小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

9 勇者は語らず 城山三郎 (1982)

【あらすじ】

 川奈自工の人事部長冬木毅と、その下請会社の社長山岡悠吉は、かつて戦場で生死を共にした戦友。そして自動車メーカーの親会社と系列会社の関係になった。冷酷な様だがどこか憎めない冬木から、山岡は次々と難題を背負わされることになる。

 心理的拷問と呼ばれる経営者教育プランの参加。下請会社への厳しい生産管理とコストダウン。ジャストインタイムの導入。そして川奈自工のアメリカ進出に対して、下請けとして日本を代表して共にアメリカ入りをする。自動車摩擦でアメリカからの批判に対して沈黙するメーカー。そして更に沈黙を強いられる下請けを描く。

 

【感想】

 初読の時は、当時「地獄の特訓」としてマスコミを賑わせた経営者教育研修の描写について興味を持った。政界の指南役と言われた安岡正篤の「教義」が経営者に信奉されて、「企業人」となるべく研修で「洗脳」されていた時代。今から思えば怪しげな宗教のように思えるが、当時は注目されて流行したもの。そして現在も続いている様子(私はとてもムリです)。

 企業ではアメリカで発祥したQC活動(品質管理)が盛んになり、それが日本では進化を遂げ、TQC(トータル・クオリティ・コントロール)として企業体質の変化運動に至る。こんなことを思い出すと、ブラック企業とは名前を変えただけで、昔も今も存在しているのかと思う。

 川奈自工のモデルはホンダで、本田宗一郎のモデルも川奈龍三という名前で登場する。本作品が上梓される10年ほど前までは、アメリカに自動車の輸出など考えららないほど技術に差があったが、日本の「カイゼン」による品質向上と、オイルショックによる燃費の良い車に需要が高まり、日本の自動車輸出が急増、アメリカの自動車業界は業績が急激に悪化。リストラも進行し、自動車貿易摩擦が勃発する頃であった。

  

   *ホンダのHPより

 

 アメリカでの日本人への反感が悪化し、デトロイトでは「資本主義は自らの首を絞める」とした資本論をかざしてまで、日本車の打ち壊しをした映像が思い浮かべる。そんな中輸入規制の批判に対するため、日本メーカーはアメリカに進出し、工場を建設して現地生産を進めることになる。そこで現地での文化の摩擦や子供の教育問題など、以前商社マンが味わった苦悩を自動車会社の社員も味わうことになる。

 アメリカの自動車業界は「日本車を太平洋に追い落とす」と放言するが、川奈龍三こと本田宗一郎は、「おれたちは黙っていい車を作ってさえ居りゃいいのよ」と返す。日本車を攻撃するアメリカの自動車業界に対し、山岡は小型車を作る努力もせずカイゼンすることもしないアメリカは、「自分で自分の首を絞めた」と親会社代表の冬木に訴えるが、冬木の答えは「勇者は語らず」。日本は戦争に負けたサイレント・ネイビーとは違い、戦争を避けてアメリカで共存を目指すと語る

 そして「受けの山さん」。婚約者がいたが戦争で離ればなれになり、5年後の復員したとき、許嫁は死の床の状態だった。亡くなる直前に、夫が戦死して母子で暮らしている姉との結婚を頼まれて「受ける」。それは教師になる夢を諦めて、妻の実家の町工場の跡継ぎになることでもあった。そんな経緯から下請けメーカーになって、様々な場面で「受ける」。これも日本人の1つの姿なのだろう。

 冷酷に見える冬木も娘がアメリカでの生活に馴染めず苦労をしていたが、結局はアメリカ人と結婚して幸せな家庭を築く。対して山岡は冬木に請われてついにアメリカ進出を決断するも、渡米前に心筋梗塞で急死する。アメリカに対する世代の違いと対応の違いを暗喩している印象を受ける。

 ソニー盛田昭夫石原慎太郎が、アメリカのビジネス手法に批判的な態度から著した共著「『No』と言える日本」が発刊されたのは、1989年である。

 

*1983年にNHKで放映されたドラマ。三船敏郎丹波哲郎鶴田浩二と当時を代表するスターと共に、角野卓造さんも出演しています。