「鬼平犯科帳」,「剣客商売」,「仕掛人梅安」と、池波正太郎の名前を不朽のものにした3大シリーズ。こちらは鬼平犯科帳の「スピンオフ作品」として取り上げます。
【あらすじ】
八代将軍吉宗の治世。大盗賊、雲霧仁左衛門と名乗る盗賊一味が、江戸市中で暗躍していた。黒装束の背中には、灰色の雲を染め抜いた「粋」な衣装で、捕らえる側からするとしゃくな存在。わかっているだけでも江戸で2度、大きな盗みを働いている。火付盗賊改方の長官、安倍式部はその役に就いてから7年経つが、何度も煮え湯を飲まされている。
名古屋の豪商、松屋吉兵衛は江戸で知ったお千代と名乗る女に惚れてしまい、名古屋に連れて帰ることにした。しかしお千代の正体は「七化けのお千代」と呼ばれる雲霧仁左衛門の手下。松屋吉兵衛の店に2万両にもおよぶ財貨があると踏んでいた雲霧仁左衛門は、「引き込み役」としてお千代を送り込んだものだった。お千代の魅力に取り込まれた松屋吉兵衛は、お千代を疑うこともしない。そのため店の詳細な図面も完成させて、雲霧一味の準備は万端だった。
火付盗賊改方配下の同心の高瀬俵太郎、その師匠にあたる剣客の関口雄介は、従兄弟を訪ねに尾張に赴いた際、偶然雲霧仁左衛門の配下を見かける。急ぎ火付盗賊改方に知らせ、すぐさま配下を尾張へと送り込んだ。そこへ尾張藩と幕府隠密集団との暗闘が起き、更には雲霧仁左衛門とは別の盗賊も尾張の地で画策していて、それぞれの意向が錯綜していた。
*最初の映像化で雲霧を演じたのは、仲代達矢でした(TBSより)
そんな中雲霧仁左衛門ら一味は松屋吉兵衛の店に押し入る。ところが倉庫には2万両には遠く及ばず5千両ほどに過ぎなかった。他に隠し倉庫があると疑われたが、長引くと危険が迫ると予知して、深追いはせずに予定通り速やかに盗みを行なう雲霧仁左衛門。間もなく近隣で火事が起き騒ぎが大きくなる中、間一髪で5千両は確保して無事逃げ切れた。
雲霧仁左衛門は大きな盗みを働き、一味が生涯困らない資金を蓄えたら、最後の仕事を行なって盗賊の世界から引退を決意していた。その最後の血は藤堂家が支配する伊勢国。そのにはどうやら雲霧仁左衛門の正体の秘密が隠されているらしい。
そして雲霧仁左衛門は最後の盗みを企てる。敢えて江戸に戻り段取りをつける。しかし手下から足がついてしまった。普段ならば一旦身を引くが、今回は強引に盗みを進めようとする。しかし火付盗賊改方もその情報を察知して、盗みの舞台で雲霧仁左衛門一味を待ち構える。
*1995年の連続ドラマでは、雲霧を山崎努が演じます。(Prime Video より)
【感想】
主人公、大盗賊の雲霧仁左衛門と、捕らえる側の火付盗賊改方が繰り広げる、丁々発止の物語。「鬼平犯科帳」よりはやや時代が早い八代将軍吉宗の時代。八代将軍就任時の因縁と、緊縮と華美な政策で対立していた将軍家と尾張徳川家も背景として、珍しく江戸から離れた尾張も舞台の1つとして描いている。
そして「鬼平」とは違い、本作品での火付盗賊改方は自ら活躍するわけではなく、配下の与力や同心が足を棒にして情報を集め、時には危険な目にも遭いながらも、大盗賊を捕らえようとする。しかも火付盗賊改方は配下を多く使う仕事の内容と禄高の低さから赤字が必至で、かつ成果を挙げないと幕府から白い目で見られる、厳しい立場を描いている。
対して主人公の盗賊側。雲霧仁左衛門は実際の人物との文献もあるが架空説もあり、現物同様本作品でも名前だけが先行してなかなか姿を見せず、たまに見せても正体は見せない。その代わり「七化けのお千代」,「因果小僧六之助」,「三坪の伝次郎」,「山猫の三次」,「黒塚のお松」など、講談で出てくる「雲霧五人衆」と虚実交えた名前を持つ配下の活躍を描く。
*そしてNHKのBS時代劇では中井貴一。「七化けのお千代」は内山理名が演じました。(NHK)
配下はそれぞれの情報が分断されて、雲霧仁左衛門が描く全体図は、配下同士ではわからないように情報操作している。また忍びの「草」の如く、手引きをするために何年もかけて狙ったところの「引き込み役」を埋め込む。そんな仁左衛門の盗みとは、以下のようなものである。
「仁左衛門の盗みに、いささかのむりもなかったからだ。一つの大仕事を二年も三年もかけておこない、一滴の血をながさず、真の盗人の掟を一度も破らず・・・・盗みに成功するまでの道程における苦心を、たのしむようなおもいさえしたものだ」
このように配下に思わせて心服させていく。そんな「盗賊」だから、その布石の打ち方から実行までの長い過程を読むだけでも十分楽しめる。仁左衛門が盗みに対峙する姿勢は池波正太郎らしく、悪役であっても憎めない人柄を一面に描き、「善と悪」を合わせ持つ人物像を作り上げていく。
そして雲霧仁左衛門の正体が最後に暴かれる。なぜ最後の仕事が伊勢国なのか。そして盗賊の世界に入ったのはなぜか。ここでも「善と悪」が共存する人間を描き、ただの悪人に終らせていない。
それでも池波正太郎は「含み」を持たせている。最後は読み手が様々な想像を巡らせることができる「余地」を敢えて残して終らせている。
*OFFICE NAKAIより