小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

10 生きて候(本多政重) 安部 龍太郎(2002)

【あらすじ】

 後に徳川家康の参謀として活躍する本多正信の次男として生まれた本多政重だが、生まれた頃父正信は、徳川家から出奔して加賀一向一揆衆に紛れ込んでいた。信長の一向衆への攻撃が迫り、母は門徒として殉死するが、正信は母の願いで子の政重を連れて逃げ、徳川家中で武勇を誇る倉橋長右衛門の養子となった。義父の影響で政重は83㎝もある大身槍を使う武勇の士に育ち、本多正信を愚弄する武闘派の本多忠勝榊原康政からも、一目置かれる存在になった。

 

 ある日親友が徳川秀忠の寵臣と争い、喧嘩両成敗の所を兄の本多正純が不公平な扱いをしたことに腹を立て、一暴れしたあと徳川家から出奔してしまう。そこを前田利家から誘われ、朝鮮出兵視察の依頼を受ける。利家の次男前田利政に槍の指南をしていた政重は、利家の娘の豪姫への恋慕もあり、利家の依頼を断れない。

 

 悍馬大黒を連れて朝鮮へと赴くと、そこは一向門徒が信長に「撫で斬り」にされた地獄図の再現だった。政重はまだ子供ながら、勇士の政重に憧れる竹蔵を従者として戦場を視察する。司令官を務める宇喜多秀家は秀吉の意向を汲みながらも、戦争をどのように収めるかを苦慮していた。その誠実な姿勢と将器を感じる性格に、政重は感銘を受ける。政重は帰国して利家に報告するも、頼みの利家は秀吉から疎んじられて意見は届かず、戦争は秀吉の死でようやく終止符を打つ。

 

  *本多政重(ウィキペディアより)

 

 兄の本多正純からは、徳川家への帰参を誘われるが、政重はかつて活気に溢れていた徳川家中が、今は重苦しい空気が流れているのを感じていた。その原因は本多親子。正純の誘いは、対立する武闘派から受けの良い政重を、味方に引き入れる魂胆。折しも以前出奔した政重の親友の裁判も行われたが、政重は正純の思惑を打ち破ってしまい、その勢いで「正式に」致仕してしまう。

 

 政重が浪人になったと聞いて、朝鮮での政重の活躍を知る武将からは高禄での誘いが後を絶たないが、政重の意向は宇喜多秀家ただ1人。そして心の底に沈めた豪姫は秀家の室となっていた。ところが兄の正純は宇喜多家に内紛を招き、力を削ごうと暗躍していた。政重はその動きを察知して対抗するが、反面石田三成が家康暗殺を企んでいるのを知ると、徳川家に危険を知らせる心情もみせる。

 

 関ケ原では自慢の槍で獅子奮迅の大暴れ。しかし小早川秀秋の返り忠もあり、西軍は敗れ、政重は家来もなく、竹蔵とも別れ1人で退路を開く。そして宇喜多秀家も数少ない人数で逃亡し、最後は薩摩の島津家に頼った。政重は島津義弘に、朝鮮からの帰路に不足する船を手配した恩がある。島津家も秀家を匿うが、幕府の追及は激しく、ついには秀家を引き渡さざるを得なくなる。その途中、政重は秀家と豪姫の対面の場を密かに設けて、最後の忠義を成し遂げる。

 

 

【感想】

 作者の安部龍太郎が金沢の加賀本多博物館で見て触発された、刀身が83㎝もある大身槍。実は私も見たことがあり、異様な大きさに驚いた記憶がある。その使い手が「謀略の臣」本多正信の息子と知って、違和感が強く湧いたもの。調べてみると父や兄と違い「武辺者」のようであるが、それでも徳川家の中枢にいる正信の息子が、福島家、宇喜多家、上杉家、そして加賀前田家と「敢えて」徳川の外様藩を渡り歩く姿は、否が応でも世評名高い「堂々たる隠密」の役割を想像してしまう。

 物語は兄本多正純を悪者にして、「一夢庵風流記」の前田慶次の活躍をなぞるような戦国絵巻。槍一本で戦国の世を渡り歩き、義理人情に加えて豪姫へのほのかな想いも匂わせる。一方で愛馬の大黒まで加藤清正の愛馬有明と戦わせ、抜け目なく桜雪と名乗る牝馬との濃厚なラブシーン(?)を見せるのは、それこそ「傾奇者」前田慶次の愛馬、松風の挿話を思い出させる。

 

  宇喜多秀家ウィキペディアより)

 

 関ヶ原の活躍振りは、家康本陣の眼前まで迫り、家康から「あれは安房守(正信)の伜ではないか」と呆れさせる始末。政重の従者だった竹蔵が実は宮本武蔵で、関ケ原では宇喜多家の与力だった武蔵の挿話を絡ませるなど「冒険活劇」としてはお腹一杯になっている。

 政重はその後上杉家でも名高い名将、直江兼続に招かれて養子となる。前田慶次をなぞる生き様を見せた政重が、慶次と同じように直江兼続に吸い寄せられている。但し直江兼続は徳川家と関係が深い政重を招いて、大減封を招いた自身の立場を強化する目論みがあった。その後かつての主君だった宇喜多秀家が徳川に捕まって八丈島に流刑となり、実家に戻った豪姫とともに、加賀前田家に3万石で招かれた。

 では実際の本多政重は本当に「堂々たる隠密」だったのか。徳川家に敵対する家臣を渡り歩くのは不自然そのもの。しかし上杉家や前田家では、外様に吹き荒れた減封の危機を、直接本多正信など幕府中枢に訴えて回避し、「武断政策」を進めていた幕府の方針とは、反した行動をとっている。

 そして上杉家から前田家に移る時は、直江家などの家臣を多く引き連れ、大減封で厳しい財政の上杉家を助ける行動をしている。これも本来の幕府の意向、特に兄正純は苦虫を噛み潰すような「余計な行動」だったはず。

 こう考えると、家康に叛いた経歴を持つ父に似て、反骨精神を持ち合わせた「傾奇者」だったのだろう。

 

*この作品では政重の子政長も、前田家筆頭家老「堂々たる隠密」として活躍します。

 

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