およそ1年振りの雑記になります。
1ヶ月前の旧聞となってしまいましたが、本州で唯一足を踏み入れていなかった、念願の和歌山旅行に行ってきました。当初は投稿する予定はなかったのですが、しばらく経つと、記録に残したい気持ちが芽生えてきました。
以前から人生で一度は高野山奥之院には足を踏み入れたい願望があり、せっかくなら熊野三社巡りもしたい! そんな気持ちを抱えつつ配偶者に相談したら「パンダが見たい!」とのリクエスト。
そんなことで、いつものように「ギチギチの」スケジュールで、ドタバタ旅行になりました (^^)
*やはりこちらの作品を振り返ったことが、和歌山行きに火をつけました。
仙台空港から関西空港まで「庶民の味方」格安航空のピーチ ✈ で片道1人およそ3,000円(高速バスより安いぞ!)。そこから(なぜ天下茶屋を経由しなくてはいけないのか、よく理解できないまま)南海電鉄で高野山へ。途中曜日によって走っていない電車に驚きながらも(路線バスか!)、ランチを食べる余裕もないままたどり着きました。
まずは高野山金剛峰寺巡り。平日にも関わらず、外国人のインバウンドもだいぶ目立つ中、古を思いながら密教文化に浸りました。そこからいよいよ奥の院!と思ったら、お昼を抜いたためか、配偶者がダウン気味(残暑も激しい時期でしたからねぇ 💦)。
私の思い込みが激しく、前のめりで進んでいたので申し訳ないと思い、今回は諦めようかと決意。そうしたら配偶者は一休みしてアイスクリームを食べることで回復し(ドラクエの「やくそう」ww)、何とか奥之院へと向かうことができました。
*「司馬遼太郎文学碑」橋本新聞より
まずは入口の一の橋から。「司馬遼太郎文学碑」を横目にみながら進むと、一般の方や企業の名に交じり、歴史上のビッグネームも数多く葬られています。20万基にのぼると言われるお墓たち。弘法大師空海が弥勒菩薩ともに、将来(56億7千万年後)この地に戻ることを信じ、その傍でその時を待っている姿は、荘厳な思いに浸ります。武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉などのお墓を眺めながら、往時に思いを至らせる時間を過ごしました。
中の橋、御廟橋と渡り、いよいよ日本最強のパワースポットと呼ばれる聖域「弘法大師御廟」に。さすがに私も配偶者もロ数が少なくなり、神妙な面持ちでお祈りさせていただきました。
(但し私はパワースポットから、力を受ける能力がない・・・・ 残念!)
御廟の裏には「空海への手紙」を投図するボックスがひっそりと。それぞれの思いを言いて投函させていただきました。
*金剛峯寺HPより
これで1日目の予定は終了。宿坊に入ってかなりボリュームのある精進料理を頂きました。配偶者はさすがに「聖なる地」でのアルコールは諦めていましたが、なんと宿坊の中の自動販売機にアサヒのスーパードライが! 空海さんも話はわかるとばかりに(^^)、般若湯(僧侶が使うお酒の隠語)に舌鼓を打っていました(私は酒が飲めない)。
(1日目は写真撮影を憚(はばか)れる場所も多く、画像は公式サイトなどから借用させて頂きました)
2日目もスケジュールは一杯。朝の読経に参加させでいただいた後は、朝食もそこそこに橋本駅に戻り、そこからレンタカーを借りて熊野三社詣に。距離的に見るとたいしたことはないと思っていましたが、初めての道で山道も多く、残暑も厳しい中のため、意外とハードな行程となりました。
*清盛の熊野詣がきっかけに平治の乱が勃発し、清盛が権力者への道を進みました。
平安の頃流行した熊野信仰によって、法皇や天皇、そして平清盛ら権力者たちも、わざわざ不便な道を使って訪れたと言われる熊野詣。その最初を飾る熊野本宮大社は,現代では3本足の八握烏(やたがらす)が日本サッカーのエンブレムになったことから、新たな信仰も集めています。こちらでもお互いに様々な思いを抱きながら、参拝させていただきました。
明治の洪水で流失する前にあった大斎原を眺めながら、次はさらに下って熊野那智大社へ。こちらはぜひ那智の滝に行きたかったのですが、雨と時間の関係でギブアップ。那智大社への参拝で終えましたが、遠目から見ても那智の滝は迫力満点で、気分は充分満喫。
次は熊野速玉大社へ。新宮市の街中にある神社ですが、少々歩くと「ゴトビキ岩」という巨岩もあり、こちらも迫力満点。熊野古道もかすって、和歌山の自然と信仰を深く味わうことができました。
とは言え2日続けてのハードスケジュールとなり、2人ともへロヘロ。
ホテルで早々に休みましたが、その頃関西は 「アレ」で大騒ぎになっていました。
*熊野速玉大社(熊野三山協議会HPより)
(2日目は 撮影者の技量から貧相な写真が多かったため 、画像は公式サイトなどから借用させて頂きました)
~②海の巻に続く(1週間後)
(読書?)