小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

11-2 真田太平記 ② (~1982)

 

*1985年にNHKで放映された真田太平記真田幸村草刈正雄、実直な兄信幸を渡瀬恒彦、そして「表裏比興の者」昌幸を丹波哲郎が演じました。抜群の安定感!(NHKアーカイブス

 

【あらすじ】

 徳川秀忠勢は天下が目の前にあり戦意も旺盛、小城の上田城など鎧袖一触の気持ちで攻め込む。そこをあしらい「足止め作戦」によって、関ヶ原での西軍の勝利を期待する真田昌幸と信繁の親子。この作戦は成功し、結局秀忠は天下分け目の一戦には間に合わず家康から怒りを買い、終生秀忠のトラウマとなった

 

 関ヶ原の戦場では、忍びたちも命を楯にして家康の首を狙うが、分厚い守備陣を打ち破ることはできず犠牲ばかりが増えていく。そして昌幸、幸村(信繁から表記変更)親子の尽力も虚しく、西軍は敗北を喫する。昌幸と幸村は秀忠にとって憎さ百倍の相手で死罪は必至と思われたが、信幸の岳父で家康四天王の1人、本多忠勝の「脅し」とも思える懸命の助命嘆願によって救われ、紀州九度山へ押し込められることになった。

 

 関ヶ原の後、家康は体制を盤石にするために豊臣家の取り潰しに着手する。戦いという「舞台」を前にして、真田昌幸は無念の思いを抱えながら息を引き取り、子の真田幸村は、戦いの場を求めて九度山を脱出し大坂城に入城する。徳川勢を迎え撃つため、大坂城の弱点箇所に真田丸を構築し、押し寄せる幕府の大軍を散々打ち破ることで幸村は名を挙げる。しかし豊臣方の重臣に戦意はなく、大坂冬の陣は和議によって終結した。

 

 和議によって大坂城の堀が埋め立てられ丸裸となり、家康はいよいよ「決着」に挑む。決戦を前に真田信之(信幸より改名)は、家康から幸村を説得して味方にするよう命を受ける。信之は無駄と知りつつ、文化人として著名な小野のお通の館で幸村と最後の対面を果たすが、幸村はあくまでも戦場で名を挙げることを求め、兄弟は今生の別れとなった。

 

 大坂夏の陣が火蓋を切った。籠城を封じられた大坂方は野戦で幕府軍に攻め込み、名のある武将は次々と命を落としていく。幸村は乾坤一擲の突撃を試み、家康の本陣まで突入して混乱を招くが、わずかのところで家康に届かない。満身創痍になり体力も尽きた幸村は、最期の死に場所を求めると、そこに息絶えていた向井佐平次がいた。かつて佐平次に語ったように、幸村は同じ場所で共に死ぬことになった。

 

 豊臣家を大坂夏の陣で滅亡させた家康も、それを見届けて寿命が尽きた。後を継いだ二代将軍秀忠は改易や国替えを頻繁に行ない、秀忠が苦い思いをした真田家も標的となった。幕府が指摘する疑惑を晴らよう求められる真田信之は、周到な準備を怠らずに、疑惑を晴らすことに成功する。しかし幕府は信之に父祖代々が守ってきた上田から、川中島のある松代への国替えを命じた。

 真田家は以後松代で続き、幕末を迎える。

 

大河ドラマ真田丸」では以前幸村を演じた草刈正雄真田昌幸を、そして謹厳実直な真田信幸を大泉洋が演じたのは、驚きました。昌幸の死と兄弟の名の変更に合わせて、サブタイトルを「信之」「昌幸」「幸村」と繋げた演出は印象的でした。

 

【感想】

 昌幸の時代は終り、信之関ヶ原後、罪人となった父「昌幸」由来の幸を之に改名する)と幸村(作品上関ヶ原の後から、講談で有名な幸村の表記に変えたが「改名」ではない)の時代に移る。幸村は大坂の陣で「不惜身命」の活躍をして真田の名を天下に広めた。一方忍びたちは、関ヶ原や家康上洛、そして大坂の陣と家康の首を取ろうとするが、1人また1人と分厚い守備陣に阻まれて、無念の中で散っていく。その者たちは皆、この長い物語で成長を見届けていたため、哀愁が全体に包み込む。

 家康も抜かりない。圧倒的な戦力に加え智謀でも当代随一を誇り、一手また一手と隙のない布石を打って、「横綱相撲」で豊臣家を包囲する。対して幸村は、三方ヶ原の戦い以来と言われるほどに家康本陣を混乱させながらも、あと一歩、家康の首に届かない。それでも天下を敵に回した武功は「真田、日本一の兵(つわもの)」と後々まで呼ばれることになった。

 そして父と弟の「後始末」をして、真田の家名を後世に残す大仕事を長男、信之が担う。戦場でも(第一次)上田攻めで、果断な攻撃と臨機応変の判断力で徳川方に激賞された信之だが、戦場とは異なった長く苦しい戦いを、1人で受け持つことになる。二代将軍秀忠の真田家への仕打ちは執拗で「神経戦」を強いられるが、信之は抜かりない準備を行ない、相手の狙いを事前に察知して、攻撃を受けたら1つ1つ潰していくきめ細かな作業で対抗する。そんな中で、鈴木忠重や樋口角兵衛など家臣たちとの繋がりと統率も描かれている。

 小野のお通との交遊は、激しい性格を有する正妻、本多忠勝の娘の小松姫とは違って、数少ない癒しの場となっている。何しろ小松姫は敵味方に分かれたとまだ知らないうちから、父昌幸が入城することを拒否するほどの武勇伝を持つ女傑。中でも中山道を通る諸大名の参勤交代を、家康の養女の立場で邪魔したため、幕府が困り果てて、加増して松代に移封した説もある (^^)

 そんな信之の戦いはまだまだ終わらない。本作品の後の時代を描いた「獅子」では、90歳を越える信之がお家取り潰しの危機に遭遇し、そこで「下馬将軍」酒井忠清との巧緻な神経戦を繰り広げ、巧みな戦術で父と弟から託された家名を残す仕事をやり遂げる。

 

 *90歳を過ぎた真田信之が、お家取り潰しの危機に自ら立ち向う物語。

 

 昌幸、信之、そして幸村は、三者三様に戦国武将としての生涯を全うした。家臣団配下の忍びもそれぞれが役目を果たした。それらの総合力を結集して、武田家滅亡後に入れ替わる巨大勢力からの圧力に何度も耐え、真田家は戦国の世を生き残る。その結果外様藩としては異例の、老中を輩出する家にまで認められた。真田家が「太平」を勝ち取るために、どれだけの血が流れ、忍耐を強いられ、知恵を絞ったことか

 「真田もの」そして「忍者もの」としての集大成とも言える本作品。余りにも長大だが、その内容と展開は一気読み必至となっている。池波小説のエッセンスが横溢し、「鬼平犯科帳」、「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」の3大シリーズと並んで、池波正太郎の「集大成」と言える作品となった。

 

池波正太郎が時代小説を手がけるきっかけとなった、江戸中期の真田家を描いた「恩田木工」が収録されている短篇集。