小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

7-1 天と地と①(上杉謙信)海音寺 潮五郎(1962)

【あらすじ】

 越後の守護代であった長尾為景は徹底的な現実主義者で、越後国の支配を壟断していた守護の上杉房能を自害に追い込む。更に敵討ちに侵攻してきた弟で関東管領上杉顕定を返り討ちにして、下克上を体現させた猛将。そんな中62歳で美貌と噂の娘、袈裟が輿入れしてきた。年齢は20歳で年の差42歳。噂以上に美しく優しく尽くす性格には満足していたが、子が宿ると「早すぎる」と為景に疑念が沸く。そして生まれた四男の虎千代に対して父親の愛情を見せることはなく、母も早くに亡くなってしまう。残された虎千代は寡黙で、周囲からは何を考えているのかわからない存在に育った。

 

 為景が隠居し長兄晴景が継ぐが、為景に国を差配する器量はなかった。京から来た藤紫という女性に溺れ、藤紫も政道に口を挟むと国が乱れている。父為景は晴景に不満を持つも、さりとて虎千代にと思う気持ちはなく、7歳で出家を前提に寺に預ける。林泉寺の天室和尚は虎千代を一目見るなり仏道で生涯を終える人物ではないと気づき、四書の素読などに絞って厳しく教え、虎千代も並外れた理解力で習得する。まもなく和尚は「到底世捨て人となって終る人ではございません」と言って城に送り返した。

 

 父が亡くなると、晴景を軽んじていた豪族が謀反を起こす。15歳で景虎と改名した虎千代は晴景の代わりに戦い初陣を見事に飾るが、嫉妬する晴景は素直に喜ばない。翌年にも謀反が起き、2人の兄が殺害される中、景虎は床下に隠れて何とか逃げ延びた。長尾家への謀反が立て続けに起きる中、景虎は軍師の宇佐美定行の元で、兵法を学ぼうと決意する。快諾して兵法を教えるも、景虎の飲み込みの早さと才覚に驚き、その器量は越後国を託すべき存在と確信する。そんな学問三昧の中、景虎は宇佐美の娘、乃美と接するのが息抜きとなり、その後生涯に渡って心の中を占めていく。

 

  上杉謙信ウィキペディアより)

 

 元々の素質の上に兵法を学んだ景虎が実戦を指揮すると、次第に周囲が景虎の采配に心服し、ついには国主晴景を追い落とす動きが盛んになる。面白く無い晴景だが大勢は次第に明らかになり、景虎19歳で家督を継ぐことになる。しかし今度は晴景の後を狙っていた一族の長尾政景が不満に思う。そのことを敏感に察した景虎は、宇佐美の知恵で姉の綾を嫁がせて本家との絆を深くし、以降政景は景虎を補佐して戦場で駆け回り、また養子の景勝を生むことになる

 

 越後国を平定した景虎だが、周辺でも動きが激しくなる。河越夜戦で敗北し、景虎を頼って越後に落ち延びてきた関東管領上杉憲政に対し、景虎は天啓を感じて受け入れる。対して戦に勝った北条氏康は関東を制覇する勢いで、怜悧な頭脳で作戦を繰り出して戦いの場を広げる。そして甲州では武田信玄が満を持して信濃に進出する。父を追放し名門諏訪家を滅亡させ、その娘を側室に置く信玄の人格に、景虎は嫌悪の感情を隠しきれない。信濃侵攻は続き、小笠原家そして北信濃村上義清景虎を頼ってくる。

  *1969年、石坂浩二が演じた上杉謙信NHK)

 

【感想】

 今から60年ほど前の作品。当時は江戸時代から流行した「甲陽軍鑑」の流れで、徳川家康が心服した武田信玄の存在感が大きく、対して上杉謙信はそれほど評価されていなかったという。海音寺潮五郎川中島の戦いを資料の多い武田側から調べるうちに、敵将の上杉謙信に興味を持ち、遂には惚れ抜いてしまい本作品を描くことになったという。

 本作品によって上杉謙信ブームが起きて、1969年には石坂浩二主演でNHKの大河ドラマの原作となり、人気が低調した「大河終了論」を高視聴率で押さ込んだ。そして「天と地と」を意識して、「コント55号の裏番組をぶっ飛ばせ」が作られたのは余談。

 

nmukkun.hatenablog.com

上杉顕定は越後上杉家から関東管領の本家に入るも、長尾為景によって実家が攻められ、救出にいった上杉顕定自身も殺害される運命に見舞われます。

 

 本作品は上杉謙信が一般的に知られていない中で描かれた作品のためか、前半は父為景を中心に描かれ、当時の越後国の状況や幼少時に景虎の置かれた立場、そして後の景虎を支える勇猛な家臣団の人となりを、丹念に描いている。その内容は、先に取り上げた関東を舞台とする「叛鬼」と重なる部分が多い。そして父為景が滅ぼした上杉顕定の孫にあたる憲政を庇護し、名門上杉の家督を継承する後の上杉謙信。越後における関東との関係の深さを感じるが、その上杉憲政も謙信亡き後の後継者争いに巻き込まれて命を落としてしまう

 そして物語としての厚みを増すためか、生涯女犯を禁じたとされる謙信に女性の影を与えた。生涯思い続けたとして宇佐美定行の娘、乃美を登場させている。謙信が女性を生涯断ったとする話は信じられているが確証はなく、信心の関係(細川政元が信仰した修験道「飯縄と愛宕の法」)や男色の趣味なども言われているが、60年前では男色を赤裸々に描く訳にはいかなかっただろう。

 この長い物語は、日本の戦いの中でも恐ろしく高い死傷率となった(第4次)川中島の戦いの戦いで終える。時に謙信31歳。その後関東での戦いや越中能登への侵攻、そして唯一織田信長軍と戦って完勝した手取川の戦いなどを経て49歳で生涯を閉じるが、海音寺潮五郎はこの川中島の戦いを、謙信を表現するピークとして筆を置いている。そのため出家した「謙信」の名は使われないまま物語は幕を閉じる。

 酒は好んだものの女色を避けて肉喰もせず、修行僧のような日常で毘沙門天を熱心に信仰し、春日山城内の毘沙門堂で禅定を行うことを日課とした。戦の前には毘沙門堂に篭って護摩を焚いて瞑想し、一分の隙もない完璧な戦略を組み立てる。領土を望まず天下を望ます、戦を芸術行為のように捉え景虎の采配はもはや神韻すら漂い、多くの家臣を心服させた。

 

*宇佐美定行と上杉謙信の関係を別の角度から描いた「軍配者シリーズ」です。