小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

12 酔象の流儀 朝倉盛衰記 赤神 涼(2018)

【あらすじ】

 越前の名門、朝倉家7代当主孝景の八男として生まれ、朝倉家の戦いの全てを仕切った朝倉宗滴は、味方の裏切りに会い生涯初めての敗北を喫する。撤退戦の中で宗清は15歳の若者、のちの山崎吉家と出会う。吉家は敗戦の惨劇を目の当たりにした衝撃で、言葉を失っていた。責任を感じた宗滴は吉家を手元に置いて親子のように接し、吉家は言葉を取り戻す。だが吉家24歳のとき、実父祖桂が謀反を企てて、打ち首となってしまう。子の吉家も死は免れないところだが、宗清は所領半分と引き換えに吉家を救う。

 

 時は流れ朝倉家当主は義景の代になる。宗滴は加賀で一揆勢を相手に戦っていたが、陣中に倒れ後事を吉家に託した。また育成していた吉家以外の四将にも加賀侵攻の継続を指示したうえで病没する。命の恩人であり父親代わりであった宗滴の遺命に従い、吉家は朝倉家を守ることを固く誓う。

 

   *最初の戦国武将と言われる朝倉孝景ウィキペディアより)

 

 吉家の容貌は地蔵に似て、言葉は一時不自由だったこともあり、武勇の割に家中では軽く扱われていていた。本人もそのため家中の評定では普段は発言をしないが、決定が自分の考えと異なる時は諫言を惜しまない。意見が退けらると、地蔵のような笑顔は変えずに決定に従って、象のような大きな背中を丸めて黙って自分の持ち場に帰っていく。

 

 仕える主君義景は「戦いが嫌い」で頼りにならない。戦乱の中犬追物や鷹狩りを繰り返し、将軍家の足利義秋が朝倉を頼りに来ても動こうとしない。織田信長が台頭した時、吉家は信長と連携するよう建策するも退けるが、それでいて浅井長政を信長から裏切りをさせて金ケ崎で追い詰めながらも、信長を仕留めきれないツメの甘さを義景は持っていた。武田信玄が上洛軍を起こして信長包囲網を完成した時に「一家揃って一乗谷で年賀を寿ぐは、百年続きし朝倉家のしきたりぞ」と言って勝手に一乗谷に引いてしまう。訥々と自分の考えを述べる吉家だが、戦いが嫌いな義景の心には響かない。

 

  朝倉義景ウィキペディアより)

 

 義景の愛妾で「傾国の美女」小少将が侍の誇りを奪う言動をしても、義景は追従するのみで家中はガタガタになる中、山崎吉家は怒ることもなくひたすら「朝倉家」を守るために策を講じて戦う。しかし最後の最後まで主君義景に裏切られて、思うような戦いができない。周囲はそんな義景に呆れて、かつて吉家を馬鹿にした重臣や、吉家に助けられた家臣たちも皆織田家に裏切ってしまう。

 

 それでも吉家は最後まで朝倉義景を守るために戦う。吉家とその部下たちはわずか300の兵で3万になろうとする織田軍を食い止めて、義景を一乗谷に逃がすために戦う。しかし衆寡は如何ともしがたく、最後には火力の勢いで何発もの弾を受けて、吉家は石仏のように絶命した。

 

 

【感想】

 本作品では「酔象」について、一乗谷の遺跡から発掘された「朝倉将棋」になぞらえ、現在は使われない特殊な駒の1つとして説明している。「相手陣に人って、成ると「太子」となり、たとえ「王将」をとられても「太子」が取られるまでは負けない。重要な決まりだが、「酔象」は持ち駒にはできない・・・・ 決して敵に寝返らない駒ともいえる」(76ページ)。吉家の風貌だけでなく、駒の意味も含めて「酔象」と呼ばれた。

 「大友サーガ」をライフワークとして、大友家の武士団を描くことに取り組んでいる作者による1作のみの「朝倉サーガ」。本作品では「愚将」朝倉義景に翻弄される家臣団の中で最後まで義景に仕えた吉崎吉家を描いているが、冒頭は主人公の山崎吉家を首実検する織田信長という、強烈な場面から始めている。最後まで信長の敵として戦った吉家と、その敵としての実力を認める信長を写し出した。

  

 *「酔象」の駒がある「朝倉象棋(読売新聞より)

 

 それから時は遡り、吉家が朝倉家で仕える姿を様々な角度から描かれるが、主君朝倉義景の余りにも「愚か」な振る舞いに対して、必死に仕えようとする者、義景に呆れて愛想をつかす者、そして家中がバラバラになる中で密かにとって代わろうとする者などが描かれる。そんな中で、朴訥だが黙々と「決して裏切ら」ずに朝倉家のために尽くす山崎吉家が中心にいる。最初は家中で軽く扱われた吉家が、どんな時でもぶれない姿勢、温かい人柄と戦場では決して退かない猛将の姿を見せることで、吉家に対する「支持者」が徐々に増えていく。

 「稀代の暗愚」朝倉義景に最後まで仕える吉家は、楠木正成のように欲にまみれた戦国時代における「朱子学の実行者」を演じている。しかし吉家はそんな「難しいこと」は考えずに、ただひたすらに、暇さえあれば石仏を彫っていたかのような気持ちで、朝倉家に仕えている。そのため朝倉を最初に裏切った義景の側近、前波吉継は、散々義景から馬鹿にされて勘当までされたため、裏切ることに躊躇ないが、吉家の生首に対しては正視できない「後ろめたさ」を感じた

 そして「宗滴五将」と呼ばれた「仁将」吉家以外の残り4人。「」は最後まで「酔象」と共に闘い戦死、「」は「酔象」と最後まで腹を割ることができないまま、行動で殉じる。「」は影から朝倉家を操ろうとするが最後は命を落とす。義景から嫌われて朝倉家から離れた「」は、朝倉家滅亡の後一乗谷に戻り、往事を回想する。

 他にも「酔象」に対して様々な思いを抱きながらも裏切った家臣たちは、織田支配後の越前で、すべからく内紛や加賀の一向一揆勢によって殺されてしまう。読者から見れば「溜飲の下がる」終わり方だろうが、「酔象」吉家にとっては、自分とはあずかり知らぬ話だろうと思わせた。

 「酔象」はその駒の役割通り決して裏切らなかったが、「王」に代わってその役割を果たす「流儀」は持たなかった

 

 *難攻不落と言われた一乗谷福井市文化遺産HPより)