小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

18 闇の狩人 (1974)

 鬼平犯科帳」,「剣客商売」,「仕掛人梅安」と、池波正太郎の名前を不朽のものにした3大シリーズ。こちらは仕掛人梅安の「スピンオフ作品」として取り上げます。

 

【あらすじ】

 大盗賊・釜塚の金右衛門の片腕とも言われ活躍している雲津の弥平次は、盗みの時に飛び降り損ねて痛めた足が悪化したため、上州と越後の境の温泉に湯治に来ていた。そこである一行に追われて、崖から落ちて倒れていた若い侍を見つける。何日も食べていないのか、担ぎ上げると驚くほど軽い。盗賊稼業をしている弥平次だが、その侍が妙に気になり助け出す。

 

 看病すると若い侍は意識を回復するが、自分の名前も、素性も全く思い出せない。どこから来てこの場所に辿り着き、そしてどこへ向かおうとしたのか。自分の名前も思い出せない侍に、弥平次は谷川弥太郎という名前を与えた。それから弥平次は盗賊稼業に戻るが、迷惑がかかると考えて、弥太郎を残して帰路についた。

 

 江戸に戻った弥平次は、釜塚の金右衛門一門の跡目争いに巻き込まれていた。跡目を狙う五郎山の伴助土原の新兵衛が勢力争いを始めるが、争いが激しくなり、敵の陣営に与する配下を殺害するまでに至った。弥平次はこの争いを収めるために動き始める。

 

 同じ頃、弥平次と別れてからも記憶が戻らない弥太郎は、偶然見せた剣の腕前が見込まれて、五名の清右衛門という香具師の元締に拾われて、仕掛人として生きていた。五名の清右衛門は、最初は弥太郎の境遇に同情するが、凄腕の弥太郎を見て次第に仕掛人として信用され、重用されていく。ちょうど五名の清右衛門は「同業者」である香具師の元締である白金の徳蔵から圧力を受けて、先行きに危機感を覚えていた。

 

 

 *1979年の映画は主役の仲代達矢始め、「雲霧忍左衛門」のスタッフが制作されました。(Huluより)

 

 ある日、弥太郎は仕掛の為に斬った侍の口から笹尾平三郎という名を聞く。自分の姿を見て呼んだらしいが、果たして自分の名前なのか? か細いながらもようやく自分を取り戻す手がかりを得た弥太郎。その手かがりは、やがて越後の大名、土岐丹波守につながっていく。

 

 跡目争いを収めようとしていた弥次郎は、偶然見かけた弥太郎を連れ出した。一別後に弥太郎が仕掛人として生きているのを知ると、仕掛人の世界から抜け出させるために、そして弥太郎の過去を取り戻すために、一肌脱ごうと決意する。

 

【感想】

 あらすじだけを読むと、前回取り上げた「梅安針供養」の変奏曲に思える。しかしそれだけではない。

 主人公の1人、谷川弥太郎を記憶喪失の設定にして、過去がわからないのに襲われ、降りかかった「火の粉を払う」生活をしているうちに、「闇」の世界に陥ってしまう姿を描いた。身分制度と「血筋」が厳格な江戸時代では、記憶喪失で「血筋」もわからない人間は、まともな身分には、なかなか入れない。そのために自分の意思にかかわらずに「仕掛人」となってしまう運命を描いている。

 もう1人の主人公である雲津の弥平次も盗賊だが、これがカラッとした江戸っ子のようで、何故か稼業に似合わず面倒見がよくて、妙に親切に見えてしまう。跡目争いを収めるために動くが、弥平次が跡目でいいじゃないかと思ってしまうほど。

 

 

 *1994年のテレビドラマは、主役を村上弘明が演じました。(Prime Videoより)

 

 ここで池波正太郎は「盗賊」について独特の定義を示す。

 しかし、釜塚の金右衛門ほどの大盗賊になると、配下の盗賊は合わせて四十人はいるし、むかしながら盗賊の世界に厳として存在する三ヵ条の掟をきびしくまもらなければならならぬ。その掟とは、

一、盗まれて難儀するものへは、手を出さぬこと。

一、盗めするとき、人を殺傷せぬこと。

一、女を手ごめにせぬこと。

 この三ヵ条である。

 これが、本格の盗賊の「モラル」であって、これを外れた盗賊は、どこにでもころがっている強盗にすぎない。真の盗賊はそうした悪どもを「畜生」だと、きめつけていた。

 「鬼平犯科帳」でも触れた盗賊に存在する掟は、池波正太郎作品全体にも一貫している。悪人だからと言って、その悪が果たして万人がうなずく悪なのか、そして悪を判断する価値観は、時代を越えて不偏のものなのかを読者に問いかける。「善が行なう悪」に対しては、池波正太郎は時に優しく時に哀切を込めて描くが、「悪の悪」に対しては、池波正太郎の筆は恐ろしく厳しい。「悪」の中の勢力争いが2つ。その中に池波正太郎は、記憶喪失の弥太郎と、江戸っ子気質の盗賊、弥次郎を放り込んで、「悪の善」と「悪の悪」を描き分けている。

 仕掛人という闇の世界に嵌まってしまった谷川弥太郎だが、次第に「笹尾平三郎」としての人生が記憶の深層から浮き上がってくる。但し、記憶がない中で命が狙われる度に「果たして記憶が甦ることがいいのだろうか」と疑問が湧く。これは「知らなければいいこと」なのに知ろうとする、現在の社会にもよくある話を重ねている。そんな中で揺れ動く弥太郎だが、弥次郎の協力もあって全ての真相を知り、そこから新しい人生を歩み出させている。

 弥太郎が失っていた「笹尾平三郎」としての真相の詳細は省くが、内容はまるで藤沢周平作品が、独立して1つ作れそうな物語。そして池波正太郎は、役割を終えた「悪の善」2人に、安息の日を与えて終らせている

 

  

 *そして2014年のテレビドラマでは、中村梅雀が演じました。(時代劇スペシャルより)