三笠付け」という俳句の賭け事に絡めている。

 江戸の生活が順調とは思えず、実家にも連絡を入れない一茶。以降の激しい生涯から想像すると、「俳句の賭け事」による真剣勝負で才能が研ぎ澄まされたと考えるのは、極めて自然に行き着く。

 松尾芭蕉に端を発する、蕉風に見られる格調高い句に対して、世俗的な要素が強い、生活に密着した句が多い一茶。故郷の北信濃に戻って、ここで永住する決意を詠った

 「これがまあ ついの栖(すみか)か雪五尺」 

は、同じく雪深い庄内出身の藤沢周平から見て「親密な感情」を抱きやすかったのか。そして信濃から江戸に出てからも長年日の目を見ない時代が続いた一茶を、藤沢周平自身と重ねて一茶を取り上げたと評する人もいる。同じく主人公として取り上げた新井白石も、表舞台に立つまで時間がかかり、八代将軍吉宗から解職された後は「市塵」として市井の中で過ごすなど、生涯が重なる。

 一茶の句は、自然の動物などと自分との関わりを「親しげに」詠った俳句も多い。

 「春風や 牛にひかれて 善光寺

 「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり

 「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る

 

 そんな優しげな言葉使いとは裏腹に、俳句の世界で頭角を現わすことに執念を燃やし、子供の頃受けた継母から受けた冷たい仕打ちを、歳を取ってからも忘れずにいた一茶。遺産相続では一切妥協せずに、義弟が増やした財産の半分を獲得するために、執念を露にする。50歳過ぎてから3度の結婚を繰り返し、子孫を残すことにも執着した。生み出した俳句の底に潜むマグマのような「熱」藤沢周平は興味は持っても、「親近感」を感じたとは、簡単にうなずけない。

 1つの言葉にこだわって作品を作り上げた藤沢周平は、一茶の句に表われる言葉の「感覚」に引き寄せられる。その感覚が発露されるエネルギーとなったものは、詠った俳句のイメージとはほど遠く見える、幼い時に虐げられた経験から来る激しい心情だった。

 

  

 *映画「一茶」では、リリー・フランキーが主演を務めました(Movie Walkerより)

 

 そのギャップはそのまま、一茶の人生と藤沢周平の人生のギャップにも通じる。文字に対して似たような感性を感じる2人。その土壌にどのような違いがあるのかを知るために、藤沢周平は「一茶」を掘り下げた、と思えてならない。

 

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