小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

7 忍びの旗【忍び④:北条家滅亡】(1979)

【あらすじ】

 武田信玄徳川家康を完膚なきまでに打ち破った三方ヶ原の戦い徳川家康は逃げる途中で武田の忍びに襲われて絶体絶命の窮地に陥るも、そこに甲賀忍びの上田源五郎の父が現われ、自らを犠牲にして家康の命を救った。それから17年後、子供から甲賀忍びに成長した上田源五郎は、北条家の内情を探り出すために四代氏政の弟で強硬派の北条氏邦の家臣、山岸十兵衛の家来として仕えていた。

 

 ところが源五郎は忍びの立場を忘れて、仕える主人山岸十兵衛の娘正子に没頭し、子を宿してしまう。本来ならば忍び失格だが、主人十兵衛の許しを得て娘と結婚することとなり、内情を探り出す甲賀の任務を続けることになる。

 

 山岸十兵衛が仕える北条家は、豊臣秀吉の権威と力を認めず、時代の趨勢を見定めることができない。秀吉の力を見くびって行った行為が秀吉の逆鱗に触れ、秀吉は北条征伐の大号令をかけた。

 

 北条家が負けることは明らかで、上田源五郎の役割は終ろうとしていたが、源五郎は、妻正子と義父の山岸十兵衛に情が移りつつあった。そこへ甲賀から突然「山岸十兵衛の命を獲れ」と指令を受ける。何でも山岸十兵衛は仲間の命を奪った疑いがあるという。理不尽な指令だが、忍びの立場では情も理由もなく、ただ命令に従うのみ。義父十兵衛の命を奪う決意をする源五郎

 

  

 北条氏邦の兄にあたる四代当主北条氏政。舵取りを誤り、子の五代当主氏直で北条家は滅亡しました。(ウィキペディアより)

 

 その頃山岸十兵衛は三方ヶ原の戦いを思い出していた。当時は武田信玄に仕えて、武田家の勢力も自分の力も充実していた時期。目の前に混乱の中単騎で逃げ惑う家康がいて、手を伸ばせばその命を奪うことができた。そこへ突然忍びが現われて、自分の命を楯に家康を救った見事な立ち振る舞いを見せた。記憶の中で装束を剥いで現われた顔は、今は婿になっている源五郎の顔であった

 

 源五郎があの立派な男の息子であることが判明した。その息子がここに居ると言うことは、当然甲賀の忍びが自分の所にまで手を伸ばしていることになる。本来は敵だが、自分が現在仕える北条家は、かつての武田家とは比較にならないほど愚か。また十兵衛も歳を重ね、今さら源五郎と正面から対決する気持ちにはならない。

 

 源五郎が十兵衛の命を奪おうとしたタイミングで、十兵衛は三方ヶ原での父の死の場面が語られる。義理の父が実の父の仇と知って心中動揺する源五郎だが、十兵衛を恨む気持ちにはならない。そこで源五郎はある決意をする。

 

nmukkun.hatenablog.com

*偉大な「初代」北条早雲を描いた作品です。

 

【感想】

 豊臣秀吉が天下統一を果たした小田原攻めの「裏側」を描く。

 忍びの宿命を描くために、何人もの忍者を登場させている。主人公の上田源五郎の父は、三方ヶ原の戦いで自分の命を楯にして主君徳川家康の命を救ったが、忍びの世界ではその功績で子孫が安泰に暮らせるわけではなく、父と同じ甲賀の忍びとして生きていく。北条家の内情を探るために家臣である山岸十兵衛に仕えるが、そこの娘正子の身体に溺れて子を孕ませる。「忍びシリーズ」で見られる1つの動機付け。 

 武田家の忍びの大半は武田家滅亡と共に徳川家に組み入れられたが、一部は同盟を結んでいた北条家に移籍し、義父の山岸十兵衛はその中の一人。但し武田信玄に仕えた当時の充実振りが忘れられず、対して北条家の、関白秀吉に対する余りにも甘い情勢判断と対応に愛想をつかす。自身も年齢を重ね先の望みもなく、源五郎の仕事振りから人物として認め、娘との結婚を許してしまう。

 ところが十兵衛は婿の源五郎が、三方ヶ原の戦いで闘った忍びの子供と思い当たる。が、十兵衛は源五郎を捕らえる気持ちになれない。そんな事情を知らない源五郎は、命令によって義父の十兵衛を殺害しようとするその場で、その事実を知らされる。2人の忍びの運命が交錯したとき、1人は死を覚悟し、1人は生きることを選択する。源五郎甲賀の命令に背いて義父と妻、そして子を生かすために、自分は「抜け忍」をする決意をする

 最初は「忍びにあるまじき失態」を犯した源五郎も、経験かそれとも守る人ができた者の気概か、技量が「化ける」。抜け忍をした源五郎の命を奪おうとする甲賀の忍びを翻弄して、神出鬼没に活躍する。そして義父も妻もなくなり、大坂の陣で豊臣家が滅亡すると、忍びの役割も変化が起きる。その時代まで生きた源五郎は、年齢的にも時代的にも自分の役割は終ったとして、同じく高齢となっても源五郎を追い続けた長年に宿敵に命を投げ出し、それぞれが忍びの人生を完結させる

 虚しい人生のように思えるが、源五郎の尽力のおかげで、同じく忍びの出身だった十兵衛は武田、北条と滅亡した家を経て、五代当主氏直の妻が家康の娘だった縁から徳川家へと渡り歩き、徳川の世では旗本として、息子や娘、そして孫にも囲まれて、日の目を浴びた立場で人生を終えることができた。

 父の敵と知っても、その相手のために命を賭ける。これもある意味「忍び」の心意気なのだろう。

 

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*北条家興隆の立役者、三代氏康を描いた作品です。