小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

11 魂の沃野(加賀一向一揆) 北方 謙三(2016)

【あらすじ】

 加賀国では、応仁の乱で東軍に属した兄富樫政親と西軍に与した弟の富樫幸千代が、守護の座を巡って争っていた。そこに浄土真宗の富田派と、蓮如の登場で門徒が急増している真宗本派の争いが加わる。一時は富樫政親が敗退するが、政親は真宗と加賀南部を領土とする有力地侍風間小十郎を仲間に引き入れて、加賀の守護に返り咲く。政親は守護になると、一度は手を組んだ真宗一向宗)の軍勢が次第に邪魔と感じてきた。年貢も本願寺に寄進するものが多く、政親は次第に国人たちに強引な年貢の徴収を命じるようになる。

 

 戦いにおいて峻厳な規律で圧倒的な強さを見せつけ、地侍そして守護の富樫政親からも一目置かれた風間小十郎。小十郎は一向宗門徒ではないが、寺や講には敵対しないように領地経営を行っていた。しかし一向宗の僧侶たちは寄進を強要して大きな御坊を各地に作り、加賀の吉崎御坊の周囲には、巡礼する門徒目当てに宿や店はおろか女郎屋まである始末で、小十郎は一向宗を信用できない。教祖の蓮如は過激な闘争は慎むように指示していたが、政親の弾圧を恐れたために吉崎御坊から京に退いてしまった。

 

 対して守護職富樫政親が行う治政は拙速すぎると感じた小十郎は、疲弊した民の生活を回復するために、年貢の半減を政親に提案する。政親はその意見を受け入れるも、僧侶たちは今までと同様に寄進を要請し、小十郎の思いは裏目に出てしまった。それを見て政親は改めて年貢の徴収を厳しく行ない、再び一向宗一揆が各地で沸き起こる。富樫政親は軍隊の力で「烏合の衆」の一揆軍を叩き潰すが、一揆勢は何処から湧いて政親に襲い掛かる。そんな一揆勢と政親との戦いに、小十郎は中立の立場を貫く。

 

 京では足利義政の子、9代将軍義尚が成長し、義尚も将軍の力を見せつけるために、南近江の六角高頼攻めを決意する。富樫政親も参加し、3万を超える大軍が集まり将軍の権威が一時的に復権する。一方政親は京への遠征も重なり、臨時の税を課すと小十郎に伝えるが、小十郎は富樫政親に「加賀が2つに割れます」と反対する。対して富樫政親は、将軍の権威回復が日本の秩序回復に繋がるとして、加賀の民の不満は、その目的に比べれば小さく、大義の前には我慢すべき話と断じる。こうして2人は決製した。

 

   小十郎は加賀を護るためには、政親を討たなければならないと決意する。4万を超える一揆勢の半分を打ち破った政親だが、更に一揆勢は6万に膨れ上がり、その軍勢の中に「風」の旗が翻る。政親の軍勢は次第に減っていき、政親は自分の運命を悟る。そして小十郎は戦いの後、風谷の棟梁の地位を弟に譲り、自分の沃野を見つけるべく、加賀の荒野を離れて旅に出る。

 

    



【感想】

  「百姓の持ちたる国」として、織田信長に制圧されるまでおよそ100年、加賀に宗主代理の一門衆が在住し、本願寺による加賀支配が行われた。そんな加賀の一向一揆を描くために、「文士」北方謙三は守護の冨樫側でも本願寺側でもなく、架空の地侍、風間小十郎を設定する。富樫政親守護職として、将軍を中心として日本の秩序を回復するためには、民は多少の不満も我慢すべきだと考える。対して本願寺武家の内輪もめを利用して、ある者は守護の車事に介入し、ある者は「寄進」を求め利権を手に入れようとし、またある者は先の見出せない戦いに門徒を駆り立て、命を差し出すことを求める。

 主人公の風間小十郎は、統制力がなく乱世に導いた足利幕府に対して疑問を持つ一方、一向宗に対しても教義は否定しないが、加賀の民でもある門徒に命を差し出すことを強要するやり方に憤りを覚える。対して隣国の朝倉孝景は、10代の若さでありながら下剋上を成し遂げて、統制された強力な軍勢を背景に越前国一揆のない国として統治した。そして一部領土を持つ加賀国内では例外的に穏やかな統治を行っている。

 

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*この時代の前、一度滅亡した赤松氏をムリヤリ加賀半国の守護としたことも、混乱を招いたとされています。

 

 この風間小十郎の疑問は、そのまま織田信長が押し進めた 「天下布武」に通じている。形式ばかりを重視して自らの「本分」を見失っている権威者や、本来の宗教的活動を疎かにして、利権を求め戦いに明け暮れる宗教団体を決して許さず、場合によっては「破壊」して再生を求めた。そして一揆により守護がいなくなり「百姓の持ちたる国」と称されても、風間小十郎にとって、かつ北方謙三にとって加賀国は「沃野」ではなく、小十郎は最後には加賀から離れていく決断を迫られる。

 風間小十郎は富樫政親に対して、どちらも間違えているわけではなく、自分の道が相手と「重なり合うかどうか」と論じている。結局風間小十郎にとって、富樫政親一向宗も共に自分の生き方が重ならないことがわかった。力で圧迫しようとする富樫政親に対しては戦い、考えが違う本願寺に対しては袂を分かつ。そして第三の道として自分の「沃野」を探しに旅に出るが、この時代に小十郎の求める「沃野」はなかったと思われる。

 加賀一向一揆について新たな視点からとらえた北方謙三による本作品。これによって 「弁慶の勧進帳」で有名な冨樫氏は滅亡し、また政親が途中で離脱した9代将軍義尚の六角討伐(鈎の陣)も、六角高頼が山中に逃げ込んで長期戦となると、その間に将軍義尚が亡くなって将軍家の威光は完全に凋落した。

 

 「北方南北朝」が描かれた頃から時を経て、「水滸伝」「楊令伝」「岳飛伝」と続く大水滸伝シリーズが完結した時期の作品。日本でも、主人公に安息の日を与えることはなかった。

 

 

加賀一向一揆は「文士」だけでなく「天才」にも創作意欲を刺激しました。1967年に手塚治虫によって描かれた「どろろ」は、半世紀を過ぎた今でもコアなファンの心を掴み、アニメや舞台などでリメイクされています(手塚治虫オフィシャルHPより)