小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

7-2 天と地と②(上杉謙信)海音寺 潮五郎(1962)

【あらすじ】

 1553年、景虎は武田領に侵攻するも、信玄は正面からの決戦を避けたまま第一次川中島の戦いは終り、景虎は上洛して将軍義輝と後奈良天皇に拝謁した。1554年再び川中島で信玄と対峙するが、諏訪御前の容体に気が気でない信玄は戦どころではなく、今川義元に仲介を頼み景虎に有利な条件で和睦する。

 

 つかの間の和睦で国内が安定すると、しばらく収まっていた豪族間の領地争いが再燃する。理にならない理を振りかざし、わずかな領地を巡って家臣たちが争う。そんな状況に嫌気を指した景虎は、家臣を前に隠居・出家して高野山に籠もることを宣言する。国主の突然の全面放棄に家臣たちは動揺して、復帰を懇願するも景虎は翻意をするつもりはない。景虎の性格を見抜いている叔父の政景は、家臣団の動揺を見透かして武田信玄の手が延びていることを指摘し、景虎の責任を問うことで、隠居を撤回させた。

 

 諏訪御前の死から立ち直った信玄も、景虎の厭世的で理想に走る考えがわからない。そんな考えで国を支配し戦で家臣を死地に向かわせるのは余りにも無責任で、信玄にとって許せるものでない。1557年、信玄は盟約を破って雪深い時期に景虎方に攻撃を仕掛けるも、景虎が出向くと正面衝突は避けた。景虎は再び上洛し、京を支配する松永弾正久秀と知り合い、将軍義輝からは正式に関東管領職を継ぐことを許される。

 

 帰国の途中、長兄晴景に取り入った「傾城の美女」藤紫が越中にいることがわかる。晴景が隠居し亡くなった後、景虎への敵意は消えずに武田家の内応に手を貸していた。家臣は国政を混乱させた元凶として死罪を求めるが、景虎は女1人が越後にやって来た事情も考えて命は助けようとする。しかし命乞いをするために化粧をして女を訴える藤紫を見て、景虎は有無を言わず自ら斬首して、その因縁を終らせた。

 

 景虎上杉政虎と改め兵を10万集めて一気に関東に攻め入るも、北条氏康小田原城で籠城し、その間同盟していた武田軍が動き出す。長期間の包囲はできない政虎は、鶴岡八幡宮関東管領就任の儀式を行なったあと、4度川中島へと向かう。

 

 

 上杉謙信像(朝日新聞デジタルより)

 

 信玄との決着をつけるべく、政虎は妻女山に陣を敷く。一方信玄は兵を2つに分け、背後から妻女山を責め立てて、山から下りた政虎の軍を挟み撃ちにする「啄木鳥戦法」を採用する。ところが政虎は信玄の戦法を見破り、先に山を下りて手薄になった武田本軍に「車掛かりの陣法」による攻撃を目論む。

 

 朝霧が晴れると、信玄の前には妻女山に居るはずの景虎が整然と陣を引いて待ち構えている。総攻撃で信玄軍を攻める景虎に、武田軍は信玄の弟典厩信繁や軍師山本勘助など、名だたる勇将が討ち死を重ね、ついに信玄の本陣もまばらになる。その時を狙って政虎は一騎で真一文字に疾駆する。何度も刃を下ろす政虎に対し、信玄も持っていた軍配で必死に受ける。政虎は信玄の首は獲れなかったが、肝を冷やさせたことで満足して自陣に戻る。激しい戦闘で多くの死者を出した戦いが終り、陣に戻った政虎に待っていたのは、宇佐美の娘、乃美が亡くなった知らせだった

 

【感想】

 ここから周辺の戦国武将たちとのせめぎ合いが描かれる。2度上洛し足利義輝と拝謁し(偏諱で「輝虎」と改めたが、混乱するのであらすじでは名称を景虎と政虎に絞った)、関白の近衛前嗣、松永久秀などとも接点を持つ。越後の周辺でも北条氏康織田信長などの活躍がカットバックのように本編中に挿入され、舞台が東日本に広がる。その中で重きをなす存在の武田信玄景虎は信玄を、陰湿な策謀も辞さない「姦悪の徒」として嫌う反面、その戦略・戦術は巧緻を極め、本陣旗に記した孫子の文句に恥じぬものであり、認めないわけにはいかなかった。

 対して信玄が分析する景虎も興味深い。義に殉じで(父に反して)利益を求めない戦いは、命を賭ける家臣に報いるべき国主として相応しくないとまで考える。この水と油の考え方は、否が応でもお互いを理解することになり、その理解は戦場での戦いで裏付けられる。不倶戴天の敵と思われた2人が不思議な信頼関係で結ばれて景虎は今川から塩留めされた信玄に対し「敵に塩を送る」(実際に送ったかわからないが、少なくとも「塩留」した形跡はない)。そして信玄は死の間際に子の武田勝頼に対し、自分の死後は謙信に頼るようにと遺言する。

 戦死した家臣には失礼だが、喧嘩して仲良くなる中学生のような印象を持つ

 

  

 *「赤と黒のエクスタシー」 1990年の映画「天と地と」より(Amazon Prime 

 

 そして激戦となる川中島の戦いも、この長い作品の中では句点のような印象さえ受ける。描けるところはもっとあったに違いないが、「政虎は一騎で真一文字に疾駆する」という言葉を際立たせるために他の描写を抑えている印象さえ受ける。

 この(第4次)川中島の戦い、幾多の物語で様々な描かれ方がなされているが、個人的には海道龍一朗が描いた「天佑、我にあり」が随一。両雄が智力を振り絞って作戦を考え、敵の裏を探ろうとする。そして戦になった時に迫力ある描写。それを「黒衣の宰相」天海が山上から観察して、戦いの真意を平時の徳川家光に伝える演出も見事だった。

 

   *先に紹介した「北條龍虎伝」の作者、海道龍一朗の作品です(Amazonより)

 

天と地と」に戻ると、およそ60年前に描かれた作品ながら、上杉謙信像を造型した作品として、今でもその輝きを失わない。