小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

10 城塞 (1972)

【あらすじ】

 関ヶ原の戦いで天下の実権を握った徳川家康。しかし豊臣家は大坂に健在で、亡き太閤秀吉の遺児・秀頼は、東洋一の大要塞、大坂城の中で成長していた。久しぶりに秀頼と対面した家康は、自分にはない若さと市井の人気に危機感を覚え、ついに豊臣家を滅ぼすことを決断する。

 

 難攻不落の城塞を攻略する間者に、旧武田家家臣の小幡勘兵衛が任命される。武芸・軍略を究めるために徳川家を辞して牢人し、全国を流浪しながらも研鑽を重ねた勘兵衛は、あわよくば再び乱世となり一旗揚げる、そんな気持ちも抱いて大坂城に潜り込む。しかし大坂城千姫に付き添った家臣たちを始め、豊臣家の重臣たちにまでも内通者がいた。そして豊臣家の行く道を決める決断は、淀君によって振り回されている有様であり、重臣たちも豊臣家の行く末を見限っている状況だった。

 

 家康側の謀略に踊らされ、大坂方は為す術もなく開戦へと追い込まれる。大坂城に参集した大名は皆無で、やむなく関ヶ原で負けた真田幸村や長曾我部盛親、そして後藤又兵衛ら牢人たちを掻き集め、冬の陣の戦端が開かれる。大軍を率いて攻める家康に対して、豊臣方は幸村らの活躍もあって善戦した。

  豊臣秀頼ウィキペディアより)

 

 大坂城を正攻法で落城させるのは困難と、家康は最初から持っていたため、大筒で淀君を怯えさせて一旦講和を結ぶ。講和の条件は外濠の埋め立てであったが、家康は約束を反故にして外濠のみならず内濠までも強引に埋め、城壁もことごとく破壊して、大坂城を裸同然の状態にしてしまった。講和という策略で目的と達した家康は、満を持して再度の開戦を行う。

 

 大坂城からの退去を命じられた豊臣家はついに開戦を決意し、夏の陣の火蓋が切られた。もはや籠城は不可能であり、野外戦に打って出る。豊臣方の兵士たちは奮戦するが、幸村などの名将達も次々と討ち死をして戦線が維持できなくなり、大坂城は完全に包囲されてしまう。

 

 城内の一角から上がった火の手はすぐさま広がり、たちまち本丸全体が火に包まれた。応仁の乱以来、150年続いた乱世で立身を求めた強者達の夢が、終焉しようとしている。そこには間者が露見して大坂城から離れた、乱世に乗じて「小幡幕府」を夢見た勘兵衛もいた。その夢も潰えて、来たるべき徳川の世で生きるために、少しでも功を拾おうとしていた。

  *落城の混乱と略奪を描いた大坂夏の陣図屏風の右ウィキペディアより)

 

【感想】

「覇王の家」「関ヶ原」に続く徳川家康三部作の最後。そして戦国時代の幕引きを告げる大坂の陣を描いた作品。当初司馬遼太郎は「女たちの城」として、淀君を始めとする豊臣家の人々を描こうとしたが、主人公たる淀君が書くに値しないと諦めて、人格のない「城塞」をタイトルにしたと言う。淀君のヒステリー体質(織田信長の姪である)は家康と好対照。「関ヶ原」で描かれたライバルの石田三成は、豊臣方で唯一家康と対峙できる人物としての見応えがあったが、本作品では家康に立ち向かうべき役者が存在せず、「試合」として成り立っていない。

 徳川家康の圧倒的な武力を背景とした知略・謀略が余りにも突出して、まるで阿部寛のような存在感!(決して松本潤ではないww しかし松潤は、大坂の陣あたりはどんな演技をするんだろう?)。それでも少しでも確率が高い手法を常に考えて、彼我の差が大きい豊臣方に対しても決して油断せず「獅子搏兎(獅子は兎を捕らえるにも全力を尽くす)」姿勢に、豊臣方が気の毒に思えるほどである。

  淀君ウィキペディアより)

 

 そのためだろうか、本作品は「狂言回し」として、後に武田信玄の軍法をまとめた「甲陽軍艦」を著し、「甲州流軍学」の創始者となった小幡勘兵衛(景憲)を用意した。太平の世では無用の長物だが、武士の存在理由のために一世を風靡した軍学応仁の乱から150年続いた戦乱の世が終焉した「燃えカス」のような存在を、哀切と司馬遼太郎らしいアイロニーを込めて登場させている。

 日本史上類を見ない独特な「戦国時代」。能力主義、出世願望、下克上、欲望、自己表現。天下統一によって収斂された「熱量」全てが大坂城に詰め込められている。そのため圧倒的な武力と知略の差があっても、大坂城を攻め、天下人となった豊臣家を滅亡させるには、家康そして徳川幕府としても多大なエネルギーを要した。そしてそこに吸い寄せられる武将や牢人たち。「宴」が間もなく終焉するのを誰もが感じながらも、その宴に命を懸けて演じきろうとする大坂方の戦士たち。それは1000年続いた武士の世の終焉に立ち会った、西郷隆盛と同じ気持ちを抱いていたのだろうか。

 「戦国のゲルニカ」と呼ばれた大坂夏の陣図屏風。戦いの様子とともに、落城の際の逃げようとする敗残兵や避難する女性達に、略奪、首狩り、誘拐しようとする様子が生々しく描かれて、天下人の滅亡の悲哀を容赦なく描いている。その中に「のぼうの城」でも登場した、天下統一最後の戦いとなった忍城の籠城戦で活躍した甲斐姫もいた。忍城落城後は秀吉の側室として大坂城に連れ去られたが、秀吉の死後は秀頼のお付きとなって世話をし、大坂城落城の際は決死の覚悟で秀頼の子供2人を連れて落ちのびたという。京都で捕まり男子は殺害されたが、女子は鎌倉の東慶寺縁切寺)に入れられた。そして甲斐姫はその女子に最後まで付き添ったという逸話が残っている。

 戦いに巻き込まれた女性たちの情景。これもまた戦国時代の終焉を飾る、1つのエピソード。

 

 

*映画「のぼうの城」では、甲斐姫榮倉奈々が演じました(映画.comより)