小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

6 自由は死せず(板垣退助) 門井 慶喜(2019)

   板垣退助を体現した、印象的な表紙(Amazon



【あらすじ】

 土佐藩の上士格の嫡子として生まれた板垣退助(幼名乾猪之助)は、暴君の父に反抗して、手のつけられない悪童に育った。寺子屋や藩校でじっとしていることができず、『孫子』などの兵法書を読みふける。時に父に暴力を振るい、藩から謹慎を命じられるほどの始末。

 

 しかし父が亡くなり後を継ぐと、家柄から藩政に参画する。当時は桜田門外の変が起き、尊王攘夷の風が吹き荒れると、土佐藩下士層を中心に、武市半平太率いる勤王党が勢力を増していた。対して上士は参政吉田東洋が藩政を牛耳っていて勤王党と対立する。退助と「イノス(猪之助)、ヤス」と呼び合う幼馴染みの後藤象二郎は東洋の甥にあたり、藩政を補佐していた。

 

 しかしその吉田東洋が暗殺される。後藤象二郎は土佐の実権を握る老公・山内容堂の命により、東洋暗殺を厳しく捜索し、武市に切腹を命じて勤王党壊滅に追いやる。ところが退助は勤王党以上に過激に奔り、幕府どころか藩も滅ぼすべきだと怪気炎を上げる。後藤象二郎坂本龍馬大政奉還を推進し、幕府への忠誠に悩む容堂を喜ばせるが、退助はそれでは甘いとして、独断で薩摩と会合して薩長同盟ならぬ薩土同盟を西郷らと取り交わす。

 

 大政奉還によって武力倒幕の道が遠ざかったが、小御所会議から鳥羽状見の戦いを経て容堂の対話路線は潰え、再度倒幕への道が開いた。退助は勝手に兵士を募集して、聞きかじりの洋学軍隊の調練にいそしんでいた。西郷との約束を守るべく、軍隊を率いて上洛し、そのまま中山道を通って江戸へ向かう。途中甲府では、武田家家臣の板垣家の末裔の素性を利用して、板垣退助と改名する。

 

 甲府から江戸、北関東から会津へと転戦していく退助だが、その戦法は洋式軍隊とはほど遠い「孫子の戦法」で、相手を油断させてその隙に勝ちに乗じるやり方。そのためには卑怯も武士道もなく、目的はただ戦に勝つこととして、少ない軍勢の中で結果を出していった。しかし会津との戦いを終えると、戦争とは非合理で「つまらぬ」ものと悟って、江戸に引き返す。

 

 

 *こちらは私がギリギリで記憶が残る、板垣退助の100円札の肖像画です。

 

 明治新政府が樹立され、退助は参議として廟堂に立つも、征韓論で西郷と行動を共にして辞職する。辞職参議たちが故郷で兵を挙げる中、戦はこりごりとする退助は弁舌による戦いを政府に挑む。五ヵ条のご誓文で公言した「公論」による政治を実行するために、民選議院設立の建白書を提出し、愛国公党から、土佐に戻り立志党、そして自由党を結成する。政党として士族授産も念頭に入れて活動し、紆余曲折はあったが、退助の人気もあり、「自由」の言葉が徐々に全国的な広がりを持つことになる。

 

 岐阜で講演の帰途、暴漢に襲われた。命に別状がなかったが、秘書の内藤魯一が「板垣死すとも自由は死せず」と新聞記者に告げる。しかし自由党の実権は退助の手から離れ、各地で自由党による反政府活動が、退助のあずかり知らぬところで起きて弾圧されていく。その後83歳まで長命した。

 

 

【感想】

 土佐藩出身、板垣退助の物語。前半は幕末から戊辰戦争にかけての活躍を描くが、これがめっぽう面白い。まるで自分の命をボロキレに包んで、いつ落としてもおかしくない、豪放に振る舞う姿は、戦国のかぶき者のような人物。そんな野放図な人物を、作者は少々筆を脱線させながら、無軌道な行動を可笑しさ交えて描いていく。周囲とは軋轢が絶えず、幼馴染みの後藤象二郎とも政策面では対立し、上士なのに勤王党よりも過激な発言をして、佐幕派の老公山内容堂を呆れさせる始末。朱子学が粋を極めた幕末期、退助のような跳ねっ返りを相手にできる藩主は、容堂以外にはいなかっただろう。しかも土佐藩を勝手に倒幕活動にのめり込ませると、薩摩の西郷を驚かせて、容堂を怒らせる。

 

  *幕末期の盟友、後藤象二郎ウィキペディア

 

 戦いも、敵の使者に停戦を約束しながら、その使者が敵陣に帰り着く前に、しゃにむに軍を前進させて、使者を追い越して城を占拠するなど、やりたい放題。敵に油断させて勝つ戦いに徹する、武士道からはほど遠い有様。

 対して、明治になってからの退助の姿はやや淋しい。江藤新平を「箇条書きの男」として、複雑な事象を整理する明晰な頭脳を表現する一方で、佐賀の乱後の執拗を極めた手配書の箇条書きで逮捕され、死罪とされるくだりは作者の手柄だが、植木枝盛などを活躍させて、退助自身が主導的に動く場面は少ない。

 歴史の授業的に見ると、征韓論の政争に敗れた後、自由民権運動に転じて意地を通したかに見えた板垣退助だが、本作品を読んで「そんな小さな男ではない」ことがよくわかる。西郷隆盛征韓論を唱えた時、自分が亡くなった後の征韓軍の司令長官に板垣退助を想定していたと言われるが、軍を率いる魅力が溢れた人物として描かれて、西郷の想定もさもありなん、と思わせる。「罰を受けて職を辞した方が良いアイディアが出る」と、あくまでも前向きに自分を評価する退助だが、その中身は自ら語ると「私利私欲の権化であり、同時に公平無私のかたまりじゃ」。

 

  

*退助の自由民権運動を理論で支えた植木枝盛は、イケメンで有名です(国立国会図書館

 

 本作品のタイトルは「自由は死せず」。これは板垣を表する有名な言葉でもあるが、自身が言ったわけでもなく「遭難三周年記念」などと、周囲が売名行為とも取れる利用をしただけのこと。本来のタイトルは、ズバリ「退助がゆく」がふさわしい(できるわけないけど💦)。

 

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