小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8-1 信濃戦雲録「野望」(武田信玄)井沢 元彦(1989)

【あらすじ】

 諏訪湖畔で祭事を営む諏訪家の娘、美紗姫(諏訪御寮人)。姫に仕える望月誠之助はその天女とも思える美紗姫に生涯を捧げる覚悟で仕えていた。同じ頃隣国の甲府では、父から家督を奪った武田晴信(信玄)の元に山本勘助が現れ、晴信が天下を取るために、諏訪家を滅ぼして信濃を併呑することが必要と進言する。但し諏訪家は諏訪神社に仕える神官でもあり、地元の領民から慕われていた。勘助は諏訪の分家筋の高遠頼継を使って諏訪家と争わせ、その後諏訪を助ける形で支配する巧妙な策を具申する。

 

 勘助の策通りに諏訪家を滅ぼし、念願の信州進出を果たした武田晴信。当主諏訪頼重甲府に呼んでから自害に追い込み、美紗姫は父の仇である晴信の側室とされる。抵抗する美紗姫だが、側に仕える望月誠之助の命も危ないと知ると、自分の思いを知られないように、冷たい表情で奉公から放つ。

 

 後から美沙姫の思いを知った誠之助は、武田晴信を終生の仇と誓い、その命を奪うため北信濃の村上義晴を頼る。一方山本勘助の軍略は冴えわたり信濃の中原の支配を広げ、若い高坂昌信真田幸隆を見出して、「常に両の目で」自分と相手の立場の両方から物事を見る必要性を説き、後継者として育てていく。また金山や治水の技術者を招き、富国強兵に力を尽くして武田家の版図を広げていく。

 

  「十の勝ち」。完璧な勝利に驕った晴信は、勘助不在の時期に村上義清に攻め込むが、村上の策略にかかり上田原の戦いで命の危険が迫るほどの大敗を喫す。その後勘助が戻り信濃守護の名家小笠原長時を「十の勝ち」で滅ぼすと晴信は更に驕った。勘助の諌言を聞かず再度村上家の砥石城を力攻めするも、「砥石崩れ」と呼ばれる大敗を喫する。しかし勘助は真田幸隆の調略で難なく砥石城を落とすことを見せ、多大な犠牲を払って晴信は将として学び、村上義清もついに、誠之助と共に越後へと逃げ落ちる。

 

   武田信玄ウィキペディアより)

 

 越後の長尾景虎は、武田晴信の人を騙すことも厭わない手法に嫌悪感を隠さず、自分の利にはならないことを承知で武田晴信との決戦を決意する。初戦で晴信が本気で戦わないことを感じとるや、素早く撤収する景虎の見事な戦略に舌を巻く勘助。そして長尾景虎の持つ正義感を見越して川中島で対峠する間に、出し抜く形で木曽攻略を進める武田軍。山本勘助景虎を討つための秘策を考えるが、長尾景虎は自らの「叡智」で武田軍、そして勘助の戦法を打ち破ろうとしていた。

 

 勘助の「啄木鳥戦法」を見事読み切った景虎。知恵比べで破れた勘助は、武田軍を支えるために命を賭して戦場に向かい、そこで望月誠之助に命を奪われる。景虎は信玄にただ一騎で向かうも、影武者が居て止めを刺せずに撤収する。景虎は馬を駆る途中で領民に馬の水と飼葉を求める際、善政で領民に慕われる武田晴信を知り、晴信の国主としての一面を知ることになる。

 

 村上義清が瀕死の重傷を受けて、武田晴信と戦う意欲を失くした姿を見た望月誠之助は、改めて武田家と闘う主君を探すために、村上義清から致仕して西へと向かう。

*1973年上梓。武田信玄像に基本となった作品です。

 

【感想】

 上杉謙信海音寺潮五郎の「天と地と」で取り上げたため、武田信玄新田次郎作品で取り上げるのが「すわりが良い」と思ったが、「逆説の日本史」井沢元彦が描いた、信濃から見た武田家の盛衰という「凝った」作品をここでは取り上げた。第2部(そして第3部)にまたがる長い物語の「狂言回し」として、武田家に敵対する諏訪家家臣の望月誠之助をいう人物を作り上げることで、「両の目」の視点を設定した。

 武田信玄に取り込まれる美紗姫。望月誠之助を生かすために召し放つ美紗姫の行動は天空の城ラピュタ」でパズーを助けるために嘘をつくシータそのものである。そして最初は頼りなかった誠之助が徐々にたくましく、智謀も蓄えて成長する姿もバズーに重なる。

 

  山本勘助ウィキペディアより)

 

 対して武田側は山本勘助を登場させて、信玄との会話や弟子役の高坂昌信や真田幸降らに教える中から勘助の戦略を説明させている。これは井沢元彦が指摘した、楠木正成星一徹(一応「巨人の星」です)が、子の楠木正行星飛雄馬に説明する場面を作ることで、読者に心情を伝えやすくすると分析した手法と重なる。

 この会話を通して武田軍の信濃侵攻における「逆説の井沢軍学」を開示している。十の勝ちは傲慢に陥り大敗に通じるとして、「戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生ず」とする名言を実戦に組み入れている。また敵の領主をまず頷民から離反させて、その上で命を奪う「二度殺す」策は見事の一言

 勘助が長尾景虎に対して感じた思い。「戦とは本来算術、損得でやるもんじゃ。じゃが、景虎は違う。おのれの大義に従って兵を進めるのが景虎の真骨頂‥‥」。そして北条氏康長尾景虎の「特質」を既に調べ上げていて、村上義清景虎に向かわせることで、景虎の敵意を北条と武田に分散させる「高等算術」を駆使し、わずかな出番しかない北条氏康の、本作品での存在感を増している。これによって「甲相駿三国同盟」で今川家、北条家との絆を固めて、各家がそれぞれ領土を伸ばそうとする政策に拍車がかかる。

 新田次郎が描く「武田信玄」では、景虎の天才を表現するのに、1から10の合計を計算する方法を取り上げた。信玄は暗算で素早く計算するのに対し、謙信は11✕5で55を出す挿話を挟んでいる(これを読んだときは時代背景もあり違和感があった・・・・)。対して本作品では、軍師がなく若い景虎山本勘助の策を読み切ることで 「智」を、そして自らを犠牲にしてまで子供を救おうとする景虎の行動で「義」を表わしている。また「敵に塩を送る」の挿話も入れ込んで、井沢版「甲州軍学」は進んでいく。 

 ちなみに諏訪御寮人と呼ばれる美紗姫は実名が不明。新田次郎は潮衣姫、井上靖の小説「風林火山」では由布姫(大分県由布院で書いていた)と表現している。その美紗姫も勝頼を生んで亡くなってしまうが、誠之助の武田家への恩讐は終わらない。

 

山本勘助を新たな角度から描いた「軍配者シリーズ」の1つです。