【あらすじ】
戦時中、特攻の部隊に配属されたが無事生き延びた藤田敏雄は、自由な商人として生きることを決意する。商人でもあった母の教えを守り、堅実な商売を続け、北千住で営む洋品店から食料品も扱うなど業容を広げ、スーパーマーケットへと変貌を遂げていく。アメリカ視察でチェーン運営に刺激を受け、藤田は徐々に事業を拡大していく。
同時期に強気の拡大路線でマスコミの寵児となるスーパーサカエの中村力也。「文化」を打ち出し、イメージ戦略に抜きん出るも、スーパーを超えた業種で拡大を目指すセイヨーの大館星一らライバルと競いながら、藤田のスーパーは成長を続ける。そんな中入社した大木将史は、アメリカ出張の際コンビニエンスストアに出会う。周囲の反対を押し切りコンビニ出店を始めた大木は、本家アメリカにはない様々な戦略を打ち出し、コンビニ業界は発展を遂げるが、その時スーパーは衰退の兆しが忍び寄っていた。
【感想】
バブルの前にイトーヨーカドーが収益でダイエーを抜いて業界から注目された頃の話。社長の伊藤雅俊は余り取材に応じず、たまのインタビューでも「私は何もしていない」、「部下から新規事業の提案があっても怖くて断ってばかりいる」といった、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったダイエーの中内功や、西友の堤清二とは真逆のイメージに驚いた記憶がある。
そんな堅実な性格を本作品では「藤田敏雄」として、「中村力也」との対比や母の教えなどを使って、際立たせて描いている。そんな主人公の性格からか、内心の葛藤を時々のぞかせるが、「カリスマ」とはほど遠い淡々とした描写で、しばらく物語は進んでいく。
そこへ藤田とは真逆の性格を持つ大木が現われる。現状をことごとく否定して変化を求める大木。大木に対しての藤田と仲村の関わりが面白い。仲村は大木を引き抜こうとするが、大木は「私が仲村社長と一緒に働けば喧嘩になりそうです(下巻21ページ)」と言って断る。対して権限を委譲した藤田も、「この男は、私を否定するのか(下巻110ページ)」と、温厚な藤田が「怒鳴りつけたくなった」。
*伊藤雅俊の元で、セブンイレブンを作りあげた鈴木敏文をモデルとした下巻。
藤田は妻の説得もあり、時代の流れと自らの役割を考えて、改革の担い手として全ての権限を大木に委譲する。対して大木のスカウトに失敗した仲村は、「再建屋」として名高い人物を迎え入れるが、バブルの時代に突入すると、事業改革を白紙撤回して、自ら不動産や事業の多角化に没頭することになる。
バブルの崩壊に対しては大きな影響を受けなかった藤田だが、監査役が起こした総会屋の利益供与事件が発覚し、責任を取って社長を辞任する。そして後継に指名された大木は、次第に独裁者の色彩を帯びていく。大木は藤田と違って、眼の自分がやらないと気が済まない。そして妥協しない性格は周囲に対しても峻烈になり、そして孤立することになる。
藤田が大木と、そして「仲村力也」や「大館誠一」と異なっていたのは、自分の考えが異なっていても、自らの成功体験に束縛されず、違う意見でも尊重し、自分が納得したら口を出さずに全て任せる「度量」があった。ダイエーやセゾンは言うに及ばずだが、セブンイレブンも最近のゴタゴタを見ると、自ら創ったマニュアルに束縛されて、「大木」が求めた現状を否定して変化を求める柔軟な意思決定が、困難になったように見える。
そして藤田のみが、自らの成功体験には「賞味期限」があるということに気づいた。スーパーに限らず、時勢や生活様式、そして新技術によって会社形態は変わらなければならない。それを藤田は大木を使って実行したが、大木には「大木」が居なかった、若しくは大木は部下に「大木」を認めなかった。本作品は藤田を劉邦になぞらえる表現がある。それは納得できるが、ソニーやホンダのように、創業における性格の異なる経営者二人が役割分担をしたと結論づける書評も見られるが、果たしてそうだろうか。藤田と大木、いや伊藤雅俊と鈴木敏文の関係を思うと、私は疑問に思う。
そして今、イトーヨーカ堂も大量の店舗閉店や衣料品部門の撤退を迫られ、苦境に陥っている。
*イトーヨーカ堂の創業者、伊藤雅俊さんが3月10日に亡くなられた訃報が入りました。ご冥福をお祈りします(写真は日経ビジネスより)。
次回は、「経済小説 経営者一代」をお送りします!