小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

8 三屋清左衛門残日録【士道物】(1989)

【あらすじ】

 三屋清左衛門は若くして家禄120石の家督を継ぎ、御小納戸役から始まって270石の用人にまで登り詰めたあと、先代藩主が死去したことに合わせて隠居を新藩主に申し出た。新藩主の求めに応じて1年ほど江戸屋敷にとどまったあと、国元に戻って52歳で隠居生活に入る。同時に「残日録」と題した日記を付けたが、これは嫁の里江が心配したような「残りの日を数える」という意味ではなく、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」という意味で名付けた。

 

 先代藩主が世継ぎに現藩主を推したこともあり、清左衛門は現藩主から信頼されている。ところが隠居してみると、世間から隔絶された錯覚に陥り気持ちが萎縮し、隠居したことを後悔し、鬱々としがちになる。しかし友人で町奉行佐伯龍太が頼み事を持ち込んで、相談に乗ることから始まり、次々と隠居ならではの仕事が舞い込んでくる。同時に30年ぶりに、以前世話になった道場や塾に通い始めたり、釣りの楽しみも覚えたりと、自分の「居場所」が増えていくことになった。

 

【感想】

 若い時に読んだら、余り感情移入はできなかったと思う作品。けれども定年を間近に控えた今読むと、作品に入り込んでしてしまった。城山三郎との対談で藤沢周平は本作品について、城山三郎著「毎日が日曜日」がアイディアとなったと語っている。但し「毎日が日曜日」は、一流商社の企業戦士と、冷めた目で定年後のために資産形成に精を出す先輩社員と対比がミソ。話の中心は現役時代であり、本作品のように主人公が隠居してからのものではない。

 *「定年後」の作品となると、私はこちらを思い出します。

 

 それにしても三屋清左衛門は隠居後もいろいろと忙しい。ほどほどの出世をしたため藩内で顔が広く、いろいろな相談事が舞い込んでくる。藩主のお手つきがあった女性とその命を狙う影の勢力への対処。城の大手前で女の名を叫んで切腹した藩士。死の真相を探るように清左衛門は依頼され、自分なりの考えを伝える。

 その他、藩の権力抗争を、昔自分が関与した事件を回想しながら、今に置き換えて相談に乗ったりと、現役でない立場の利点を活かして、自分の経験を照らして自由な立場から相談に乗っていく。終いには現藩主からも、相談に乗るように指示を受ける。

 その合間合間に、若い頃嗜んだ剣術や学習塾を手伝ったり、新たに釣りの楽しみを得たりと、これでは会社の相談役のような立場である。まあ藩(会社)の権力争いに一般の藩士(社員)が関わることはないが、権力争いの激しい「海坂藩」では、現役時代は休まる暇もなさそう。そこを定年(隠居)後は地域デビューを果たし、地元のシルバーセンターに登録して、近所のコミュニティセンターにいる同年代の仲間と情報交換をしていると、様々な雑用が舞い込んでくるかのようである。

 そして男女間のトラブルも舞い込んでくる。自分の娘がやつれて、どうやらそれが婿の浮気によるものらしいのでその原因を追及するとか、若い頃見初めた女性の忘れ形見が夫の酒乱に困って一肌脱ごうとするなど、まだまだ現役の活躍である。

 最後は行きつけの小料理屋を営んでいた女主人、みさとの別れ。元々は実家の油屋を、婿を呼んで継いでいたが、結婚後酒乱で、みさだけでなく、みさの父にまで暴力を振るう鼻つまみもの。誰も止められず結局みさは逃げて、遠い現在の所に移って小料理屋を始めたという。その夫が最近亡くなったので実家に戻るという事情。そして別れの時に、みさは清左衛門に抱きしめて欲しいとねだり、その後思い残すものはない、と言って故郷に帰っていく。

 

 

 *映画では主人公を北大路欣也が、嫁を優香が演じました(時代劇専門チャンネル

 

 全集の解説では、この場面を「蝉しぐれ」と重ねて、同じ時期に書かれた本作品と「対」になると想像している。確かに似た場面だが、私には違う主題に思えた。子どもの時の、叶えられなかった思いが込められた「蝉しぐれ」。対してこちらは、まだまだ老け込む年ではない、定年後のサラリーマンに対するエール、と捉えたのだが、どうであろうか。

 清左衛門と昔からの友が中風で身体が不自由となったが、歩く訓練をしている姿を見て「人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ」を言わしている。武家社会でも、会社でも「定年」後の生活はあるが、それは人の意識で変わるもの。気の持ちようで充実したものになり、まだまだ老け込むことはない。

 但し清左衛門は男女の間も含めて、余りにも「羨ましい」隠居生活である。

 

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