小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

番外 逆説の日本史10 戦国覇王編「天下布武と信長の謎」 井沢 元彦

 「戦国三英傑」編は本人の伝記を取り上げませんが、番外として「逆説の日本史」から本人に迫ります。まずは織田信長井沢元彦は「信長推し」のため、かなりの「褒め言葉」が並んでいますが、その中でも「目からウロコ」をいくつか。

 

【目次】

・第1章 織田信長の変革編 ―「政権の三要素」を巡る将軍義昭との抗争

・第2章 信長vs宗教勢力の大血戦編 ―安土宗論に見る「宗教弾圧」の正当性

・第3章 新しき権力の構築編 ―信長の「大坂遷都」計画と安土城の謎

・第4章 本能寺の変 神への道の挫折編 ―明智光秀「信長暗殺」の真相

 

1 「鳴くまで待つ」信長

 実はシリーズ第9巻「戦国野望編」でも信長に触れていますが、そこで私が昔から疑問に思っていたことの回答がありました。それは「なぜ信長は桶狭間の戦いの後、遠州駿河に攻め込まなかったのか」。当時信長はようやく尾張1国を支配したばかりで、桶狭間の完勝は領土拡大のチャンス。まだ人質だった徳川家康三河はもとより、今川義元の子氏真も器量に乏しく、勢いでそのまま今川の本拠に攻め込んでも、勝利は容易だったはず。しかも遠州駿河は豊穣の地であり、垂涎の国でした。

 しかし信長は「組み易し」と思われた東は徳川家康に任せ、自分は7年かけて、強国の美濃攻略を目指します。上洛への道を選んだ、と書かれる本が多いですが、この時今川家を攻め込むと、今川家と同盟を結んでいた隣国の武田信玄北条氏康という、戦国時代を通しての名将と争う道に繋がっていました。武田信玄信濃固執するあまりに、上杉謙信と争うことになり上洛のタイミングを失いますが、それ以上の「足枷」となる可能性を、信長は冷徹な思考と並々ならぬ自制力で回避しました。

 後に長篠の戦いでも、武田家の本拠を攻めるのは8年も待つ自制心を見せました。信玄や謙信に対しては、自分が戦える状況になるまでは、徹底して恭順し、「鳴くのを待つ」ことも実践しました。

 

  

 *私が推す「信長俳優」は大河ドラマ「黄金の日々(1978)」の高橋幸治。威厳のある顔とかん高い声が信長のイメージとして植え付けられました。吉川晃司、反町隆史豊川悦司などは一長一短。
 

 

2 信長は宗教弾圧をしない?

 「信玄」と「謙信」が共に出家して妥協した宗教勢力を、信長は徹底的に排除しました。しかし井沢元彦は、「信長は宗教弾圧をしなかった」と断言します。そのココロは、宗教勢力の「武装解除」には固執しましたが、比叡山延暦寺にも、11年も戦った本願寺一向宗門徒にも、宗教を禁教にすることは求めなかったこと。当時は宗門同士が激しく戦うことで、女子供も含めて何万人もの町民が犠牲となることも何度かあり、残虐なのは信長だけではない、と指摘しています。こうした宗教への徹底した姿勢から、世界の中でもいち早く、日本で政教分離が成し遂げられました。

 そして信長は自ら「神」を求めました。足利将軍家や朝廷など、利用できる者は徹底して利用しましたが、信長の思考原理は「不合理なものは排除する」。宗教団体が武力を持つのはおかしいし、ましてや座や関所などを設けて、人々の往来や商売を邪魔をするようなことは、許せませんでした。信長はそれを命がけで排除し、租税を相応のものに安定させることで、民の生活を他国よりも安全に、そして豊かにするよう努めました。そのため時に残虐性を見せながらも、民衆には人気があったようです。

 世の不合理をなくすことは「現世利益」に繋がり、戦国の荒廃した時代には「神」にもできないことでした。それを実行するのは、「神の子孫」である天皇家を超える存在を意味します。そして信長の考えは秀吉の豊国大明神家康の東照大権現へと踏襲されていきます。

 幼い時から「うつけ者」と言われてきた信長でしたが、世間でこのようになっているという「公式」そのものを疑い、実証主義で1つ1つが事実かどうかを見極めて自ら判断する性格。それを突き詰めると「神」へと導かれるのは、非情に興味深いことです。

 *私の織田信長像の原点は、こちらです。

 

3 合理主義者が求めたもの

 太政大臣・関白・征夷大将軍の中から選ぶ「三職推任」問題。朝廷から提示されたとされる(そうでないとする説もある)これらの官職の内、信長がどれを選ぼうとしたのか。歴史作家は様々な想像をしていますが、私は信長ならばどれも選ばなかっただろうと思います。

 足利義昭から薦められた「副将軍」の役職をにべもなく断わり、右大臣の役職もすぐに辞職したように。天皇の退任問題や改暦問題などに対して、即断即決の信長からすれば「のらりくらり」する朝廷の存在を、恐らく許せなかったでしょうし、官位を必要としたとは思えません。信長が目指したものは、朝廷を凌駕する「皇帝」だったと思います。

 本能寺の変の真相については、現代も未解決のままです。井沢元彦はいろいろな黒幕説を考えたあげくに、光秀の「ある日突然」衝動説を取っています。信長が生き延びていれば、関白の秀吉、征夷大将軍の家康とは違った光景が見えたはず。その姿を見ることができないのは残念ですが、日本では見てはいけない光景だったのかもしれません。

 

  

 *高野山に眠る織田信長(和歌山経済新聞より)

 

取り上げられなかった「信長本」の一部

 ・信長           坂口 安吾   (1953)

 ・織田信長         山岡 荘八   (1960)

 ・下天は夢か        津本 陽    (1989)

 ・信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス 宇月原 晴明 (1999)

 ・信長           佐藤 雅美   (2003)

 ・あるじは信長       岩井 三四二  (2009)

 ・天主信長 我こそ天下なり   上田 秀人    (2010)

 ・女信長          佐藤 賢一   (2006)

 ・蒼き信長         安部 龍太郎  (2010)

 ・信長の原理        垣根 涼介   (2018)

 

 よろしければ、一押しを m(_ _)m