小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

「お茶、しない?」「しません!」

今週のお題「好きなお茶」

 

 昔は軽薄に使われた「お茶」。子供の頃は喫茶店で出されているのは主にコーヒーで、何故「喫茶店」というのかが不思議でした。ところがこれが由来は禅の「喫茶」にあり、お茶の由来は中国で、紀元前にまで遡ると知るようになります。

 日本では各地に清水が湧いて、清流があり、飲み水に事欠きませんが、中国やヨーロッパでは水を飲むのに命がけの時代があったそうです。不衛生で「あたる」水が多く、また日本のように美味しくありません。そのために必要に迫られて水を煮沸し、味付けるためにお茶が生み出されたそうです。

 中国では飲料としてのお茶が段々と進化していきますが、使われ方の1つに、カフェインによる覚醒効果があり、特に禅宗の修行僧が好んで愛好したらしく、そこから鎌倉時代栄西が「喫茶養生記」を書いて日本でも広まるようになりました(「ジャスミンティー」も「眠り誘うクスリ」ではなく、覚醒効果があるそうですww)。

 禅宗で「喫茶去(きっさこ)」という禅語があります。このブログの読者でもあるブロガーさんが、興味深い投稿をしていますので、リンクさせて頂きます(みらっちさん、勝手に引用してでごめんなさい )。

 ↓↓  詳細は「是非」こちらの投稿を読んでください  ↓↓

 

miracchi.hatenablog.com

 

 ここではだいぶ簡略化して説明しますと、禅僧が来客に質問して、異なる回答をしても同じように「茶でも飲んでいきなさい」と来客に言う話で、解釈が分かれ未だ正解がないようです。私には何か「まあ目を醒まして勉強でもしなさい」とでも言っているかのように感じます。京都では「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどす?」という有名な話もありますが、それだけ中国では、お茶は身近なものだったのでしょう。

 対して日本では、しばらくお茶は限られた身分のものでした。すぐに飲める水が豊富にあるので、わざわざお金を出してお茶をする必要はなかったのでしょう。そのため日本のお茶は「茶道」、つまりは芸術性を強く帯びる方向に軸を向けます。千利休の時代までは、身分差を超えて同席して会話ができるのも1つの売りだったようですが、それから様々なしきたりが増えて「道」となっていき、庶民が気軽に接するものではなくなっていきます(実態は違っていても、そういう印象を与えるようになります)。

 

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 ヨーロッパでは、フランスやイタリアのワイン、ドイツのビールなどにあたる飲料が無かったイギリスがお茶にこだわります。東インド会社中国茶を輸入して、それがアヘン戦争に繋がり、植民地のインドでは紅茶をプランテーション経営で栽培させるなど、「午後の紅茶」の優雅さの影に隠れて「帝国が搾取する」図柄が見え隠れします。

 そしてアメリカ。宗主国イギリスが、アメリカを始めとするお茶の輸出に対して東インド会社に独占権を与える法律を制定すると、アメリカでは反発して「ボストン茶会事件」が起きます。これが結果的にはアメリカ独立戦争のきっかけともなったので、「お茶」が世界を変えたと言っても過言ではないでしょう(大げさかww)。お茶が中国から始まり、世界を回って様々な影響を与えてきたのだなあと、改めて思います。

 現代の日本に戻ります。私は昔から水分を大量の欲しがるので、水道水の水を「ゴクゴクと」飲んでいました。両親はお茶が大好きで、直ぐに飲めるように手元にお茶のセットが置いてありましたが、ゴクゴク飲めない熱いお茶は、私は身近な飲み物ではありません。そのためお茶がペットボトルで、そしてその値段がコーヒーと同じくらいで売られる様になるとは、当初信じられませんでした。

 今でも「サ店」(死語)に行ったら基本はアイスコーヒー。ホットはかなり限られた期間のみ。

 ましてお茶は・・・・ 回転寿司に行った時くらいでしょうか(^^)                                                                f:id:nmukkun:20210914064514p:plain