小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8-2 信濃戦雲録「覇者」(武田勝頼)井沢 元彦(1995)

【あらすじ】

 北信濃の村上家を致仕した望月誠之助は、仇敵武田家を対抗する主君を求め、織田家中の滝川一益に仕官をする。対して信玄は川中島の戦いの後、山本勘助の弟子の高坂昌信を軍師に据え、今川義元が亡くなった後の駿河支配を目指して巧妙な策を張り巡らせていく。そして小田原で死を迎えていた北条氏康は、息子氏政に天下を望む器量はないと見切り、死後信玄と同盟を結ぶように遺言して亡くなる。

 

 信玄は遂に上洛の途につき、途中浜松で家康を誘い出し、三方ヶ原の戦いで完膚なきまでに叩きのめす。高坂昌信は家康の敗北とその退路を予想して家康の首を狙うが、信玄軍の強さを知る誠之助も家康の敗走を予想し、高坂と同じ場所で滝川一益とともに家康を救出すべく待機していた。

 

 京への道が開けたかに見えた信玄だが、容体が急変し行軍が止まる。高坂昌信に自分の死後を託す信玄は、自分の死は3年隠し、跡取りの四郎勝頼に自重を求める。しかしその会話を聞いていた勝頼は高坂昌信に不信感を抱いてこれを遠ざけ、追従しかできない跡部勝資を重用する。これから武田家は高坂昌信の思いとは異なる道を歩むことになる。

 

  高坂昌信ウィキペディアより)

 

 織田信長の前に天下統一への道が開けた。滝川一益もその下で長島一揆本願寺との戦いなどを進める。そして武田勝頼を誘い出して長篠の戦いで壊滅的な打撃を与えるも、信長は勢いで武田領へ侵攻することを思いとどめ、勝頼の自滅を待つ判断をする。

 

 武田家は真田昌幸の献策で、北条との婚姻で誼を厚くして、上杉謙信の死後北条家から養子となった上杉景虎と甲・相・越三国同盟で信長に対抗しようとした。しかし上杉の跡目争いで景虎と対立する上杉景勝の智恵袋、直江兼続が武田家の臣下に下るという思い切った申し出で武田勝頼を味方にする。

 

 この勝頼の判断は、自動的に北条と手切れとなることを意味する。嘆息する高坂昌信と、ほくそ笑む織田信長。重ねて勝頼は信長の予想通り強引な統治を行ない、家臣と領民の人心は離れてしまった。機が熟したと判断した信長は、ここで武田侵攻を決断する。

 

  *武田勝頼ウィキペディアより)

 

 家臣は次々と離反し、天目山で武田家は滅亡する。そして1人逃げ延びた勝頼の妹松姫を、既に隠居していた高坂昌信が救出する。それを見つけた望月誠之助だが、信玄が亡くなってから武田家に仇を討つ恩讐がすっかり消えていた。

 

 松姫の運命にかつての美紗姫を思う誠之助は、捕まった松姫と高坂昌信を救い出すが、織田方に見つかってしまい、逆に囚われの身になってしまう。ところが今度は織田の領主の館が襲撃に遭い、高坂昌信が救いにくる。牢の外は、本能寺の変で信長が亡くなり、武田の旧臣たちが織田家の家臣たちを襲っていた。

 

 世の無常を感じた誠之助の脳裏には、故郷の諏訪湖が浮かんでいた。

 

【感想】

 第一部の主人公の1人である山本勘助川中島の戦いで亡くなり、信玄への恨みを果たそうとする望月誠之助は信濃から離れ織田家に仕官する。ここでの主を滝川一益としたところがミソ。織田家の東方司令官として、最後には武田勝頼を追い詰める役割を担った滝川一益は誠之助を見込んで、時に友達のような物言いで(不自然ではあるが)、一益自身の、そして一益から見た信長の「戦略」を読者に説明する役割を果たしている。

 軍師勘助の物語も、成長した主の信玄と弟子の高坂昌信によって受け継がれる。高坂昌信は信玄との交流の中で、そして真田昌幸や我が子に解説することで、戦略の奥義を読者に伝える。対して織田信長は自らが軍師でもあるため、側近の森蘭丸に教える姿勢で自らの戦略を説明する(信長がそんな親切な性格とは思えない!)。

 高坂昌信は信玄がようやく手に入れた駿河を、今川氏真が逃げ込んだ徳川家康に渡すことで、北条家との直接対決を避ける策を具申している。領地を敵に与え、その上で北条と闘わせてから奪い返そうとする「高等戦略」だか、武田勝頼に自領を手放す決断はできない。対して直江兼続は謙信亡き後の家督争いにおいて武田家を味方につけるために、謙信が関東の足掛かりとして奪取した東上野国を、武田家に進呈する戦略を使った高坂昌信は兼続の戦略を「毒まんじゆう」と見抜くが、勝頼と近臣たちはその真意がわからない。結局兼続の目論見は、関東制覇を目指す北条家と武田家に楔を打ち、後継争いをする上杉景虎の支持基盤を分断する見事な一手となった。

 これらの「井沢流『逆説の』地政」は、桶狭間の戦いのあと今川の領地を侵攻せず、また長篠の戦のあとそのまま攻め込むことを控え、武田家の自滅を待った織田信長の 「大局観」に通じている。そもそも家中の掌握という観点で考えると、自国の領土を敵に渡す決断を簡単に下せるとは思えない。しかしその決断ができた上杉景勝直江兼続主従に対し、できなかった武田勝頼。その差が本能寺の変を挟んで、両家の運命を分けてしまったと思えてならない。

 

*ラストシーンが哀切漂う、武田家滅亡の物語です。

 

 誠之助が慕った美紗姫の忘れ形見の武田勝頼だが、その点については触れずに信玄の死で誠之助の「恩讐」は失った様子を描いている。代わりに誠之助が斬った男の子供に昔の自分を思い起こさせ、勝頼の妹松姫に諏訪姫を重ねて、輪廻も感じさせるストーリーになっている。

 

 望月誠之助と、その弟で本尊が流浪してしまう善光寺の僧侶の真海を通して、戦いの場となった信濃から見た武田家、引いては織田家の盛衰を描いたこの長い作品は、第一部が執筆されてからおよそ40年後の2017年に第三部として「驕奢の宴」として続篇が発刊された(ちなみに第一部の章題にも「驕奢の宴」があるが、それは信玄が戦いで勝った「戦利品」の相手の正室や侍女などを、闇の人売り市で売買する内容)。

 しかし既に武田家はなく、世は信長から秀吉へと移り、ここでは取り上げない。