小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

15 狂気の父を敬え(織田信雄) 鈴木 輝一郎(1998)

【あらすじ】

 織田信長の次男として生まれた信雄(のぶかつ)。信長が伊勢国の実権を握る、北畠具教を懐柔する手立てとして、国司となっていた具教の子具房の養子となった。文武両道の養父具教からは様々な教えを受け、具教に対して実父の如きつながりを感じていた。しかし信長から具教を殺める命が下る。実父と養父の間で苦悩し、自害を求める信雄に対し、具教は信長の命に従い殺害される道を選ぶ。時に信雄18歳。

 

 信雄の初陣は長篠の戦いであった。1歳年上の長男信忠と共に戦の目論みを問われる信雄だが、2人とも信長が満足する回答が出せない。戦国最強の武田軍に対して「一兵も失わず」勝つ方法の回答として、信長は長大な防御柵をこしらえ、3千を超える鉄砲を一斉射撃することで、武田騎馬軍団を次々と消滅させていった。「戦の美」から離れ、徹底的に勝ちを求める戦い方こそ、信長の考えだった。

 

 石山本願寺の戦いでは、兄の信忠は総大将として、大型の鉄甲船を盾にして毛利水軍を撃退する一方、信雄は良いところを見せられない。相談する者がなく、燭台の火を相手に自問自答する信雄が出した答えは、伊勢の隣国の伊賀征伐だった。但し伊賀は、忍びが支配して矮小な攻略困難な地。信雄の意を知った伊賀国12人衆とその頂点に立つ丹波百地は、信雄に抗戦することを決意する。

 

 信雄を敢えて伊賀に引き込む伊賀衆。8,000の兵を引き連れて信雄は進軍するが、それは伊賀忍者たちの罠だった。様々な仕掛けが山林に仕掛けられていて、信雄軍は敵と遭遇する前に次々と命を落とす。陣中で重臣の柘植三郎左衛門が文字通り「寝首をかかれた」姿が寝床で発見され、信雄は知らぬ間に自分の顔に「影踏むべからず」と書かれていた。信雄は伊賀の底知れぬ能力に恐怖を覚え、撤退を決意する。

 

 信長に相談せずに戦いを起こし、しかも結果が敗退。信長は折檻状と共に、使者に「死ね」の言葉を使わし、織田軍の総力を挙げて伊賀攻めを決行する。総勢4万2千で周囲を囲んで一斉に攻め込み、女子供と言えども容赦せず「根切り」をしていく。信頼する明智光秀には信長の非情なやり方に叛意をこぼすが、間もなく光秀は信雄から遠ざけられてしまう。信雄は改めて燭台に向かって自問自答し、父信長に従うことを決意する。

 

  織田信雄ウィキペディアより)

 

 伊賀は鎮定された。しかし光秀は安土城お披露目の場で、万民の前で信長に叱責されて「武士の一分」を傷つけられた。その気持ちを汲んだ信雄は光秀に、共に信長を弑逆するよう決意を促す。それでも決断できず信雄と別れた光秀だが、信雄との盟約の書を、丹波百地に盗まれてしまう。その書が信長に渡ったら光秀の命はない。光秀は単独で本能寺の変を決行する。

 

 光秀に断られて一旦軍制を解た信雄は、その後の時機を逸し、ようやく光秀軍が撤収したあとの安土を占領した。燭台は信雄に「どなたを父と呼ぶのですか」と問う。その時信雄の脳裏には、自分のために犠牲となった北畠具教が思い浮かぶ。信長の痕跡を消し去る決意で安土を町ごと燃やす指令を出し、つぶやく。「父は、要らない

 

 

【感想】

 織田信忠秋田城介)、神戸信孝と3兄弟の1人、北畠信雄本能寺の変で信忠が父とともに亡くなり、後継争いで信孝は英邁とされて柴田勝家が推したが、「信雄は暗愚」として候補にならなかった存在。理由の1つに、安土城を焼失させたことがあげられている。本作品はその安土城焼失の「動機」を最後に結んでいる。

 信雄は信長の天才性と非情さにはついて行けない。教養を授けてくれた北畠具教を慕い、織田家中でその教養を判り合える明智光秀との交流を通して、本能寺の変までの心の動きを描いている。鈴木輝一郎はのちに織田信忠と父信長の絡みを描いた「信長と信忠」を著わしているが、本作品の方が、断然心理描写が優れている。

 

  

 *北畠具教は北畠親房の流れを汲む公家ですが、同時に塚原卜伝上泉信綱から教えを受け、「一の太刀」を伝授された文武両道の達人です(ウィキペディアより)

 

 燭台を相手に自問自答する姿が、自らの鏡となって見事な演出となっている。人材がいない家臣団を歎く信雄だが、燭台は「家臣は主君の鏡」と諭すのは興味深い。また信長に怯えながら無難な回答をする信忠、信雄に対して、徳川家康の息子信康は、信長が煙たい話も堂々と発言し、その後の運命を予感させている。

 そんな中、唯一心を打ち解けることができる相手が明智光秀。その理由の1つに、信長に言われ無き理由で打擲された光秀を、幼い信雄が冷たい布で冷やしてくれた思い出を語っているのがいい。その思いは、本能寺の変まで持ち込まれていく。

 

 本作品の後も、この人は浮き沈みの激しい人生を送っている。

 織田家の後継争いでは、信孝を推した柴田勝家に対抗して、自然と秀吉側に付く。勝家が敗れたあと、信雄は秀吉に利用される形で、信孝の命を奪った。織田家の跡継ぎである三法師(織田信秀)の後見役を気取るも、今度は秀吉と対立する。徳川家康を巻き込んで小牧長久手の戦いとなるが、秀吉の調略のかかり家康の「はしごを外して」、勝手に秀吉と和睦する。内大臣を任命され、豊臣政権で序列2位の地位を受けるも、転封を拒否したため、怒りを買い改易され秋田に流される始末。それでも家康の尽力で名誉回復し、大名に復帰する。

 ところが関ヶ原では西軍について再度改易され、叔父の織田有楽斎とともに大坂城にいたが、大坂の陣の直前で徳川方に寝返り、大名に返り咲く。晩年は茶や鷹狩りなど、悠々自適の日々を送って73歳で死去した。

 

  

*得意技は「わ・ぼ・く」。「どうする家康」で描かれた信雄も、真実を突いているように思えます(NHK

 

 なお信雄と伊賀の忍びの戦いは、伊賀側から見た和田竜の「忍びの国」も面白いですが、映画(主演:大野智)は残念でした(個人の感想です)。

 

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