小説を 勝手にくくって 20選!

ジャンルで分けた20選の感想をつづります。

       書評を中心に、時たま日常を語り社会問題に意見します。ネタばれは極力気をつけます。        

1 剣の大地(上泉伊勢守) (1975)

     *新潮社

 

【あらすじ】

 戦国の世も佳境に入りつつある時期。上州(群馬県)大胡の城主、上泉伊勢守(信綱)は国主の長野業政(業正)に仕えて戦いに明け暮れながらも、塚原卜伝始め数々の流派で学んだ剣術を究めたい願望も心の底に秘めていた。戦乱の合間を見ては自ら剣術を究め、そして門下に剣術を教授する日々。その中には長野業政の2人の娘、長女の正子と次女の於富も居た。於富とは一度男女の仲となり、その後嫁入りしたが生れた子供は自分の子と告げられていた。

 

「上州の黄斑(虎)」と呼ばれていた長野業政は関東管領上杉家を支えていたが、上杉家は北条氏康に攻め入られて衰退の一途を辿っていた。上杉家が長尾景虎(後の上杉謙信)に庇護を求めて越後に行くと、上州は同盟を結ぶ北条氏康武田信玄に攻め込まれる主戦場となってしまい、長野業政は上泉伊勢守らと戦うも、防戦一方となっていった。

 

 そんな情勢は長野業政の娘婿であった小幡信貞と小幡図書之介(景定)の兄弟にも影を落とす。長女正子の婿となった信貞には武田信玄の調略の手が伸びて、上州の将来を見限り長野と敵対する立場に変わる。義父にあたる業政との争いの中で信貞は敗れ、命からがら妻と共に武田信玄の元に逃げ延びる。対して業政に従い次女於富の婿となった図書之介は、その後業政が心臓発作で急死して劣勢になった後も、上泉伊勢守と共に長野家を支え続ける。

 

  上泉伊勢守ウィキペディアより)

 

 だが圧倒的な戦力を持つ武田勢には抗し難く、図書之介と於富は子を上泉伊勢守に託して壮絶な最期を遂げる。そして主君長野家も、業政の息子業盛は、箕輪城を枕に見事な討ち死にを遂げ、上泉伊勢守は主君長野家の最後を看取った。

 

 残された上泉伊勢守は、雲霞の如く押し寄せる武田軍に単身で立ち向かい、最後の決戦を挑もうとする。そこへ武田信玄からの使者がやってくる。「これより伊勢守殿は、おのが兵法を天下にひろめられてはいかが」と。味方からも言われて来なかった心の底に秘めた思いを、敵将の武田信玄が言い当てた。

 

 残る兵の命を救うためにも、上泉伊勢守は信玄の言葉に従う決断を下す。

 

【あらすじ】

 池波正太郎の作品も、大まかだが(発表順ではなく)時代順に取り上げるので、最初を本作品とした。戦国時代の繚乱期、各地の豪族などがその地域一帯を支配しながら、国を跨いで勢力を拡大しようとしている時期。主人公の上泉伊勢守(作品中ではこの表現で統一している)も上州の1城主として、上州を支配する長野業政支配下として活躍するが、そこに北条氏康長尾景虎上杉謙信)、そして武田信玄という「ビックネーム」が介入して来る。

 周囲に不穏な動きがありながら、上泉伊勢守は作品中で一貫して超然とした立ち位置を取る印象を受ける。主君の長野業政に忠誠を誓い、業政死後、長野家が傾いても最後まで支えていく。その力量と冷静さは、主君から見ればこれ以上ない頼りになる人物。だが上泉伊勢守は剣術の道を突き詰めようとする一面も心の中に秘めている。その姿勢は孤高の境地に達していて、戦国の群像達を名前(諱)や号で表わしているのに対し、上泉伊勢守のみ「伊勢守」と官名で表記されているのが、孤高の立場に一層の雰囲気を醸し出している

 

上泉伊勢守の主君、長野業政を描いた作品です。

 

 そして城主時代は、大勢の門下生の中で、長野業政の娘である次女の於富を軸の1つとして物語を進めている。城主として、そして剣豪として感情を表に出さない上泉伊勢守に対して、於富とのかすかな繋がりから、その心の底を覗かせている。於富に宿った子は嫁ぎ先にも秘密を守る。実の父は一度の過ちを犯した上泉伊勢守と告白を受けるが、それでも上泉伊勢守は自制し続ける。その後時が流れて長野家が滅亡する際、於富はその子を上泉伊勢守に託した後、教えを受けた剣術で武田軍の侵入を防いで夫の切腹の時間を稼ぎ、自らの命も散らすことになる

 支え続けた主君を初め、周囲の人間が次々と亡くなり、於富も自分が教えた剣術によって悲劇的な死に至らしめたことに禍根が残る。そんな無常観も抱えて、最後の決戦に向かおうとする際に、武田信玄から心の底を言い当てた言葉を投げかけられる。池波正太郎は主人公の敵である武田信玄が駆使する長野家の忠臣たちを籠絡する手腕を、人間的な魅力も有していると描いて、その伏線を「この場面」で生かし切った

 信玄の言葉に従い、実の子、そして於富との子とも一定の距離を置いて、剣術修行で全国を行脚する上泉伊勢守の姿は「孤高」を際立たせる。高齢になった後でもその実力は秀でて、13代「剣豪」将軍足利義輝を始め、数多くの優秀な弟子を育てて、「剣聖」の異名を取るに至った。

nmukkun.hatenablog.com

上泉伊勢守の「弟子」と呼ばれる足利義輝。こちらでも登場します。

 

 その中で池波正太郎は、柳生宗厳との交わりに紙面の多くを割いた。余りにも実力差がある柳生宗厳に対しても手厚い指導を行い、そして法外とも言える免許皆伝を与えた。それは柳生宗厳が剣の道だけでなく、上泉伊勢守と同じように、配下を従えた武将としての生き様も含めて与えた「皆伝」だったのだろう。柳生家は新陰流を起こし「活人剣」として徳川の世でも隆盛を誇り上泉伊勢守の期待に応えた。

 対して物語の最初から上泉伊勢守に敵意をむき出しにして、討ち取って名を挙げようとしていた十河九郎兵衛に対しては、無益として関わりを持たないようにしてきたが、最後で決着をつける。そして同時に「無益」な行為を最後に、自らの消息も消しさって物語を収めている。

 戦国武将として様々なしがらみに取り囲まれながらも、最後はすべて取り払って、自分の思い通りに生きる、1人の姿を描いた。

 

 

 *上泉伊勢守の「兄弟弟子」。同じく孤高の剣士、塚原卜伝ウィキペディアより)