小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

11-1 真田太平記 ① (1974~)

【あらすじ】

 真田の忍び(草)であるお江は、織田家との戦いで重傷を負った向井佐平次を真田領内に連れていく。湯治場で真田信繁(のちの幸村)と偶然出会った佐平次は、「わぬしとは共に死ぬるような気がする」と言われたことに感じ入り、信繁の家臣となる。信繁は佐平次に自分の出生の秘密を打ち明けるが、同じく出生の秘密を抱える信繁の従兄弟の樋口角兵衛は、自分で整理できずに乱暴狼藉が収まらす出奔し、のちのちまで真田家を混乱の渦に巻き込まれていく。

 

 信繁の父昌幸は、若い頃武田信玄の近習として仕え、信玄流の戦術眼を身につけた男。武田家を滅ぼした織田信長本能寺の変で倒れた後、真田家の領地上田には徳川家、北条家、そして上杉家の勢力圏に囲まれ、微妙な舵取りが迫られていた。昌幸は上田に城を築き、上田を守り抜こうと決意する。

 

 そこへ徳川家が圧倒的な兵力を持って襲いかかる。昌幸は長男信幸と共に、知略を駆使して徳川家を撃退して、天下に真田ありと知らしめた。敗退した家康は豊臣秀吉の意向もあり、家康の忠臣本多忠勝の娘を養女として信幸に嫁がせて、真田家と和議を結ぶ。対して信繁は徳川との決戦を前に上杉家に人質として差し出したが、和解後そのまま秀吉の人質となり、大坂へ送られる。

 

  真田昌幸ウィキペディアより)

 

 真田は「秀吉後」の情勢を睨み、真田の「草」お江は甲賀に忍び込んで情報を得ようとするが、甲賀の頭領山中大和守俊房の手にかかり、瀕死の重傷を負う。何とか生き延びて真田領に戻ったお江は、向井佐平次の子向井佐助を草の者として育てる役割を担った。佐助は素質にも恵まれ、一人前の忍びに成長する。

 

 秀吉の死後、世の趨勢は徳川家康に移っていった。家康は大軍を引き連れて上杉討伐のために東征すると、家康の思惑通り、留守の大坂で石田三成が挙兵する。これを好機として一挙に天下を狙う家康は、上杉征伐を中止し、石田三成との決戦に向かうために西に舞い戻る。

 

 三成挙兵を聞いた真田昌幸は、長男信幸、次男信繁と3人で協議する。家康の養女を妻とする信幸は東軍に、石田三成の盟友、大谷刑部の娘を妻とする信繁は西軍に肩入れする。そこで昌幸は、自分と信繁は西軍に、長男信幸は東軍にと、敵味方分かれて戦うことを決意する。

  真田幸村(信繁)(ウィキペディアより)

 

【感想】

 高遠城が落城し、武田家が滅亡する印象的な場面から、この長い物語は始まる。

 真田家の祖とも言える幸隆の三男として生まれた昌幸。人質として武田信玄の元に行ったが、その利発さ故に信玄から愛され、近習として信玄から直接薫陶を受ける。特に信玄の弟の典厩(てんきゅう)信繁の、兄信玄を支える姿には、同じ弟の自分と重ねて感銘を受け、川中島の戦いで信繁が戦死した後に生まれた次男に信繁と名付けた

 その後昌幸は長篠の戦いで兄2人が戦死したため真田家当主となるも、武田家滅亡で後ろ盾がなくなり、徳川、北条、上杉の「ビックネーム」に囲まれた領地で生き残りに賭ける。そんな昌幸を豊臣秀吉は、謀略や軍略の表と裏を使いこなす「表裏比興の者」と評した。

 本作品における主題の第1は、昌幸を中心に真田家の3人の、戦国武将の生き様を描いていること。高名な真田昌幸と信繁(幸村)はもちろんだが、池波正太郎の評価が高い長男信幸(信之)を、主人公と言っていいほどの「格」を持って描いた。長男信之が嫡男としての器量を有していたために、関ヶ原の戦いの際に父昌幸と弟の信繁は、安心して敵に分かれることができたとして、物語は進んでいく。

 想像を広げると、関ヶ原の際に信幸が西軍、信繁が東軍寄りだったら、果たして昌幸は西軍に付く決断をしたか疑問に残る。第一次上田城攻めの際は昌幸と信幸の親子が協力して戦った。しかし天下を二分する状勢下では、当主昌幸と嫡男信幸が別れた方が、家が存続する可能性が高い、と頭をよぎったに違いない。

 とは言え、昌幸が欲する戦場は、徳川の大軍を真田の手で止めることにあったはず。

 

  *真田信幸(信之)(ウィキペディアより)

 

 主題の第2は、忍びの生態と活躍を随所に挟み、克明に描いていること。講談や戦前の「立川文庫」で有名になった真田「幸村」の名前と真田十勇士だが、本作品では「十勇士」は出てこない。しかし猿飛佐助を連想させる向井佐助を始め、その「テイスト」を感じることができる。お江を軸として、池波正太郎が描いた「忍びシリーズ」に出てくる人物も登場している。そして忍びを「冒険活劇」ではなく、あくまでも人間の延長線上で描いた。

 第3は真田家の家臣団の物語を描いていること。信幸、信繁兄弟のいとこだが、本当は昌幸の隠し子という設定で、出奔と狼藉を繰り返す樋口角兵衛を「狂言回し」として配置名胡桃城を奪われた責任をとって自害した鈴木重則とその子忠重など、昌幸ら真田家と家臣団の繋がりや主従関係も丹念に描いている。

 

 前半のハイライトは(第一次)上田城攻めで、徳川の大軍を昌幸は智謀で撃退する場面。これによって上田という土地に存在感を与え、その支配を豊臣秀吉にも認めさせる。

 その後秀吉が薨去し、天下は「天敵」とも言える徳川家康に傾こうとし、そこで真田家は分断される。東海道を進む徳川家康の本軍とは別に、中山道から関ヶ原へと向かう徳川秀忠率いる第2軍。この進軍を昌幸が上田で抑えるかどうかは、天下分け目の戦いの帰趨を左右するとともに、成功したら昌幸の名を天下に揺るぎないものにすることができる。「表裏比興の者」にとって、生涯でも得がたい「舞台」が与えられた

 

 なお池波正太郎は、この真田太平記の「前史」として、上田城の支城である沼田城の運命を「まぼろしの城」で描いている。戦国末期に小豪族の領地争いが起き、それを真田昌幸が高い視点から眺めている。そしてこの沼田城が、後日北条と豊臣の戦いの原因にもなる。