小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

11 天を衝くー秀吉に喧嘩を売った男(九戸政実) 高橋 克彦(2001)

 

【あらすじ】

 後3年の役で戦った八幡太郎源義家の弟、新羅三郎義光の流れを汲み、蝦夷に土着した南部一族の分家にあたる九戸家。そこに戦の天才として「北の鬼」と恐れられた九戸政実が生まれた。本州最北の地で一族が一戸から九戸まで分かれて争う中、九戸政実は鍛錬を重ねた家臣たちと戦って徐々に勢力を拡大し、存在感を増していた。

 

 本家の南部晴政は従兄弟の三戸(南部)信直を養子としたが、そのあと晴政に子南部晴継が生れて、晴政が死ぬと後継者争いが勃発する。九戸政実が後継と押した実子の晴継が後を継いだが、直後急死してしまう。当主が相次いで亡くなり、しかも晴継の死は信直が暗殺したとも疑われた

 

 後継者は晴政の娘を嫁にした九戸政実の弟実親と、養子だった信直に絞られる。評定では実親の声が強かったが、信直は有力勢力を調略して、後継者の座に収まった。九戸政実は、権謀術数がはびこる南部本家のゴタゴタに愛想をつかして自領に戻る。

 

 中央では豊臣秀吉が天下統一を完成させようと小田原城を包囲していた。南部から独立した津軽為信はいち早く豊臣家に臣下の礼をとり、奪い取った領土の安堵を取り付けた。蝦夷地南部に勢力を伸ばした梟雄、伊達政宗も政実から諭され秀吉に臣従する。南部信直は、小田原行きが遅れた理由は政実だと言い訳して秀吉の臣下となった。

 

   

 *南部藩藩祖となった南部信直肖像画ですが、手に持つ首級が九戸政実と言われています

 

 九戸政実は、戦を銭勘定のように操る秀吉を嫌い、武門としての筋を通そうとする。南部本家と断絶し、心配する津軽為信伊達政宗との連携も拒否して、九戸勢だけで5,000人の兵力をもって挙兵する。

 

 「北の鬼」九戸勢は強かった。そしてかつての仲間たちも、九戸政実の強さは身にしみて承知しているため、自力で平定ができない南部信直、秀吉に九戸討伐を要請する。秀吉はその意を受けて、豊臣秀次を総大将とし蒲生氏郷を大将、浅野長政を軍監として、10万に上る九戸討伐軍が奥州へ進軍する。

 

 九戸政実は士気を鼓舞し、智謀を巡らせて勇敢に、蝦夷の誇りを賭けて戦う。対して豊臣軍は早期の決着に焦るあまり、政実の術中に嵌まってしまう。但しその軍勢は10万対5千。仮に緒戦で負けても次々と兵を繰り出してきて、結果は目に見えている。しかし九戸政実はどうしても、豊臣家の天下に「喧嘩」を売る必要があった。

 

 *蝦夷の人の「魂」を描いた、高橋克彦ならではの名作。敵役は坂上田村麻呂

 

【感想】

 高橋克彦が描く「風の陣」「火怨」「炎立つ」と並ぶ、陸奥4部作の最後の時代を舞台にしている。前3作と同様、蝦夷の人々対中央という構図は成り立たせているが、今回主人公の九戸政実は、蝦夷の心は有した上で、清和源氏の流れを汲むプライドから、「成り上がり者」の秀吉に反旗を掲げるところがミソ。

 九戸政実の性格は、戦国時代に揉まれて生まれた「いくさ人」そのもの。北の鬼と恐れられ筋を通し、反面裏交渉など見向きもしないが、そのため南部本家の後継争いでは敗れてしまう。「頑固オヤジ」の性格を持ち合わせ、そのため時代遅れの役割を演じている。

 秀吉に屈しない九戸政実の決断は、長宗我部元親に、島津義久に、そして小田原北条氏に通じるものがある。ただ決定的に違うのは、第1九戸政実は秀吉が天下統一を果たした後に「喧嘩を売った」ことであり、第2九戸政実の勢力が余りにも小さいことである。

 そして高橋克彦は、九戸政実の「喧嘩」に意味を持たせた。戦を起こす目的を、中原を支配する秀吉に対し、蝦夷人の、そして武家の誇りを守るためとした。そのために敢えて南部家に叛旗を翻し、政実を慕う津軽為信伊達政宗、そして近隣の豪族たちとの連携も拒否して独力で決起する。その思いは「火怨」のアテルイが、「炎立つ」の藤原泰時が抱いた、戦いを終らせる思いに通じる。

 それには敗者の思いを知る「敵」が必要になる。「火怨」では坂上田村麻呂が、「炎立つ」では源義家や頼朝がその役割を担った。そして本作品では軍監の浅野長政にその役割を担わせる。早期決着を優先する、信長譲りの短気な蒲生氏郷と殺生関白豊臣秀次。対して政実の実力を知る浅野長政は、むやみに仕掛けずに間に入るが、政実も命乞いをするつもりはさらさらない。

 

  浅野長政ウィキペディアより)

 

 そして高橋克彦は史実を変えた。史実は、討伐軍の包囲攻撃から2日後に、政実は出家姿で討伐軍に降伏、政実・実親兄弟らは斬首され、女子供を含む九戸一族も皆殺しとなり九戸氏は滅亡する。但し高橋克彦は、豊臣側が持ちかけた和議を策略と見抜きながら、兵を助けるために自らは総大将秀次の元に連れて行かれ、弟の実親に城を枕に討ち死にする役割を与える。九戸一族があくまでも戦いに敗れて滅亡することで、「喧嘩」を完結させた

 

 戦国の世の幕引きを自ら担った九戸政実。その役割は、武士の世の幕を引く役割を演じた西郷隆盛の心中を想像させる。但し疑問が1つ。兵を助けるために自らを犠牲にするならば、最初から戦う必要があったのか。実際に一族も皆殺しとなっている。ここは高橋克彦が、陸奥4部作の「テンプレート」にこだわった気がしてならない。

 

 対して生き残った南部家。政実との戦いで人間的にも成長を遂げた南部信直とその子利直は、秀吉から家康へと移った中央政界を何とか渡り歩き、南部10万石を領した。また鉱山開発によって財政的にも安定、盛岡城を築城して明治まで続き、高橋克彦のふるさと、盛岡市の発展に続いている。

 しかしそんな南部藩も江戸後期には財政危機に見舞われる。その物語は、また別の作品で触れます。

 

 奥州藤原氏を通して蝦夷の魂を描いた作品。こちらは清和源氏源義家と頼朝が敵役です。

 

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