小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

4 人間の証明(棟居刑事シリーズ) 森村 誠一 (1976~)

【あらすじ】

 東京ロイヤルホテルのエレベーター内に、胸部を刺されたまま乗り込んできた黒人青年ジョニー・ヘイワードが死亡した。麹町署の棟居刑事らは聞き込みで、タクシー運転手は車中で、彼が「ストウハ」と話したことを聞いたという。さらに羽田空港から彼が滞在していた別のホテルまで乗せたタクシーの車内からは、ジョニーが忘れたと思われる、かなり古びた『西條八十詩集』が発見された。

 一方バーに勤めていた、とある女性が行方不明になる。その女性は既に交通事故で轢死しており、犯人は政治家郡陽平と、その妻の家庭問題評論家八杉恭子の息子である郡恭平だった。彼は遺体を隠しニューヨークに逃げる。

 棟居刑事はジョニーがニューヨークを去る際に残した「キスミー」という言葉と西條八十の詩集から、群馬県霧積温泉郷に関係があると推測する。そして霧積に向かうと、ジョニーの情報を知っていると思われた中山種という老婆が、ダムの堰堤から転落死していた。

 

【感想】

 子供の頃「犬神家の一族」の後の角川商法で、延々映画のCMが流れていたことを思い出す。ただその頃は、都会的なホテルやニューヨークを舞台とした、鮮やかな映像とスケールの大きな「日本映画らしくない」イメージを持っていた。そしてこの本はウィキによると770万部売れたと知って、改めてビックリ。まさに「読んでから見るか、見てから読むか」。

 本作品も刑事物の見本として、かすかな手がかりを基に可能性を考え、足を運んで一つ一つ「潰して」いく。再読すると、以前は映像的にも派手な場面の印象ばかり残っていたためか、棟居刑事の地道な捜査も再発見して読み進んでいく。東京の各地や空港、群馬県の霧積や富山県の八尾など「足を棒にして」捜査を進める。「キスミー」の手がかりはそのまま「砂の器」の「カメダ」に重なり、そして舞台はニューヨークにまで広がっていく。

*「読んでから見るか、見てから読むか」で一世を風靡しました。

 

 本作品は「飢餓海峡」と「砂の器」から約10年経過して発刊された。10年経過したためか、それとも映画の影響か、諸先輩の作品よりも彩り鮮やかな印象を受けるが、作品が持っている構造は驚くほど類似している。

 戦争が落とした1つの影を主人公が抱えながらも、社会で成功し地位を作っていく。その地位を崩す要因とも言える「影」が思いかけずに現れる。被害者に悪気は全くないのだが、犯人からすれば致命的。犯人を「家庭問題評論家」(最近のコメンテーターのハシリ?)、夫を政治家と設定したのも、状況からして「かなり」効果的。動機に対しての不自然さを薄め、犯人に同情さえしてしまうように仕向ける。

 犯罪の動機は大きく「色」,「金」,「名誉」と分けられるが、刑事物に見られる社会派ミステリーの場合、「名誉」に関わる動機が多い。そしてその名誉は、社会の矛盾や格差、差別など、日本特有の社会風土に根差したものに関わって来る。ロス・マクドナルドアメリカにおける「家庭」の悲劇を多く扱った。クリスティーは上流階級を中心とする相続を事件の「材料」の1つとしている場合が多い。

 日本社会は元々格差からスタートしている。文明開化を迎えて四民平等を謳いながらも、貧富と身分の格差は厳然としたまま残る。その格差から駆け上がろうとする意欲、そしてその地位を奪われたくない欲求が、社会派ミステリーの根源となっている。

 警察小説の黎明期を彩った「飢餓海峡」、「砂の器」やそこから発展した「人間の証明」等の作品は、そのまま日本社会の矛盾点を追及した社会派ミステリー(あまりレッテルは貼りたくないが)の歴史にもなっている。この流れは時代と新本格派の台頭により一時衰退する。

 そして社会派として歩んだ「刑事物」というジャンルはこの後、1972年から始まった「太陽にほえろ!」、そして2時間ドラマで人気を呼んだ、西村京太郎の「十津川警部シリーズ」などの影響で、テレビ番組として小説とは違う形に分岐して、隆盛を迎えることになる。

 

*何度も映像化され、そして続篇もいくつか作られました