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【あらすじ】
関ヶ原の戦いが終り、徳川の世が固まったかに見える時代。
加藤清正は、徳川家に未だ臣従しない豊臣家を憂いて、両家の衝突を回避するよう、自分が率先して斡旋する必要性を感じていた。そのためには混沌とする時勢の中で、正確な情報を収集する必要がある。清正配下の鎌田兵四郎は、新興の加藤家にいない「忍者」を紹介してもらうよう、今は関ヶ原の戦いで西軍方について紀州九度山に蟄居している真田昌幸に相談する。
真田配下の伊那忍びで使い手の奥村弥五兵衛は、昌幸から清正の依頼を聞いた頃、久しぶりに丹波大介と出会った。甲賀忍びの丹波大介は関ヶ原の前に伊那忍びと協力していた。しかし甲賀から突如真田家を裏切る命令を受けるも実行できず、以降甲賀に追われていた忍びだった。
奥村弥五兵衛は加藤家に仕える話を丹波大介に伝える。その話に興味を持った大介は加藤清正に引見して、忍びにも慈悲深い態度を取る清正の人間的な魅力に感銘を受けて、加藤家のために働くことを決意する。
丹波大介は古巣の甲賀、山中忍びからは追われている身で表に出ることができず、自分に代わる人手が必要だと感じた。すると40年以上前から活躍して伝説の忍びと呼ばれた、杉谷の婆といわれている於蝶と、島の道半等の杉谷忍びが協力をしてくれることになった。
この時加藤清正は熊本城を築城していた。徳川の忍びが幾度も内偵をするも、全貌がつかめない中、工事の最終段階では清正自ら指揮を執って工事をする必要があった。肥後に戻る前に、豊臣秀吉の正室であった高台院のもとを訪れ、今後の連絡役として丹波大介を紹介する。但しこの時、大介は高台院にも徳川からの監視の目が届いていることに気づく。
歳月は流れ、徳川家康と豊臣家の間に緊張感が生まれる。加藤清正はその間に立って微妙な立場に追い込まれ、加藤家は徳川配下の伊賀そして甲賀の忍びによって厳重な監視体制に組み込まれた。
丹波大介はそれまで「抜け忍」で殺害された噂を利用して身を隠していたが、家康が豊臣秀頼に再度の上洛を求めた時点で姿を現わす。そして淀君の頑強な態度を翻意させるため、清正やその盟友である浅野幸長の意向を、淀君を超えて豊臣秀頼に直接届ける役割を担った。
但しそのことは、亡くなったと信じ込ませた伊賀、甲賀の忍びたちに、大介が生きていることを知らせることとなる。そして伊賀・甲賀の忍び達は、大介の妻だった女を使って、大介を罠に嵌めようとする。
*熊本城「昭君の間」。清正が豊臣秀頼を匿うために作られたとの逸話があります。(熊本市観光ガイドHPより)
【感想】
織田信長の勃興から戦国時代の終焉までを、忍びの側から描いたシリーズの最終章。関ヶ原の戦いの後、徳川家と豊臣家の対立を回避しようとする加藤清正を主軸に描いている。
関ヶ原の戦いで己の忍びの術に限界を感じた丹波大介は、殺害した相手の弟と婚約者ら伊賀忍者に命を狙われる上に、抜け忍をしたことから甲賀忍者にも追われる。敵に囲まれるなかで、加藤清正という心服できる人物のもとで、忍びとして再生を果たそうとする物語でもある。
かつては個々の判断に任せられていたが、天下が収斂されるとともに忍者の世界も統制されて、己の自由が利かなくなってくる。そんな中でもここに登場してくる忍びたちは、戦いが重なる度に、敵も味方も様々な過去を抱えて、宿怨となり人間らしい感情も抱えながらも、「忍び」の世界を生きていく。そして大介は大事な場面で人間の感情に流されて、「ツメ」を誤ってしまう。
*1874年当時の熊本城。この3年後西南戦争で攻撃に晒されますが、石垣の「武者返し」が力を発揮して撃退に成功し、築城から370年後に勃発した最大の内戦で勝利を収めました(ウィキペディアより)。
本作品では加藤清正と共に、「熊本城」がタイトルに合わせた存在感を示している。当時難攻不落と呼ばれた大坂城に勝るとも劣らないと噂されるも、その全貌が徳川の謀略能力を発揮しても判明しない謎の城。加藤清正自身の器量とも相まって、徳川の天下を確立しようとする家康に対して無言の圧力をかける。豊臣家が滅亡した理由の1つに、大坂城退去に従わなかったことが上げられるが、加藤清正が「難攻不落」の城を構えたことも、同様に加藤家滅亡の起因になったはず。とは言えそれも、清正は覚悟の上。
そして池波正太郎は、この戦国忍びのシリーズを幕引きする場面に、とっておきの「草」を忍ばせた。人間業とは思えない能力で跳梁跋扈する忍者たちとは別に、何年も時間をかけて敵の社会に溶け込む。役割が必要になるかどうかもわからない中で、「その時」を待ち続ける忍び。忍者の冒険活劇が中心の物語の締めに、気の遠くなるような忍耐力を持つ、それ故に凄みのある「草」を登場させた。
本作品では「蝶の戦記」そして「忍びの風」で活躍した「伝説の女忍び」於蝶と、さらに伝説とも言える老齢短躯の島の道半を復活させた。「猿飛」と言われた向井佐助、伊賀の於万喜、甲賀の才六や小たま、そして頭領の山中俊房。数多くの忍びを、時に異性に溺れ、時に命令に従わず、人間臭く描いた池波正太郎。その多くは死に、何人かは生き残る。
しかし生き残った忍びたちも、大坂の陣が終わると、求められる役割は変貌していく。
*その熊本城も2016年の地震で大きな被害を受けます。天守閣などの修復は完了しましたが、石垣の復旧はその高度な構造からも遅れています。改めて加藤清正の築城技術に感服です(日本財団HPより)。