小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 飢餓海峡 水上 勉 (1963)

【あらすじ】

 1947年、北海道岩幌町の質店に強盗が押し入って大金を強奪、一家を惨殺した上で放火し、街の大半を焼き尽くす結果となる事件が発生した。その夜台風により、青函連絡船・層雲丸が転覆して多数の死傷者が出るが、現場で遺体収容に従事した函館警察は、その中から身元不明の2遺体を発見する。函館署の弓坂刑事は、2つの遺体は質店襲撃犯3人の内の2人で、仲間割れで殺されたと推測する。

 同じ頃、青森県大湊の娼婦・杉戸八重は、一夜を共にした犬飼と名乗る見知らぬ客から、思いがけない大金を渡される。その後、犬飼を追跡する弓坂刑事が大湊に現れて八重を尋問するが、八重は犬飼をかばって何も話さなかった。そして八重はそのお金で娼婦から身を洗うことができた。

 10年後、八重はふと目にした新聞の紙面に驚愕する。舞鶴篤志家・樽見京一郎なる人物が、刑余者更生事業資金に多額の寄付をしたという。記事の写真は、恩人・犬飼の姿だった。

 

【感想】

 1954年に発生した青函連絡船洞爺丸の転覆事故。1000人以上の被害者を出した大惨事は、ミステリー界で2つの傑作(不謹慎なのはご容赦)を生み出す事件ともなった。本作品ともう一つが「虚無への供物」。1つの事件が社会派ミステリーとアンチミステリーの「両極端」の頂点を誕生させる契機となっているのは興味深い。

 本作品は戦後の貧困が物語の軸となっている。貧困から脱出するための身勝手な事件。逃走の途中で巡り合った娼婦の境遇。そこで食べる「銀シャリ」。社会の「底」(不謹慎なのは平に容赦)で邂逅する二人は、その触れ合いを通じてシンパシーを感じる。凶悪犯は情けをかけ、その恩を娼婦は「一生」忘れないことになる。おそらく主人公は、八重と邂逅した社会の「底」を分水嶺として、凶悪犯の「犬飼」から篤志家の「樽見」に変わるきっかけとなったのだろう。このニュアンスは、以前本コラムで取り上げた、クリスティーの「暗い抱擁」を連想させる。

 

nmukkun.hatenablog.com

*こちらもクリスティーの手で、野心家が篤志家へ変貌する物語を描いています。

 

 対して逃走路を追っていく刑事たちは、かすかな手がかりを頼りに、地道な捜査を続ける。函館署だけではなく、網走刑務所の看守部長が仮釈放された服役囚が行方不明になった情報を質店強盗殺人事件の捜査陣に知らせる。それを聞いた岩幌警察署の巡査部長が犬飼の存在を知り、函館署までつなげて弓坂刑事が犬飼の足取りを追っていく。捜査に携わる刑事の1人1人が「仕事」に対して誠実に、そして見えない「同僚」に配慮しながら捜査を繋げていく。警察小説として見事な仕上がりとなっている。

 残念ながら戦後の混乱もあり捜査は一旦途切れるが、10年後事件が「再開」される。過去の事件を遡行していき、一度は途切れた「糸」を丹念に紡ぎ直していく現役の刑事たち。それは過去の「先輩」の思いを託されているかのようである。そしてバトンは見事に現在に繋がった

 主人公の犬飼は「レ・ミゼラブル」の主人公「ジャン・ヴァルジャン」も連想させる。パンを盗んだ罪で19年間も監獄に服役されたジャン・ヴァルジャン。再度盗みを働くが司教がかばうことでそれまでの人間不信から立ち直る。

 人間は単純そうで内面は複雑。様々な「自分」を抱えて生きている。ジャン・ヴァルジャンの「善」の部分を導き出した司教は、犬飼にとって、「飢餓海峡」という「底」で出会った八重だったのであろう。そのために犬飼と八重との10年振りの再会から生まれる「悲劇」とその結末は、犬飼の心境を想うと、やるせない。

 

*映画は三國連太郎が「怪演」。その血は子の佐藤浩市に引き継がれています。