小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

4 湖底の光芒 松本 清張 (1963)

【あらすじ】

 遠沢加須子は、中部光学という夫の遺したレンズ製造会社を長野県の諏訪で経営している美貌の未亡人。親会社の倒産で苦境にたった時、ハイランド光学の弓島専務は加須子に好条件の取引を申し出る。加須子にのびる欲望の影。そこに亡き夫の妹、多摩子が現れて、事態は急展開を遂げる。湖底に沈むレンズは親会社の横暴に泣く下請会社の悲哀を表わす。

 

【感想】

 IBM、パナソニック、SONYと取り上げたあと、ちょっと「味変」して、ミステリー仕立ての小説を。

 かつて東洋のスイスと呼ばれた、長野県諏訪地域。昔は製糸業が盛んで、「ああ野麦峠」の舞台ともなったが、戦前の世界恐慌などで製糸業が衰退する。しかし戦争中に企業が疎開してきた事情と、気候と水資源などに恵まれ精密機械製造に適している土地柄から、セイコーが工場を建設して一大精密機械地域として発展することになる(この辺の事情は意外にも横溝正史犬神家の一族」が詳しい)。

 但しそこでも「下請け」の悲哀がある。親会社の無理なコストの要求に苦しみ、注文した製品が一方的に規格変更になるなどの「下請けいじめ」があった。せっかく製造し不要になったレンズは、「つぶしが効かない商品」なので廃棄処分するしかない。本来は諏訪湖に捨てるのは違法だが、他に廃棄する場所もなく、諏訪湖に沈められていく。松本清張は、諏訪という美しい光景と、親会社に泣かされるガラスレンズ工場の対象を創作の発端と述べている。その2つが交錯する場所が「湖底の光芒(レンズ)」。

 

 

 本作品の発刊は1983年だが、当初の連載は1963年~1964年と半世紀以上も前。

 物語は、加須子の親会社である発注元が倒産するところから始まる。最初の場面は債権者会議で、下請けたちは悲鳴をあげる。そこへすべての債権を額面の4分の1で買い取るという男が現われる。飛びついた下請け企業は罠にひっかかり、後に文字通り命を絶たれる。ここまでの設定をするかとも思うが、これは下請けいじめというよりも、清水一行の「虚業集団」の世界になる。

 

nmukkun.hatenablog.com

*企業を「しゃぶりつくす」詐欺を取り扱った小説の金字塔。

 

 そんな中、加須子はハイランド光学の弓島専務から異様に有利な契約を持ちかけられた。弓島は隙を見ては加須子の手を握って口説こうとする。加須子は亡き夫の遺した工場を慎ましくも守ろうとする、けなげで礼儀正しく慎ましい女性。対して弓島は怜悧で傲慢で、欲深い男。これは昭和の昼メロ、というか、時代劇にも出てきそうな設定で、抜群の安定感(?)。但しそこに加須子の義妹、多摩子が「しゃしゃり出て」弓島専務にアプローチして、物語はますます「混迷」する。

 多摩子が想う弓島が、加須子に向いているのを知って激しく嫉妬して、行動が余りにもエスカレートする。会社に今まで見向きもしなかったのに、弓島が狙っていると知ると急に自分が経営者になると言い出し、加須子を追い出そうする。多摩子の愛憎劇はどんどんとエスカレートし、加須子を「ハサミ」でケガさせ、病院送りにするまでに至る。ここまで来ると、多摩子はなぜもっと早く弓島に興味を持たなかったのか、とさえ思ってしまう。

 それもこれも加須子の存在あってのこととはわかるが、「何とか」とハサミは使いようで、そのタイミングは余りにも悪い。まあ「何とか」とはそういうものだろう。そして物語は加須子から弓島へと視点が移り、「わるいやつら」はそれぞれの結末を迎えて、加須子は取り残される形で終わる。

 松本清張はミステリー作家としての存在が大きいが、以前「砂の器」で述べた通り、創作の原点は「書きたいものを書く」気持ちに尽きていたと感じる。その方向は日本社会の矛盾点に焦点を当てて、容赦なく暴いた。本作品は風光明媚な観光地でもある土地で起こる、下請け企業の悲劇を描いた。そしてその目は、産業廃棄物の問題も含めて、半世紀前から現在の、そして未来の矛盾点を見据えている

 

nmukkun.hatenablog.com

*先に取り上げた、松本清張の傑作です。