小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

14 帰蝶 諸田 玲子(2015)

【あらすじ】

「美濃のマムシ」と呼ばれた斎藤道三の娘で、織田信長に嫁いできた帰蝶。ところが帰蝶は信長との間には子が恵まれなかった。顔に痘痕もあり引っ込み思案の帰蝶は、妻の立場をお鍋に託し、自分は御台所として奥方に回り、側室が生んだ信長の子を育てる。中でも異母妹が産んだ長男の信忠を可愛がる。信忠は斎藤道三の孫にあたり、織田家中における「美濃衆」を束ねる正当な後継者の立場にあった。

 

 帰蝶は清須城下の屋敷で、信長と帰蝶の仲立ちもした、朝廷の禁裏御倉職に就く豪商の立入宗継と出会う。市井の事情に通じた宗継との会話は楽しく、宗継も織田家の奥を仕切っている帰蝶を粗略にしなかった。自身の配下で忍びの仕事もしている、うつぎ織田家中で働くよう依頼し、帰蝶は快諾する。ところが信長は、うつぎを徳川家康の息がかかった忍びと見て、自分が留守中に勝手に外出した理由で命を奪った。「勝手に外出」を理由に殺害したため、仮に徳川の忍びとしても、家康は文句を言えない。

 

 そんな折、家康の長男信康とその実母の築山殿が家康の命で自害し、信康に嫁入りしていた徳姫(五徳)が織田家に戻ってきた。信長も心配して早めに再婚柏手を決めようとするが、徳姫は幼馴染で織田家中の植原佐京亮に恋心を抱いていた。その名前を聞いて青ざめる帰蝶。実は植原佐京亮は、帰蝶が嫁いで間もない頃に生まれた信長の子だった。事実を知ったのは後のことで、徳姫はその事実を知らなかった。

 

 明智光秀の家臣である明智内蔵助を巡って、美濃衆の稲葉一鉄と光秀の対立が激しくなり、帰蝶はその仲裁のため岐阜から安土に向かう。家康の手助けもあり美濃衆の対立は回避され、久方ぶりに安土で信長と掃蝶が夫婦らしい時間を過した。そして信長が上洛し、帰蝶は徳姫に植原佐京亮の正体を打ち明ける。

 

 

大河ドラマ麒麟が来る」で帰蝶を演じた川口春奈。よく見られる美貌で知恵者の役柄でした(NHK)

 

 ところが上洛した京都で、帰蝶とは従弟にあたる明智光秀が本能寺で信長を、そして道三の孫の信忠を弑逆していた。その後光秀は山崎の戦いで敗れ、敗走の途中で亡くなる。帰蝶は光秀の訃報を知った時、「憎いけど深く恨んでいないが、その死を悼むことは無い」と語る。従弟の光秀への思いと、いつも恐れ、時には心が離れた信長だが、やはり長年連れ添った夫婦の感情が心の中で揺れ動いていた。

 

 時は流れ1608年6月2日。京で過ごし時に立入宗継と世間話をして過ごす帰蝶は70歳を超えていた。信長の27回忌になり、お鍋の方など所縁の人々が集まって来る。その中に行方知れずと思われた植原佐京亮が現れた。実家の生駒家に戻った徳姫に仕えているといい、そこで織田家中で、立入宗継明智内蔵助の助命活動など関わっていたことを知る。

 

 帰蝶は、宗継が娘と思って可愛がったうつぎが信長に虐殺されたこと、以降立入宗継は信長への心が離れたこと、そして帰蝶は宗継に、信長が少ない手勢で上洛予定と話したことを思い出した。

 

【感想】 

 「下剋上の体現者」斎藤道三を父に待ち、「戦国の覇者」織田信長の夫にして、その信長を殺害した明智光秀を従弟 (諸説あり)に持つ立場の帰蝶美濃国から嫁いできたため「濃姫」と呼ばれる場合が多い。但しその生涯は不明な点が多く、早く亡くなったとされるもの、道三死後、美濃に戻されたとするもの、本能寺で信長と共にしたとするもの、そして長生きしたとするものと数多くある。現在は、帰蝶は78歳まで生きたという説が有力で、京都の大徳寺総見院織田家過去帳に「養華院殿要津妙文大姉」という記載があり、このその養華院こそ帰蝶であると言われている。

 「戦国の梟雄」斎藤道三と「天下人」織田信長を結ぶ架け橋とされた帰蝶。ドラマなどでは美貌で頭脳明晰な人物造型にしている場合が多いが、本作品では痘痕にコンプレックスがあり、裏方に回る役回りを演じている。また帰蝶は信長の家臣団に組み込まれた、美濃衆の拠り所としている。嫁入りの時は帰蝶の兄玄蕃助と弟新伍が共について、織田家中で最期まで織田家、特に道三の孫にあたる織田信忠に尽くす(母親が吉乃のほか諸説あるが、帰蝶の異母妹の子としているのはどうか・・・・)。

 

  

 *映画「レジェンド&バタフライ」での帰蝶は、最初は男勝りの性格でしたが、病気などから次第に表に出なくなる、本作品に寄せたような役柄になっていました(Cinema Gossip)

 

 織田信長が、戦い以外で残虐性を示したとされる有名な事件が2つある。1つは「竹生島(ちくぶじま)事件」。信長が2日の行程で竹生島に行った隙に、女房達が羽を伸ばして桑実寺に参詣に行くと、信長は日帰りで戻り、不在の女房たちを激怒する。即刻差し出すよう寺に命令するが、寺の長老は信長に助命を乞うたために、長老もろとも女房衆を成敗した。いかにも信長のやりそうなことを思われるが、本作品ではスパイ容疑の者を殺害するために利用するとする、「見事な包丁さばき」を見せている。

 もう1つが同盟者徳川家康妻築山殿と嫡男の信康に死を命じたこと。こちらも本作品では徳川家中の「岡崎派と浜松派」の対立の賜物として、信長は関与していない見方を示した。その見方を補強するためか、織田家中の「尾張派と美濃派」を意識させて、帰蝶明智光秀、そして嫡男の信忠を美濃派と仕立てて、物語の軸としている。美濃派と光秀自身の劣勢から本能寺の変を起こしたとされるが、本作品では美濃派のシンボルと言える織田信忠も、一緒に試逆した理由が不鮮明なのが残念

 

 しかし本能寺の変を前にして、食事をしながら信長が帰蝶に家族の様子を聞いて、帰蝶がそれに応えつつも、晋段家族を顧みない「父親」にチクチクと釘を刺す様子は、子育てを任せたサラリーマンとその妻の会話のようで、微笑ましい。それまでは夫婦の会話も2人の時間も持てなかったが、久しぶりの時間を持ち、家族の会話をして膝枕をする様子は、定年後の夫婦の様子。しかしその直後本能寺の変が起き、そんな時間は2人にはその時が最後となってしまった。  

 

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