小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

3 箱根の坂 (1984)

【あらすじ】

 室町将軍家に仕える名門・伊勢氏の支流に生れた伊勢新九郎北条早雲)は、申次衆を務めるも無位無冠の存在だった。応仁の乱が勃発するも幕府は乱を抑える力がなく、守護の下で働く国人や地侍の勢力が勃興して、足軽という新たな勢力が生まれる。そんな中足軽勢を指揮する機会を得た新九郎は、自身が有する軍略の才能を思いがけずに発見する。不意打ちや闇討ちも辞さない、あくまで勝利を求める足軽の戦法が世を席捲し、源平以来の戦い「美」を求める旧来の価値観は、潰えようとしていた。

 

 新九郎の義妹、千萱も新九郞のそんな才能に気づいた1人だった。千萱はその美貌が評判となり、将軍義政の弟義視の側女から、駿河の太守今川義忠に見初められて駿河に下り嫡子を生む。その後義忠が亡くなり、義忠嫡男の竜王丸と義忠従弟の今川範満との間相続争いが起きると、千萱は密かに恋慕を寄せていた新九郎に、竜王丸の庇護を依頼する。千萱と別れてから世を捨てた牢人・早雲が、千萱の頼みで再度駿河に下ることになる。

 

  北条早雲ウィキペディアより)

 

 当時関東は、鎌倉公方古河公方)と管領家の山内・扇谷の両上杉家が勢力争いをしていた。京の将軍家から派遣された鎌倉公方も関東に入れず、伊豆に留まり堀越公方と名乗っていた。駿河の相続争いに介入して勢力を伸ばそうとする両陣営に対し、新九郎は扇谷上杉家の家宰、太田道灌と交渉し和睦、関東からの介入を阻止することに成功する。その後竜王丸と争った今川範満も新九郎の手で滅ぼして、竜王丸は今川氏親として家督を相続する。そして千萱も亡くなり、駿河での早雲の役割は終えたかに思えた。

 

 早雲のお膝元の伊豆では、堀越公方足利政知が支配していたが、嫡子で暴虐な茶々丸が父を殺害して自ら公方と名乗る事件が起きた。情報を集める早雲だが、堀越公方はもとより、京の足利氏も幕府の体を成さず、その結果領民が苦しむ状態に陥っていた。早雲は領民を救う決意をして茶々丸と戦うが、命を取るまでは至らずに、新九郞の支配は不安定なままとなる。領民が低い租税で安穏に暮すためには、領土を広げて、より効率的な領国経営をしなければならない。

 

 しかし関東では、道灌暗殺を契機として山内上杉と扇谷上杉の争いが勃発する。そして早雲から見ると、2人とも足利家と同じく、時代から取り残された人物に過ぎなかった。早雲の新しい考えは近隣の領民たちに伝わり、早雲を受け入れようとする。期待に応えようと周到な準備をした早雲は、ついに箱根の坂を越えて関東の地、小田原に入った。

 

 敵対する三浦義同と戦いを続け、ようやく相模を平定したときは、88歳の寿命が尽きようとしていた。

 

 

【感想】

 戦国大名では端緒と言える北条早雲を描いた作品。そのテーマにやはり土地制度を描いている。鎌倉幕府成立により守護・地頭が設置されたが、武士は次第に自らの支配地ではない荘園にも浸食していき、当時の土地制度は多層化した支配者が存在していた。そのため農民は幾人もの「支配者」から搾取される状況になった。

 北条早雲は守護や守護代、地頭など旧体制の出身ではない立場から、「領主」として直接領国を収めることに成功した。その立場から領民の暮らしを見ていたため、不合理に感じていた「中間搾取層」を廃することができた。これが後の戦国大名の1つの特徴となり、織田信長が「既得権益」との対決で推し進め、徳川幕藩体制で完成する。その先駆を担った早雲は、それまでから見るとうそのような減税で領民を撫育して慕われる領主となる。その後100年続いた(後)北条氏の領国経営にも繋がり、江戸時代になっても見本になる。口の悪い勝海舟も褒め称えるなど、北条氏の領国経営は慕われた

 この役割はそのまま中世から近世への扉を開く立場に位置する。本作品のタイトル「箱根の坂」はその扉を意味し、早雲はそれを乗り越える。同じ司馬作品で本作品の次の、そして最後の長編小説となった「韃靼疾風録」は、後金(女真)の勢力が、万里の長城を打ち破って中国の中原に侵入して、漢民族の王朝「明」を滅ぼして清国を建設する様子を描いている。「箱根の坂」は、この「万里の長城」と同じ意味合いを感じる。

 北条早雲こと伊勢新九郎は、今川家に仕えるまでの経歴は不明な点が多い。そこを司馬遼太郎は想像力逞しく、自在に描ききった。その描き方は美貌の義妹、千萱との恋慕や東国の駿河に下る流れなど、伊勢物語」に寄せていると言われている。新九郎の姓を活かして、センスと遊び心を感じさせる。

 太田道灌ウィキペディアより)

 

 そんな伊勢新九郎だが、伊豆を収めるまでは受け身に描いている。斎藤道三と並んで「国盗り」をイメージさせるが、本作品では新九郎自身が乱を好み戦を仕掛ける人物には描かれていない。周囲の情勢によって守衛の策に絞り、そこから状況を打開していく。伊豆平定も、堀越公方一族の政争と、そのために苦しめられている領民を見て立ち上がる内容となっている。応仁の乱を背景に、鎌倉公方など統治する能力を失った足利幕府とその一門。その中で力をつけていく新興勢力。その姿を見て新九郎は、合理的な領国経営はどうすれば良いのかを考えて実行する。

 ところが小田原侵攻のやり方はちょっといただけない。貢ぎ物を何度か渡して気を許し、狩りの獲物が小田原領に逃げ込んだと言い訳して軍勢を差し向けて相手を追いやった。時に新九郎は64歳。焦りもあったのだろうか。

 但しそれも時代を切り開く人物には避けられない「汚名」なのだろう。のちに号した「早雲」は、暁の雲を意味するという。近世への夜明けを切り開く役目に気づいた北条早雲は、織田信長よりも先に中世の不合理に気づいて、自らの力で近世への扉を切り開く役割を請け負った。

*同じデザインながら、色彩が何とも味わい深い全3巻の表紙たち