小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

2 徳川四天王 南原 幹夫(2003)

【あらすじ】

 お大の方は、子を産むときに夢を見た。仏法の中心の呼ばれる須弥山の頂上に対座する帝釈天。そしてその四方には、東面に持国天、南面に増長天、西方には広目天、そして北方には多聞天が憤怒の宗を現わし、邪鬼を踏みつけて、帝釈天を守ろうとしていた。こうして産まれた徳川家康に苦難が待ち受けると、大の方の夢に現われ、帝釈天たる家康を守り抜くと告げる。

 

 家康の叔父にあたる酒井忠次は家康よりも20歳年上だが、人質時代から家康に付き従うと共に、武将として戦場で活躍し、宿老としても小豪族時代の松平家から家を支え、家臣の教育に努めた。長篠の戦いでは、忠次が鳶巣山の攻略を提案して夜襲を命じ成功して、信長は「流石徳川の片腕」と激賞した。

 

 本多平八郎忠勝。名槍「蜻蛉切」を有して、13歳にして初陣を飾り、以降50を超える戦場で敗れることなく、また傷1つ負うこともない天下有数の武将。三方ヶ原の戦いの前哨戦で、家康を逃がすために僅かな兵で敵をおびきよせ、武田方からも「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と賞賛される。

 

 榊原小平太康政本多忠勝と同じ年で、戦場でも忠勝に引けを取らない戦いを見せる。姉川の戦いでは少数で敵の朝倉勢に「中入り」を仕掛けて朝倉軍崩壊のきっかけを作った。小牧長久手の戦いでは武勇に留まらす、豊臣秀吉を挑発する檄文を張り出し、秀吉が康政に10万石の懸賞をかけた逸話も残っている。

 

 井伊万千代直政。父が謀殺され。幼少時は匿われていたために家康への仕官は遅かったが、その勇猛な戦い振りは若い時から注目される。武田家滅亡の折には武田家遺臣団を一手に引き受け、「井伊の赤備え」として徳川軍の先鋒を任され、小牧長久手の戦いや関ヶ原の戦いで名を上げた。

 

 

徳川四天王。左から酒井忠次榊原康政本多忠勝井伊直政NHK

 

 四天王とも家康の下、各戦場で活躍したが、信長なき後は徳川家も所帯が大きくなり、武功だけでなく外交や内政にも能力を発揮する「官僚」が必要になる。その筆頭である本多正信は「番方」と呼ばれる武功派の酒井忠次と対立を激しくする。お大の方や家康からは時折に感謝を表わされるが、徐々に四天王の出番は少なくなる。

 

 酒井忠次関ヶ原の戦いの前に隠居して亡くなる。榊原康政関ヶ原の戦いで、中山道から早く主戦場の美濃に行くことを主張し、上田城攻略を主張する本多正信と対立する。結局正信の意向を通したが関ヶ原では遅参して、責任を感じ戦後の加増を断る。井伊直政関ヶ原の戦いで先陣として活躍するが、島津義弘の退却戦で銃弾を撃ち込まれ、それが元で2年後になくなってしまう。

 

 家康が駿府で人質となっていた時から従っていた本多忠勝は、夜盗の鈴鹿党と対決したことで頭目の丹兵衛から見込まれて、数々の危機を救われる。桶狭間、金ケ崎、三方ヶ原、長篠、そして伊賀越え。一味の麻子が産んだ子を忠勝が預かり、小松姫として真田信之の妻となる沼田城に来た義父の真田昌幸を追い返したことで家康から褒美を受ける時に同席して、久々に母子の対面を取り持った。そして四天王として最後まで生きたが、それでも大坂の陣を見ることはなかった。

 

 


【感想】

 四天王を中心として、家康の人質時代から天下人になるまでを、克明に描いた「見本」とも言える作品。タイトルは四天王となっているが、主人公として本多忠勝に焦点を当てている。先に言及した武田軍からの「家康に過ぎたるもの」だけでなく、織田信長からは「花も実も兼ね備えた武将である」と言われ、豊臣秀吉からは「日本第一、古今独歩の勇士」と、有名どころからも絶賛された勇将。

 

 

*「どうする家康」で本多忠勝を演じた山田裕貴。小牧長久手の戦で、秀吉に立ち塞がるこの画が一番(ちょうど昨日、西野七瀬さんと結婚のニュースが入りました。おめでとうございます)。

 

 名槍の「蜻蛉切」も、立てた槍に蜻蛉が当たって切断された逸話があるが、当時は田舎で貧乏所帯の家臣で、名槍を保有する余裕はないはず。これは使い手が名人だった話であり、「弘法筆を選ばず」の類いではないかと愚考する。

 【あらすじ】でも触れたが、鈴鹿党という盗賊軍団を設けて最後まで本多忠勝と絡ませ、各戦場での活躍にも取り入れて、忠勝の活躍に立体感を出している。麻子は年齢不詳の美女として忠勝と交わるが、最後に小松姫の話と結びつけるのは想定外だった。

 本作品では各将がどの「天」に当てはまるか書かれていないが、想像するのも楽しみの1つ。

 

 東面を守護する持国天は、刀を持ち琵琶も有していたという。和歌にも造詣があった酒井忠次か。

 

 南面を守護する増長天は、赤色の身体(青の場合もある)で剣を持ち、鬼の従者を従えているとされる。これは「赤備え」を具備する勇将、井伊直政

 

 西門の広目天は、古くは筆を持ち巻物に書き留めている姿で、こちらは能筆家の榊原康政

 

 北門の多聞天は別名「毘沙門天」。武将の神でもあり、七福神の1つ。戦場で負け知らずで合格祈願にもされている本多忠勝が相応しい。

 

 

*同じく「どうする家康」で榊原康政を演じた杉野遥亮。優れた武将だけでなく、小牧長久手の戦では縁の下の働きを演じ、「関ヶ原の遅参」で責任を感じて加増を断り、男気を見せました。

 

 しかしこの四天王たち、自らを「四天王」と誇る台詞はどうも馴染めません。また物語の最後まで「慈母」のように描かれる家康の生母お大の方も、先に取り上げた「月を吐く」では、「母熊」(!)のような性格として描いています。2作品を重ねて読むと、激しいギャップがまた楽しめます。

 

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