小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

1 月を吐く(築山殿) 諸田 玲子(2001)

ここからは、徳川家康にまつわる人物や戦いの20選になります。

    *Amazonより

【あらすじ】

 東海の覇王、今川義元の治世下。山の峰が丸ごと吐いたかのような、月が美しく見える吐月峰(とげっぽう)。京の連歌師宗長が庵を築き、その後僧侶の宗物が世捨人の暮らしをしていたが、宗物はかくまっていた姉弟を世に出すために、義元の重臣関口親永に託す。親永は先年瀬名姫という娘を授かったこともあり、従者として預かることにした。

 

 瀬名姫が成長すると、その美しさは今川家中でも評判となる。従兄弟で幼馴染みの、国主の嫡子今川氏真に嫁ぐとも噂されたが、氏真は北条家から正室を迎えることが決まる。ならばと家中から嫁入りの申出が多数舞い込んだが、瀬名は吐月峰から来た従者で4歳年上の広親に恋心を抱いていた。

 

 瀬名が9歳の時、蹴鞠の会で1人だけ粗末な小袖を着ている同じ年頃の、三河から人質に取られていた松平元康が目に入る。英邁な今川義元を教えた太原雪斎が感服するほどの才能を有していて、次の国主今川氏真の軍師となれば、今川家は安泰と期待されていた。義元と雪斎は元康に家中で嫁を取ることを許すと、元康は瀬名姫を希望する。

 

 広親への思いもあり一旦は拒絶した瀬名だが、父親永や雪斎の強い勧めには抗らえず、元康と結婚することとなった。元康は瀬名を慈しみ、瀬名も生活に不満はなかった。長男の竹千代、長女の亀姫も生まれて夫婦生活は順調かに思えたが、そこで桶狭間の戦いが起き、今川義元の命が奪われた。

 

  *築山殿(ウィキペディアより)

 

 今川の軍勢は次々と戻るが、元康は岡崎城に籠り戻ってこない。新たな国主となった今川氏真は、離反が相次ぐ国衆たちに疑心暗鬼となり、瀬名の母の実家である井伊直親を謀殺してしまう。

 

 元康は今川を見限り織田家と同盟を結ぶが、一方で駿河に残した瀬名と2人の子を取り戻したいと願う。しかし今川氏真は瀬名に未練があるためか、子2人しか交換に応じない。やむなく元康は母の於大が後妻として生んだ異父弟の元三郎を人質にすることで、瀬名も含めて岡崎に連れ戻すことができた。

 

 晴れて岡崎に赴き、徳川家康と改名した夫と再会した瀬名だが、幸せは長く続かなかった。まず氏真の勘気を受けた父関口親永と母が自害してしまう。そして姑の於大は、子供可愛さに家康から遠ざけようと、瀬名を城から離れた築山御殿に押し込める。元々於大は今川家に敵愾心を持ち、美しく気品もある瀬名に嫉妬心を抱いていた。一方家康は、嫁姑の間に挟まる面倒事から避けて、目の前の戦に没頭していく。

 

 今川家が滅亡する。従者の広親は、瀬名のために人質になった源三郎らを救出しようと今川から武田へと探し当てて救出する。しかし娘は死に、源三郎は凍傷で足の先がなくなり、広親の命がけの救出劇も、於大の心には届かない。わが子可愛さの妄執は瀬名への更なる恨みを募らせ、於大は服部半蔵を使って瀬名を更に追い込もうと画策する。

 

*作者諸田玲子は、信長の妻も描きました。こちらでも、尾張派と美濃派の対立を、物語の背景に据えました。

 

【感想】

 築山殿と呼ばれ、信長の勘気に触れて嫡男信康とともに自害を命じられた瀬名姫の物語になります。不義を働いたとか武田家と内通したとかの噂もありますが、「徳川史観」で書かれた噂のようで、真実は定かではありません。家臣団でも人質の家康に従って駿河で共にした、石川数正酒井忠次の「今川派」に対して、三河に残った大久保忠世などの「三河」の対立があったのは事実のようです。

 

 そんな築山殿を、作者諸田玲子は女性の観点から見事に描きました。築山殿を気品高く美しい姫として、「くせの強い」家康の生母於大との嫁姑の争いを物語の中心に置いています。物語が前半後半の2編に分かれていますが、前編の駿河時代を「満月」とし、瀬名が岡崎に移ってからを「無月」としたのは、瀬名の心象風景を写すようで、悲しみが胸に迫ります。

 

 

*「どうする家康」で瀬名姫を演じた有村架純。ドラマでの人物造型は本作品に近いけど、やりすぎましたね(於大もだいぶ異なりますが・・・・ NHKより)

 

 そんな中「満月」の時期は、今川義元を支えた太原雪斎や、義元亡き後も今川家を支え続けた寿桂院の存在感を描いていることもあり、名作「姫の戦国」と重なります。

 本作品を読むと、家康は築山殿を本当に愛していたんだな、と感じます。今川に捉えられている築山殿を取り戻すため、交換する人質を得ようと城攻めまでするのは、「公私混同」を超えた絆の強さを窺わせます。そして築山殿と子を岡崎に連れて帰る交渉に成功した石川数正は、凱旋将軍のように鼻高々だったようです。この成功があってか、その後石川数正は、徳川家を出奔するまで、外交の責任者を担うことになります。

 

 当初今川側だった井伊直政が徳川家に鞍替えしますが、譜代でないにも関わらず、若くから家康に重用され、徳川四天王とまで言われるようになります。その理由の1つは、築山殿の母が井伊家の出身(今川義元の義妹、と言われています)のため、面影も残るだろう築山殿への思慕が、心底にあったのではないでしょうか。

 そこに架空の人物である従者の広親狂言回しとして、今川義元家督相続争い「花倉の乱」を絡め、武田家にもつながる複雑な人間関係を描きました。

 

 タイトルの「月を吐く」。最初は「吐く」という表現に引っ掛かりました。けれどもおとぎ話の舞台のような吐月峰で育った、お姫様を守る広親と築山殿の物語を読み進めるうちに、まるで山が「ポン」と月を吐いたような、「まんが日本昔ばなし」の画像を思い浮かべました。

 地元静岡県出身、諸田玲子さんならではの作品だと、感じ入りました。

 

  まんが日本昔ばなしより

 

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