小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

9 姫の戦国(今川家 寿桂尼) 永井 路子 (1994)

     Amazonより

【あらすじ】

 応仁の乱の余塵が残る頃に公家の名門中御門家の次女に生まれた悠姫は、好奇心旺盛で結婚を夢見る少女。そんな折、駿河国主の今川氏親から縁談の話が舞い込む。公家は荘園が横領されて貧乏を強いられる中、治安の悪い京よりも、財力にも恵まれている名門今川家も良いかと思い嫁入りを決意する。

 

 夫の今川氏親は悠姫より17歳も年上。見かけも老けていてちょっとショックを受けるが、悠姫に優しく接してくれる。義母にあたる北川どのは悠姫と同じく京から駿河に輿入れした経歴を持ち、夫が早世したため幼い氏親を抱え家督相続争いに巻き込また苦労人。兄の伊勢新九郎北条早雲)の助けを借りて氏親を国主として、自分と同じく京からきた嫁に目をかけるが、反面息子可愛さもあり悠姫の影でコソコソしている様子。

 

 問題はあるが楽天的で開き直りの早い悠姫は、奥向きの話は侍女の萩江と、そして表向きの話は頭の回転が早い梅三郎と相談しながら進めて行く。年上の夫氏親とも交流が細やかになり、そして念願の子も生まれて、今川家での居場所がだんだんと定まって来る。

 

 今川氏親は、戦だけでなく家のしきたりや領地争い、家臣の柏続から他家との外交など様々な問題を「決裁」し、そんな姿を好奇心肝盛な悠姫は側で見ていた。ところが氏親が卒中で倒れてしまうと、夫のそばで国主の仕事を支えていく。今川家は戦国武将に先駆けて検地を実施し、氏親が亡くなる前に家中法「今川仮名目録」を制定するなど、領国経営の「近代化」を他国に先駆けて進めていた。

 

 氏親が亡くなり家督を継いだ氏輝はまだ14歳のため、出家して寿桂尼と名を代えた悠姫は続けて政務を代行し、女大名の立場は氏輝が16歳になるまで続く。周囲の目もあったが、女性特有の「そうするより、仕方がないんじゃないの」という開き直りで政務をこなしていく寿桂尼。中御門家から嫁ぐ時、父から貰った「帰(とつぐ)」の印判を使って決裁を重ねていき、氏輝も次第に国主らしく成長する。

 

  寿桂尼(悠姫)ウィキペディアより

 

 ところが氏輝は24歳で早世してしまう。寿桂尼は三男で、幼少から英邁の誉れ高い承芳 (義元)を僧から還俗させて後を継がせようとするが、側室から生まれた恵探との家督争い (花倉の乱)が勃発する。寿桂尼自らが恵探と会って乱を収めようとするが、周囲が収まらない。最後は義元の幼い頃からの学問の師で、寿桂尼も信頼していた承菊 (太原雪斎)の策略が功を奏して、義元が家督を継ぐことになる。

 

 義元は頭脳明断で見栄えもあり、堂々とした国主として振る舞った。長年争っていた武田家とは、嫁を貰うことで「甲相駿三国同盟」が成立し、周辺諸国も平穏になったと思われたが、そこで桶狭間の悲報が飛び込んでくる。義元敗死を信じられない寿桂尼に、夫氏親の大きな力がふんわりと包んだ。

 

【あらすじ】

 殺伐とした戦国時代を舞台にする中で、チヤーミングな人柄がひときわ目立つ主人公、悠姫。目をクリクリとさせて話し、先に嫁いだ姉の夫婦生活に興味津々、そして今川氏親との初夜では 「早馬でした」とつぶやくなど、天真燗漫な少女。そんな公家の世界に生まれた「深窓の令嬢」が、戦国武将で東国の駿河は今川家に嫁いでいく。その姿は司馬遼太郎の作品「夏草の賦」で、美濃出身で明智家家臣の妹菜々が、土佐の長曾我部元親に嫁ぐ様子に重なる。しかしこちらの作者は永井路子。女同士の話の中身は、司馬遼太郎よりもだいぶ「踏み込んで」いる  (^^)

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*悠姫の姑は、北条早雲の妹です。

 

 そんな中でも永井路子は、歴史小説の垣根を越えて新しい視点を投げかけているのが興味深い。戦国時代に敵国などに嫁いでいくのは「道具」ではなく「非常にレベルの高い外交政策」と指摘している。確かに時には悲惨な立場になる時もあるが、武田信玄の長男義信は今川家から嫁いだ妻を考慮して、父親の駿河侵攻を最後まで反対した。また最上義光の妹義姫は、伊達家に嫁いで政宗を生むが、両陣営が対峙する間に登場して両軍を退かせて戦闘を回避。そして嫁入りを軸に結ばれた「甲相駿三国同盟」は、一定の期間武田・北条・今川の間で緊張が緩和され、それぞれが自領の拡大に寄与することになる。

 また悠姫から見た息子義元の師、承菊(太原雲斎)も、ヨーロッパの女領主と吟遊詩人の関係に例えつつ、当時は自然だった男性同士の関係を察して、義元を託すに足りる人物と信頼する。

 そして目からウロコの話も。今川家の領国経営が検地や家内法など、当時としては先進的で「近代化」と表現している。その土壌があったがために、悠姫も「国政の代行」が務まったのだろう織田信長によって桶狭間の戦いで討死したというイメージしかない今川義元も、京都五山建仁寺で英邁を称えられたほどの頭脳を持ち、容姿も国主に相応しい美しい姿と描いている(本来は馬に乗れない短足、というイメージが先行ww)。

 そして悠姫は、武田晴信 (信玄:この人の正妻も公家から嫁いでいる)が当時の将軍義晴からの偏諱(へんき:主に主君の名前の下の字を家臣に下げ渡す)で「晴」を貰ったのに対し、今川義元は足利家でも格の高い通字(つうじ)である「義」(足利氏族代々伝わる字で、家臣が名前の上の字に使うことまれ)を求め、授けられている。

 そのようにお茶目なだけでなく、公家出身の「抜け目なさ」も発揮しながら、戦国時代の浮き沈みを「姫」から「妻」、そして「母」として「国主」として、幼い頃から好きな歌「おもしろの 世や浮き沈み 小車の」を口ずさみながら、駿河の国で女の一生を歩んでいく。

 

 長くなったが最後に2つ触れたい。1つは家臣の福島家。福島正成は有力家臣で、時に今川家と対立したようだが詳細は不明で、正成の子は今川ではなく何故か北条氏綱 (早雲の子)の元に行く。北条網成と名乗りを代えて、名君北条氏康の義弟として支えていく、「北条龍虎伝」の主人公の一人となる。

 

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 もう1つは悠姫の長男氏輝と三男義元の間の次男、彦五郎。長男氏輝と同じ日に亡くなったという言い伝えしかなく、国主の成人の子として、また彦五郎という今川家代々の由緒ある幼名を持つ身として不思議な話。本作品ではサラリと流しているが、皆川博子の「戦国幻夜」では、当時は忌み嫌われた双子の弟で、家督争いの芽を摘むために生まれた時に捨てられたと推測した。その後全く別の人生を辿り、のちに山本勘助となって武田信玄に仕えるというストーリーとなっている。こちらの本も興味深い。