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【あらすじ】
安井算哲は碁打衆と呼ばれ、大名や将軍家を柏手に碁を打つ名門の一家に生まれた。しかし二代目でありながら、兄安井算知に気を遣って渋川春海という別称を名乗る。名門本因坊家の若き俊英、道策に勝負を持ちかけられても、逃げ回るような体たらく。当時の碁打ちの役割は、選ばれし家系の者たちが将軍様の前で、事前に決められた棋譜を並べるもので、真剣勝負を求める春海には満足できなかった。
春海の頭の中は、そんな碁よりも算術が占めていた。ある日絵馬に問題を記し奉納するという算額奉納を見に出かけた先で、ほんの一寸の間に自分が頭を悩ませていた問題を解いてしまった天才とすれ違う。その男、関孝和を知ったことから、晴海は算術への傾倒が加速化する。
春海は算術の才覚を認められ、全国各地を巡って星の緯度経度を観測する測地隊へ参加する。同行する中には春海よりもはるかに年上の2人、建部伝内と伊藤重孝がいた。春海はこの2人からたくさんのことを学び、天測の知識を受け継いでいく。対して春海の算術に賭ける情熱とオ能を見て、年上の2人の老人は「ぜひ弟子入りしたい」と言い出す。
その道中、当時日本で使われていた「宣明暦」が制定から800年を経て、日にズレが生じているという事実を知る。改暦は本来朝廷の役割だが、朝廷にその能力はない。武断政治からの転換を目指す為政者、保科正之は泰平の世の象徴として、春海の手で「改暦」するよう命じる。
自分なりに辛苦して暦を作り上げた春海は、他の暦と「日蝕」の予想競争を行い、自らの暦の優秀性を天下に示そうとした。そして1回、2回と春海は見事に「蝕」の予想を的中させるも、最後に春海は予測を外してしまう。絶対の自信があった暦にどんな不備があったのか。抜けられない漆黒の闇に中に入り込み、春海は気力さえ失ってしまう。
そんな春海に「解答さん」と呼ばれた関孝和から春海に指名で問題が出される。しかしその問題は、以前春海が作った回答不能を意味する「誤問」だった。この時期になぜ関孝和は春海にこの問題を出したのか。その意図を知った時、春海は自らの暦の欠点を悟った。関孝和からは罵言雑言の挙句に、暦を作るには数理と天測の両面で秀でた春海でなければ成しえないと励まされた。
春海は関孝和からの激励を受け、一皮むけたように改暦に取り組む。それは自分だけの問題ではなく、春海のオ能を見込んだ保科正之の、その師匠でもある神道家で天文家の山崎闇斎の、そして天測を1から教えてもらった建部伝内と伊藤重孝らの思いが託されたものだった。時には命がけで禁制の書物を、保科正之の思いを継いだ水戸光圀に取り寄せてもらい、暦の精度を高めていく。そしてようやく完成した暦は、関孝和から大和暦と名付けられる。
しかし当時は改暦の権限を握っていたのは朝廷だった。幕府の意向による暦が、朝廷の固い扉を開けることができるのか。春海は改暦のためには名よりも実を求め、二重三重の策を練っていた。
【感想】
中国は元の時代の1381年、ヨーロッパや中東を侵略する途上で知識を吸収し、太陽の軌道をもとにして、格段の精度を誇る大統暦が採用された。1582年、ヨーロッパではおよそ1,600年振りにユリウス暦(英語読みでジュリアス・シーザ一)からグレゴリオ暦に改暦が行われていた。
太陽や月の運行を計る天測の技術と労力、その軌道を計算する高度な数学技術が必要な暦の精度は、その国の文明ひいては「国力」を映す鏡でもある。それは大統暦もグレゴリオ暦も、1年を365.2425日と計算していることで想像できる。ちなみに紀元前に制定されたユリウス暦も、1年を365.24日として、少数第2位まで一致する精度を誇るが、128年で1日のズしが生じ、1280年で10日のズレに広まるため、1,600年振りに改暦が必要となったという。これだけでも、古代のヨーロッパが暦(キリストの誕生日など、宗教上の儀式を行なうため)にこだわり、その能力を常に磨いていたことがわかる。
*渋川春海(安井算哲)のライバルで、史上最強の棋士と呼ばれる本因坊道策(ウィキペディア)
対して日本は長年、月の満ち欠けによる太陰暦を元とする暦が使われていた。朝廷が暦を決定する権限があるが、全国で統一するものはなく各地でバラバラで、また太陽暦と比べると1年間で約11日の誤差が生じる。織田信長は太陽暦を元にした三島暦に変更しようと、本能寺の変の直前まで朝廷に圧力をかけていた。
「天を相手に真剣勝負を見せよ」と渋川春海に申し渡す保科正之。対する春海の出した結果ほど「天地明察」のタイトルに相応しいものはない。主人公の渋川春海だけでなく、和算を完成させた春海もかなわないと認める「解答さん」関孝和、史上最強の棋士と呼ばれる本因坊道策らとの対決は、お互いにその存在を認め会って自らを高めていくことがよくわかる。そんな中で腰が定まらない春海が、関孝和の「檄」によって、物事に立ち向かう姿勢が変わってゆく。元々は棋士 (日本史を学んだ時は、なぜ棋士が暦を作るのか理解できなかった)。目的のため冷徹な布石を敷いて遂行しようとする「策略家」に変貌していくところは、本作品の白眉。
そしてヒロインの「えん」。勝気でお転婆だが愛嬌もあって、春海を絶妙に支えていく。春海も人格が変貌した勢いで「えん」と添い遂げ、小説では最後まで春海と生き、そして亡くなったとされているが、本作品の悼尾に相応しいエピソードになっている。
*映画では岡田准一と宮崎あおいが演じました。何ともお似合いに見え、私生活でもそうなったのも、むべなるかな(BSプレミアム)
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