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【あらすじ】
1769年、淡路島の貧しい農家に生れた後の高田屋嘉兵衛は、11歳の時に奉公に出て、22歳になると神戸に出て水主(かこ)となる。やがて船頭となり、難航路である冬の季節に、紀州の新宮から江戸に材木を筏で運搬することに成功して頭角を現す。兵庫第1の廻船問屋、北風荘右衛門の信頼を得たことも力になり、28歳の若さで1500石積の巨船「辰悦丸」を建造して独立を果たした。嘉兵衛は辰悦丸で蝦夷地と神戸を往復して稼ぎ、2年後には持ち船が5隻になるまで急成長を遂げた。
嘉兵衛は幕府が直轄地としていた東蝦夷地に進出する。そこで安全な航路を開拓し、新たな漁場を開き、そしてアイヌの民に漁法を教えるようになった。その功績により33歳の嘉兵衛は、幕府から「蝦夷地定雇船頭」を任じられ、名字帯刀を許される。その時期、ロシアは南下政策に伴い幕府へ交易の申し入れを迫ったが、幕府は返事を留保していた。業を煮やしたロシアは日本人に対する暴行事件を起こして、幕府はロシアへの感情を悪化させ、観測船を拿捕する事件(ゴローニン事件)が起きる。
1812年、嘉兵衛はゴローニン事件に巻き込まれ、ロシア船ディアナ号のリコルド少佐に捕まり、カムチャッカへ連行される。異国ロシアでの興隆生活が生む苦悩と葛藤そして仲間の死。しかし嘉兵衛は、これまでの人生で培われた「みな人ぞ」の精神でロシア人と接し、お互いの心の垣根を取り外していく。そして嘉兵衛はリコルド少佐と強い信頼で結ばれるようになり、こじれきった日露の橋渡しを嘉兵衛自ら担おうと決意する。幕府との交渉は難航したが、粘り強く説明して同意を得て、日露の紛争を平和裏に解決することができた。
幕府との交渉のために日本へ発つ日、看板で鈴なりのロシア人船員達が一斉に声を上げる。「ウラー!タイショウ!」と。そしてその役目が終ると郷里の淡路に帰り隠居生活に入る。1827年、59歳で波乱に満ちた、数奇な生涯を終える。
【感想】
司馬遼太郎らしく「余談だが」で始めるが、マンガ家手塚治虫が描くテーマの1つに、異文化との交流がある。子供の時に戦争による空襲を経験して、終戦後進駐軍から会話が通じない中で、突然大男から暴力を振われたのがトラウマになったと話している。高田屋嘉兵衛以前、外国人との交流において日本人が目を見張るような成果を上げたのは、空海を筆頭に数えるほどしかいない。
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*もう1つの日本人と外国人の「異文化交流」をテーマにした物語。
司馬遼太郎は、高田屋嘉兵衛を日本で最も偉い人物として評価している。民間人が日本とロシアの外交問題に巻き込まれて捕虜にされたが、そんな状況の陥っても前向きな気持ちを失わなかった。言葉が通じず、文化も相違して考え方も異なる。そんな中でも嘉兵衛は相手は同じ人間だと、楽天的な気持ちでロシア側と折衝する。
そして嘉兵衛は、言葉は通じなくても船乗りにはわかる、卓越した操船術を持っていた。嘉兵衛がディアナ号に拿捕されてロシアに向かう途中、船は大嵐に遭遇する。沈没しかかった時、嘉兵衛はとっさに操船を指揮して、船を沈没から救った。嘉兵衛の操船術が余りにも見事だったために、ディアナ号の船乗り達は、皆心服したという。命の危険が迫る中、「この人に任せておけば」と思わせる技術と存在感を持ち合わせた人物。これは「異文化」の中でも、例えば野生の動物のように、本能が感じるものだろう。
カムチャッカに連行された嘉兵衛は、現地でリコルド少佐やその部下、地元住民との交流に努め、リコルド少佐の人間性にも恵まれて、2人は友情を育んでいく。ディアナ号がゴローニン救出のために、嘉兵衛を乗せて再び日本に向かう時に、嘉兵衛はリコルド少佐に誓う。「わしを日本に戻してくれ。必ず幕府に掛け合って、ゴローニン救出のために交渉する」と。その時には、嘉兵衛の言葉を信じることができる友情が、2人の間に結ばれていた。
*リコルド少佐(ウィキペディアより)
この過程を描くために、司馬遼太郎はだいぶ「余談」を重ねている。物語の前半部分は嘉兵衛が厳しい環境の中でも未来を信じる気持ちを失わずに、船頭としての能力と高めて、日本一の船乗りに成長していく過程を描いている。合せて樽廻船や北回り航路など、江戸時代の水運についての知識が網羅される。
後半になりロシアとの絡みとなると、今度はロシアの事情に筆を費やす。「街道をいく・ロシア紀行」のような第5巻だが、当時はまだ東西冷戦が続いていた時代。「坂の上の雲」でロシアについて考え、本作品のあとは「ロシアについて:北方の原形」という本も上梓した司馬遼太郎。リコルド少佐を始めとするロシア側を描くのに、頭の中のモーターは回りっぱなしになったのだろう。
「坂の上の雲」で主人公の1人、秋山好古がロシアに視察に行った時のこと。個人として付き合うロシア人についての好印象を称え、対してロシアが「国家」という集団となると、どれだけ変貌するかを描いた。この不思議な(どの国でも、似たような傾向はあるが・・・)性格について、司馬遼太郎は何度も繰り返し考えている印象を受ける。そして司馬遼太郎が抱いた印象は、残念ながら現代にも続いている。
ロシアの船員は、嘉兵衛を日本人船員が呼ぶように「タイショー」と呼んで慕った。嘉兵衛が日本に向かい、別れの時にロシア人船員が全員集合して「ウラー タイショウ!」と叫ぶシーンは感動を呼ぶ。そして全てを成し遂げた後、人生の幕を閉じる時に嘉兵衛が思い出すのはそのシーン。周囲の人に「ウラー タイショー!と言ってくれ」とお願いするのは、この場面に邂逅するために嘉兵衛は生を受けて、そして船頭として成長した「宿命」だと知ったからであろう。
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